兼続と名前が恋仲になって、2ヶ月が過ぎた。夏は終わりに近づき、やがて秋がやってくる。兼続の家を訪れた名前が、外が暑かったと言って床の上に溶けることも少なくなってきていた。
時は動く。その変化は、2人の間にも影響を及ぼす。
兼続には、困りごとがあった。
「…………」
己の腕の中から動かない名前を、兼続は見下ろす。彼/彼女/名前は時折身動ぎながらも、決してそこから抜け出そうとはしない。
──以前までなら、見られなかった反応である。
いつ頃だっただろうか。彼/彼女/名前が照れくさいのを隠すしかめっ面で、居た堪れないとでもいうようにもぞもぞと動き回っていたのが、「こう」なったのは。未だ顔は赤いままではあるが、すっかり肩の力を抜いて、自ら頬を摺り寄せてきたり、離れがたそうにぎゅうぎゅう抱き締め返してきたりするようになったのは。
率直に言って愛らしくて心臓が痛い。
……それが、兼続の幸せな困りごとである。
「……名前」
「……んん」
あからさまに笑んでしまうのをなんとか堪え、名前を呼ぶ。彼/彼女/名前から返ってきたのは、唸るような、間延びした応答。兼続はもう一度口元を引き締め直す。すっかり身を任せてくれているのは嬉しいが、ここで盛大に反応すれば、名前がハッとしてしまうに違いない。それは惜しい。ここは黙っておいた方が良い。
感情表現の豊かな兼続とて、軍神の姿を見て育ったのだという自負がある──このようなことの引き合いに出されても困るだろうが、兼続が名前に対しては絡め手が適していると判断したのは、上杉に居た「前」のときだ。
努めて平静を保ち、指先で名前の頬をくすぐる。名前はきゅうっと目を瞑った。力一杯に抱き締めてやりたい衝動に駆られながら、軽く唇を合わせる。口付けるのをやめると、名前は耳まで赤くして兼続の肩に顔を埋めた。……少しくらいは、大丈夫か。
「お前はほんとうに可愛いなあ」
「……、……」
欲求に負け、吐き出すように言う。名前は照れて肩に額を押し付けてきた。兼続は、まだいける、と判断する。今のうちにと可愛い、可愛いを繰り返した。しかし何度言えども名前は一言も発しない。うるさいと突っぱねて来ない。──今日は特に、機嫌が良いようだ。これはしめた。
兼続には、名前のペースに合わせてやろうという気持ちもあるし、それももちろん愛だと思っている。だが、今の己の内に渦巻くものを耐えるのは、すこし息がつらかった。
衝動のまま強く抱き締めてやると、苦しそうな呻き声がする。抗議するように背をつつかれた。痛みには程遠いこそばゆさが胸をまたいっぱいにして、兼続はやはり困ってしまう。
名前は気難しい。気難しすぎて逆にわかりやすいぐらいに気難しい。己に課したルールを乱す行為を激しく厭うところなどは特にそうだ。そしてそのルールには、兼続に対しての好意をはぐらかすことも含まれていた。
ところがどうだ。
恋仲になり、合わせてルールの改訂をしたというのは察することができる。その変化の生んだ差は、とても大きい。体面を取り繕うことより、兼続の好意を受け取ることを優先するパターンが増えたのは、大事件だ。
理屈では、いくらでも説明できる。人との繋がりを避けてきた名前が、人からの「愛」を信じられなかった名前が、それを受け入れている。「自分だから」、受け入れるようになった。その優越感と、長い間見守ってきた彼/彼女/名前が「成長した」のだという感動。それらの文脈が、喜びを増している。
そう、理屈を理解することも、説明することも簡単だ。だが、理屈は理屈であって、己の感情の爆発を表す尺度には成り得ない。胸の内に沸き上がる「愛」を、否、「愛」と呼びたいはずがあまりにも多くの色合いを含みすぎてたった一単語の中に押し込めるには持て余してしまうこの情を、そっくりそのまま、名前に教えてやることはできない。兼続に出来るのは、この情を、抱き締めるだの口付けるだの声を上げるだの様々なアクションで出力することだけだ。愛を語る行為は尊ぶべきものだと信じているが、万能では無いのだとも思い知らされてしまう。
この愛が全て伝わるまで伝え続けるつもりだが、そんな日など来るはずがない、とも思う。名前に「愛」を教え続ける口実となって好都合ではあるものの、もどかしさは残る。不快ではないが、苦しい。
未だに照れが残っている様子の名前の髪を撫でながら、兼続はこっそりと息を吐く。
──振り回されているのはお前だけではないというのに。格好がつかぬから、悟られるつもりは無いが。
声を出さずに呟いて、胸の内を噛み締めた。
title by 金星 190202