心臓がうるさい。
だって、もう訳がわからないから。ほんとうに。頭回らないから。
天井と直江で埋まる視界と、背中に感じる布団の感触。
もう、ほんとうに、訳がわからない。わかるんだけど、わからないです。
なのに、直江はにまにましてるし。
「……ははは」
「笑ってないでなんか言え馬鹿直江」
「愛らしいな」
「もっと違うこと言えよ!! 頼むからあ!!」
勢いで、頼む、とか言ってしまう。あんまり口にしない言葉だったことに気付いても後の祭りで、直江は目を瞬かせた。そして、嬉しそうに額を寄せてくる。
悔しい。目蓋を強く下ろす。ちゅ、と唇に柔いものが触れた。
「……ばっ、ばっか……なにして……」
「照れずとも良い、待っていたのだろう」
「な、そうじゃなっ……、くっそ……」
言われてやっと、今の小さな動作がどう取られたのかを知った。勿論そんなつもりじゃなくて、ただほんとうに悔しかったとか、あと認めるのは屈辱だけど、心底恥ずかしかったとか、そういう感情に耐えきれなくて、思わずやったにすぎない。
でも、直江は直江なものだから、自分に都合の良い解釈を信じ込んでいる。
こいつのこういうところが、困るのだ。
そうじゃなかったら、私だって、今もこんなに混乱していない。
「……ほんと、お前ってやつは……」
そりゃあ、私だって、ちょっとは悪いんだけれど。
きっかけは、「今週末、家に来ないか」の電話だった。「今週末って土曜日?」と聞いたら、返ってきた言葉は「泊まるのは難しいか」。
私も鈍感じゃない。答えた直江の声色でも、より確信を持つことができた。
混乱した私は、「ダイジョウブ」と言った。言ってしまった。経験の無いことが丸分かりな反応だった。
そして、それが、私の唯一の失態だ。
通話の切れた後。色々、多々、不安要素があることに気付いたのだ。
──直江、そういう事について、どういう価値観を持っているんだ?
相手は直江だ。あの直江。義と愛の文字が描かれたどデカい看板を掲げてアピールし、それどころか笑顔で人を殴るのにも使いまくる直江だ。
その正直さに助けられることもある。実際、なんというか、その、愛情表現と表現するだろうスキンシップの激しさは、わりと好ましい部類というか。うん。私も直江のことは好きだし。うん。
でもやっぱり困る時には困るのだ!!
直江は、愛をとんでもなく崇高なものと思っている。そしてクソ真面目で、過度な娯楽や贅沢を嫌う。それはつまり。
肉体的快楽を俗なものとして嫌悪している可能性が、あるのではないか?
最早直江に限っては、考えすぎということは無い。あらゆる可能性を考慮しておくべきだ。……考えておいたって、実際のところを知ろうとする勇気が無かったので、今の今までぐるぐる悩み続けてたんですけれど。小っ恥ずかしくて聞けるわけがなかったです。
そんなわけで、直江がマグロ嗜好なのかどうか、押し倒されている今になってもまだ分からない。あー、もう、ほんとに分からない!
正直言って、そもそもこういうことを持ち込んできたのも予想外だ! 婚前交渉はいけない系の人だと思ってたのに! 私の想像が及びもしない思考回路なの、どうにかしてほしい! ……どうにかされたら困るけど……。なんだかんだ今の直江が好きだし……。
「考え事か?」
「……まあ……」
誰のせいだと。いや、私のせいでもあるのは再三思うところですけれど。
声をかけてきた直江を恨めしく思う気持ちは、ほぼ八つ当たりだ。完全に頭がトチ狂っている。
そんな私が不愉快だったらしく、直江は眉間に皺を寄せた。
「今は私のことだけ考えていろ」
「すぇっ、じゃ、じゃあちょっと尋ねても良いですか」
「む? なんだ、悩み事の方だったのか」
とんでもねえ台詞のせいで、めちゃくちゃ馬鹿みたいな声が出た。出たけど、勢いもついた。ので、言えた。言ってしまった。
快挙のはずが、やってしまった、という気持ちもある。頭を抱えてしまいたい。
でも、直江に渋い顔をさせてしまったばかりだから、いやなんでもありません、とか撤回もできないし、今撤回したら次いつチャンスが来るか分からない。
もし上手くいけばこう聞こう、と決めていた言葉を読み上げる。
「あの、えーっと、……。その、もし。もしも。というか。たぶん、なんだけどさ」
「勿体ぶらずとも良い、しかと聞いてやろう」
「うっ、あー! ……わっ、たし、なんかすごい……へんなこえでるかもしれないんですけど……」
超絶婉曲的な言い回しである。しどろもどろである。しかしこれが精一杯であることも事実。
その精一杯を、直江は「へんなこえ?」と復唱した。恥ずかしいからやめろ。前言撤回、きっちり頭を抱える。正確に言えば顔を隠す。
無意識に息まで潜めて、直江の返答を待った。言ったことはぶっちゃけ事実だ。好きな人に触れられて落ち着けと言われても、自信が無いので。
だから直江がマグロ趣味だとぶっちゃけ困る。言いくるめられれば良いものの、そう上手くいくものでもなかろうし。
武士が切腹するとき怖気づいてしまったなら、多分こんな気持ちになるんだろう。いっそ介錯の人にばっさりやってもらいたい感じ。じわじわ気色の悪い汗が滲んできた。
そうしているうち、とうとう直江が口を開く。
「それが恥ずかしかったのか?」
「……ま、あ、まちがってなくもないけど、そのぅ、な、直江は……いやじゃない?」
わざわざ婉曲的な言い方をしたのに、やけくそで直球勝負に出てしまった。
直江は首を横に振る。
「いやなものか。愛し合う者同士の行為である証明だぞ」
「は~~、なるほどなあ~~~~」
そうくるかー! と素直に思って、全力の声が出る。そういう解釈があったのか。直江道はまだまだ奥が深い。予想の斜め上を行く。
……あ、でも、これはあれじゃない? 自分の性欲を義と愛で正当化してるんじゃない? もしかしてそうじゃない? ……などと頭に浮かんで、ハッとしてしまった。言わないけど。丁度良いし、言ったら恐らく極悪人になってしまうし。
ほら、あと、あれだよね、優しくて良いよね。強姦モノとか、世間の馬鹿な男とかは、女は精神的に嫌がってても感じるもんだと思ってるらしいじゃん。それに比べて直江の、愛し合ってなきゃ気持ち良くない論。ピュアっピュア。不感症の人や愛が無くても快楽を求められる人には向かないですけど。少なくとも私には、たぶん、間違ってない。
いや、ほんと、でろでろにならない自信がないんだよな……。
「なおえなおえ、ちょっと抱きつかせろ」
「ああ、ほら」
身を寄せてくれた直江に甘えて、ぎゅうっと腕を回す。自分の直江への好意を改めて実感してしまって、たまらなくなってしまったのである。だってもう、感じない自信が無いとかベタ惚れじゃなきゃ言えねーよ。
熱くなった頬に、惚れた弱みか、と小さく溜め息を吐いて、厚めの胸板に摺り寄る。直江の米神も、私の髪にぴったりくっつけられた。
「お前の考え事がそれで良かった。ほんとうは怖いのかと心配した」
「それは無い」
「即答か! はは、可愛いやつめ!」
「いうんじゃなかった」
即答とか突っ込むなっての。図星とほぼ似た感触がして、居心地が悪い。息に熱が籠っているのが、また。
と、そこで、気付く。
ぎゅうぎゅうと密着した直江の身体は、いつもよりも熱かった。伝わる心音も、びっくりするくらいの強さと速さで鳴っている。
……なんだか、安心した。直江も恋情と性欲に振り回されているらしい。自分だけじゃないと分かると、あまり身構えずとも良い気がしてくる。
「名前」
しまいには、とびっきり熱の篭った吐息と共に名前を呼ばれたものだから、ああもう大丈夫だ、なんて、直江の背に回していた腕をそっと緩めた。
ううん、どうも、直江の言うとおり、ちょっと怖かったのかもしれない。直江がではなく、今までの私と違う私になることが。
title by リラと満月 180207