07
呆れかえった政宗の視線が、私に投げかけられる。
「で、わしのところに逃げてきたと」
「滅相もない……」
「馬鹿め」
うわ、こんなに乱雑な「馬鹿め」、初めて聞いた。そう思うくらい、政宗は呆れているらしい。直江の有様に動揺し、自分の秘めていた想いを自己嫌悪し、逃げ込むように伊達を訪れた私に。
一連の流れを聞いて、これ見よがしに溜め息を吐いた政宗は、その割に私を放り投げることはしない。どんなにふてぶてしいことを口にしても、政宗は善人なのだ。
それに多分、政宗は直江のことも気にしているんだと思う。ふたりは好敵手というか、喧嘩するほど仲が良いみたいな関係らしいから。直江の様子を話している最中も、眉間の皺が濃くなっていた。
「好きなだけ、好きなことを話してみよ」
この大奮発も、それが理由なのだろう。
その優しさに甘えて、私は外の国の人がするという風に、懺悔を呟いていく。
「他のやつに悪く言われるな、なんてさ。私はそんなこと、言う資格ないのにね」
政宗は目を細めて、私の言葉を聞いている。
「私、……直江のこと、誰よりも分かってるような気でいたんだ。沢山話したからって。
ほんとうに分かってたなら、あんな風に悲しむのも、分かってたはずなのに」
私は、逃げてしまった。
自分の座る畳に視線を落とす。
「それなのに、『直江のことを何も知らないやつら』のことなんか気に掛けるなって。
だったら、……だったら、私のこと、騒がしく構ってくれ、笑ってくれ、って。お前をわからないやつのことなんか気にするな、って。
私だって、直江のことを何も知らないうちから蔑んでたのに。
馬鹿なのは私だ……」
座っているのも難しくなって、前へ前へ傾いた。額が畳にぶつかる。傍から見れば、土下座でもしているようで滑稽だろう。悔やんでいるのだから、まあ間違いではない。
どんなに息が苦しくても、涙は落ちなかった。それは、あの日の記憶と一緒に忘れてきたものだから。
「私、でも、これだけは分かってた。
『弱きに寄り添うのが上杉の義』。直江は気付いてたんだって。
……私が、ほんとうは、居場所を求めていたこと」
旅人だと嘯いて、その実、どこかに根を張りたかった。
けれど失うことが恐ろしくて、どこにも根を下ろさなかった。
直江は、そんな私に思うところがあったのだろう。
ならば上杉の民になってしまえ、と私に構い続けたのだ。
だから、あのとき、あんなに恐かった。
「だから、あんなに上杉を捨てられなかったんだ。あいつが、私を寂しくならないようにしてくれていたから、だから居心地が良いと感じられていた。
上杉にという話だけじゃない。
私は、直江に、情を抱いてしまった」
思い出すのは、直江の笑顔ばかり。
つられて笑いそうになるくらいの輝かしさなのに、今の私は笑えない。今の直江が笑えないのに、私が笑えるわけがない。
ずっと居場所が欲しかった。
居場所はここにあるぞと突き付けられた。
その結果として、土地ではなく、人に心を奪われてしまった。
滑稽なのは、受け取るものを間違えた私だろうか、差し出したものに意味を無くしたあいつだろうか。
「こんななら、もっと早いうちに居場所を定めておけばよかった。
そうしたら、きっと直江は安心して、私に構うのをやめた。私は直江のことを、こんなにすきにならなかった。
……ああ、でも。それでも……直江は……、友を失って悲しむのには変わらないのか……。あいつがつらいのは、いやだなあ……」
たらればを話しても意味がない、と政宗は言ったのに、私はまたそれをやる。
ついでに、転がった連想から直江の友に思考が移った。
「私、あのふたりが、羨ましかった。妬ましかったよ。
直江は友を大事にしていた。……私より、大事にしていた……」
そんな考えは賤しいと、私の思うような情だけではない、政治的かつ義の話だと、分かっている。
でも、どうしても、私に心配ないと言った伊達との争いを、友のために起こしたのだと、少しだけ思ってしまうのだ。
それはあまりにも穢い欲。ともすれば、他のやつらに罵られるな、なんて言葉も足元に及ばない程に。
どちらとも、源が醜い独占欲なのには変わらないけれど。
「直江は、直江は馬鹿だ。……純粋だ。
人はみんな善いものなわけじゃない。私はこんなに穢いのに。
こんな穢いやつが、あそこに居られるわけ、無い……」
座る直江、置かれたお菓子、反対の席。
私はいつも、直江との間に餅だの饅頭だのを挟むことに口惜しさと安堵を感じていた。
──ああ、これが無かったら、私は直江のすぐ傍に居たのだ、と。
……でも、お菓子を挟んでさえ、あいつのところに居る資格なんて、今の私にあるのだろうか……。
私は、すっかり、口を噤んでしまう。
「…………名前。わしはな、常々思っておった。
貴様らは、似ている」
場が静まり返ってから、政宗が言った。
そうして告げられた言葉のわけがわからず、だけれど直江が私なんかと似ているわけがないから、否定するべく首を横に振る。畳についたままの額がずりずりと擦れた。
それでも政宗は言葉を続ける。
「どちらも信心深い。わしからすれば、兼続の『義』も、貴様の『世の真理』も同じじゃ。自分の信条を普遍だと思い込み、自らの首を絞める」
「…………」
……目から鱗、とでも言おうか。私が直江に使っていた言葉を引用するなら、目から曇りが消えていく、だろう。
そんなこと、考えたことがなかった。
そうか、私も、私の考えが世の普遍だと盲信していただけなのか。
「……私、あいつのこと馬鹿にする資格、無かったんだね」
声が震える。
と、政宗が、私の後頭部をぺしりと叩いた。
「それ見たことか。自縛しておる。何が資格じゃ、頭が悪い。
自分にとっての正誤と善悪を他の何かに委ねるからそうなる」
「……じゃあ、政宗は?」
「わしはわしじゃ。それ以外に何がある」
力強い答え。
その意味するところが、直江や私と何が違うのか分からなくて、頭に引っかかる。
けれど、声にあった強い芯は、水底で溺れる私に差し出された救いの手のようだった。
私は無意識のうちにその手に捕まっていて、少しずつ少しずつ、場に広がる沈黙と共に、私の心は引き上げられていく。
…………そして、いくらの時が経ったのか。
そのうち私の顔は水面から出ていて、大きく呼吸をした。
「……私、直江の傍に居て良いのかなあ」
「まだ言うか」
いつの間にか私は政宗を見上げていて、ほんとうに溺れていたところを助けられたようだった。
政宗は口元を吊り上げ、笑ってみせる。
私が渇望する笑みとは違うけれど、得意げなその表情は、昔と何ひとつ変わらない、私の大切なものだった。
「貴様が兼続の側に居ることに許しを得たいなら、わしが許してやる。
貴様は『世界』などと言うがな、いずれこの日本を創るのはわしじゃ。
なれば、わしこそが『世界』よ」
政宗は私を見下ろす。
私も政宗を見つめ返した。
……口元が、ふっと緩む。
「──政宗。
お前が兄貴分で良かった」
「……ふん。わしの妹分という特権、大事にせよ」
「大事だよ、ずっと」
虫を払うような仕草をして顔を背けた政宗の耳は、ほんのり赤く染まっていた。あんなに格好良いことを言っても、けっこう照れ屋なのがうちの兄貴分である。
……長ったらしい懺悔で乾いてしまった喉を、出されてからこっち、手つかずだった水で潤す。水はさっき吐き出したばっかりなのにな、と空想と現実の違いに愉快になった。
力が抜けて土下座したつもりだったのに、起き上がってみればきしきし痛む。身体の各所に変な力が入っていたようだ。解すべく肩を回したり背を逸らしたりしてみる。たまたま視界にとらえた政宗は、我関せずとでも言いたげに目を逸らしていた。別に狂気に憑りつかれたわけじゃないのに。柔軟運動だ。
凝り固まった身体を満足するまで解したあと、よいしょ、と立ち上がる。
「来て早々だけど、悪い」
下を向いてまず謝ると、政宗は分かっていたかのように胡坐を崩し、身を起こした。こちらに歩み寄られて、やっぱり私が見下ろされるかたちになる。
政宗の意外と丸い瞳は、竜の爪のように鋭い光の奥に、あたたかさを置いてくれていた。
こういう温度を、もうひとつ、私は取り戻したい。
「私、直江のところに帰るよ」
政宗は頷いた。
「ああ。……また来い」
最後の言葉は耳に残ったものとよおく似ていて、私も頷き返す。
そうだ、私は直江に、「また来る」と言ったのだ。それも何度も念を押して。ならば、戻らなくてどうする。
「おかえり」を言ってくれないのなら、言ってくれるようになるまで、今度は私が直江の傍に居れば良い。
私の帰る場所はそこになってしまったのだと、直江に思い知らせてやれば良い。
お前のやったことは、少なくとも私にしたことは、なにも間違っちゃいなかったのだと、直江に気付かせてやれば良い。
────だから、それを言い訳に、直江。
今度こそ、私をお前の傍に居させてくれ。