08
結局私は、最期まであいつの傍に居た。
景勝様や慶次殿が居なければきっと死んでいたあいつに、私はそれしか出来なかった。
あいつが好きだった。
だから、大坂の陣のあと、あいつがゆっくり時間をかけて心を立て直してからも、傍から離れられなかった。
あいつが死ぬのを見届けてすぐに私も病に倒れ、まるで後を追うみたいに死んだ。
こんな私でも、あいつの後に死ぬことはやりきれた。穢い恋も墓まで持って行けた。そんな、十分な幸福を抱いて死んだ。
そうやって死んだときには考えもしなかった。
まさか、「次」があるなんて。
大学生からは、一人暮らしだ。春から2年契約の学生向けマンションに入居して、数日かけて荷物の整理を終わらせた。
久々に踏み入れた北の地は、記憶にあるよりは暖かい気がした。地球温暖化の影響かな、と地元の東京に居る政宗へ、手紙に書いて送った。
気付いたときには既に脳に巣食っていた「前世の記憶」は、非科学的だとか非常識だとか思うより先に、私の一部になっていた。勿論、幼い自分の妄想がこびりついているだけだと考えたこともある。
でも、現実だと裏付けるように、小学生の頃同じように前世を覚えている政宗や小十郎さんと再会した。政宗はひとつ歳上に産まれていて、相変わらず私の兄貴分だ。
何百年もの間に、記憶にあるのとはどうしようもなく様変わりしてしまった街並みを歩く。
……あまりに記憶と違いすぎる。ここはあの土地ではないんじゃないか。……いや。
浮かんだ不安と寂寥に、首を振った。懐古の念でやって来たくせに、そんな疑念を抱くのは、この地に対する冒涜だ。どれだけ時が経っても、どれだけ風景が違っても、ここはかつてあいつの愛した土地に変わりないのだから。
気を取り直すことに努めながら、辺りを見回す。まずはマンション周りや駅周りの様子を把握しておかなければならない。日曜日であるため駅前は人通りが多く、きょろきょろしすぎるとぶつかってしまいそうで大変だ。人口も随分増えたな。
……こんなに人が多いと、あいつのことも見つけられなさそうだ。
と、背中に衝撃。振り返る。見知らぬ人が怪訝そうに会釈した。自分が立ち止まってしまっていたことに気付き、慌てて謝罪する。……駄目だこれは。
未だあいつに執着し続けている、という事実を再確認すると、どうも思考が停止する。考えたくないことから逃げたがるのは私の悪い癖だ。ほんとうはちゃんと考えて、心の準備をしておくべきなのに。あいつは生まれ変わっていないかもしれない、とか、生まれていても記憶はないかもしれない、とか。
今の私も、やっぱり穢いままなのか、とか。
あいつが元気なのか、っていう疑問が自分のことより後に浮かぶ時点で、問わずとも知れているのに。
「────名前?」
声。名を呼ばれた。
立ち止まったままの私は、足どころか手も頭も眼球も錆ついたようになってしまって、その声の方を見ることが出来なかった。
だって、私の幻聴でなければ、私の後ろに、
「──やはり名前ではないか!!」
「──あ」
前へ、回り込んで来た。
視界に入ってきたのは白いワイシャツで、また白を着ているのか、と、思って、じゃあこの声の持ち主はあいつに違いなくて、あいつだってことは、ちゃんと、顔を見ないと、いけなくて。
見上げる。
眩しい笑顔が、そこにあった。
────直江。
直江だ。直江が居る。
なおえ、わたし、私、ああ、なにを言えばいいんだろう──。
「おかえり、名前!!」
「────」
──声は、出なかった。
「ははは、良かった! ずっと決めていたのだ、お前のことは私が先に見つけると」
引き摺られるようにして入ったコーヒーショップのテーブル席。向かい合うように、私と直江は座っていた。ずっと頭が回らなくて、注文もうまく考えられなかったのだけれど、察した直江が代わりにアイスココアを注文してくれた。直江はホットのホワイトモカを頼んだ。「付き合ってもらうのだから金はこちらが持つ」という言葉に私の意識も戻ったものの、結局奢ってもらってしまっている。
座ってからこっち、直江みたいには話せていない。言葉に迷っているのだ。彼の饒舌さを鬱陶しく思ったときもあったけれど、今の私は針の筵の上に追い立てられているような心地がした。私も何か喋らなきゃ、と焦ってしまうから。
「お前は怖がりだからな」
そんな私を見透かしたような言葉が聞こえて、そっと顔を上げる。ずっと手元のココアばっかり見ていたと、そこで初めて気付いた。
「もしお前が先に私を見つけたとしても、声をかけられなかったろう。
いつかの茶屋のときも、私が店に居るのを見つけたのに、お前はどうするか迷って入り口で突っ立っていた。私が気付かなければ引き返していそうな様子だったな」
にこにこ、にこにこ、直江は笑う。どこかしたり顔のそれには見覚えがあった。
でも。
「……よく、覚えてるね……」
「お前のことだからな!」
なんとか声に出来たのは、当たり障りのない言葉だった。それにも構わず、直江は元気良く頷く。
その笑顔を見るのが、恐ろしかった。
突如目の前に山積みにされた喜びに、戸惑いきりだった。
だって、私の記憶の中で、一番新しい方の直江は、心が折れて、落ち込みきって、立ち直ったけれど、前とは違っていた。私はそんな直江に、立ち直って良かった、こいつはそこまで弱くないんだ、と思いながらも、一度は折れてしまった事実に、拭いきれない寂しさを感じていた。
それが、今の彼は、まるで。
初めて出会った頃の直江のようだ。
いいや、分かっている。前世の記憶というものを持っていても、精神が老成してしまうわけではない。記憶の中の年齢に今の年齢が加算されるわけではなく、人格は今生での年齢に引き摺られがちになるのだ。私も政宗も小十郎さんも、老いたときの記憶と今の自分のちぐはぐさにもどかしさを覚えながらやってきた。だから、直江の人格が、前世のときの、今の年齢──20といくつぐらいだろうか──の頃と重なり合っていても、おかしくはない。
分かってはいる。分かってはいるけれど。
「……元気そうで、良かった」
見ていて変な感じがする。とは言えるはずもなくて、嘘をついた。
直江はにんまり笑う。つられて笑いそうになる笑顔だと思っていたはずなのに、どうしてか私は笑えなかった。
「元気だぞ! 名前にやっと会えたのだからな。ずっと探していた!」
「……」
「三成と幸村にも随分早く会えたから、あとはお前だけというところだったのだ」
「──……ああ、だからか……」
「名前?」
彼の友の名に、す、と頭が冷えた。
そうか。だからか。それならそうと、早く言ってくれれば良かったのに。