06

 ──心配せずとも良いって、言ったじゃないか。

「前田殿。私は、ただの旅人なんです。家同士がどうこうとか、治められている者には関係が無い。
 ……世の在るべき姿とは、泰平の世に決まっている。ではなぜそれがやってこないかと言えば、私も含め、誰も、世の真理を、世界の普遍の理を知らないから。
 『世の真理』。普通の人間ではたどり着くことのできない、人間の善や悪を超越した、本当の善。すべての人間が幸福になる、世界の理想の動き方。
 そんな『世の真理』を掴んだ者だけが、日本を正しく治めることができる。私は、ずっとそう信じてきました。
 逆に言えば、豊臣ではなかったとしても、今後豊臣でなくなるとしても、世を真実に導いてくれるなら、誰であろうと構わなかったんです」
「それ、兼続には言ったのかい」
「これは、さすがに。直江は豊臣という家と、友を重んじている。
 言ったが最後、私はここを離れざるを得ないでしょう。
 ……あと、世界の真理とか言ったら、また『義!!』って言われます。むしろ、さわりだけ話しても言われました」
「はっは! だろうねえ!」

 予想は当たった。直江との交流を絶つことはなく、いくつもの年月と戦を重ねた。私の隣に座り、間に店のや手土産の饅頭を置く彼の姿を、何度も見た。
 直江のことは相変わらず馬鹿だとは思っていたし、「馬鹿だ」と口に出すようにもなったけれど、不服そうにむっとする彼にからかいの心地良ささえ覚えて。
 そうしているうち、政宗も、とうとう豊臣に降った。
 意外な出来事だったそれも、直江と気兼ねなく話せるようになった理由のひとつだった。
 だからといって、伊達と上杉という二択を迫っていた政宗に、考えすぎだとか嘘つきだとか思ったわけではなく、心配してくれて有り難かったぐらいなので、政宗の何か言いたげな顔にはちょっと笑った。
 それが、今やどうだ。
 豊臣秀吉殿の死後、徳川家康殿が目立ち始めた。それを直江は快く思わず、また、同じように徳川に危機感を覚える友たちと、戦うことを決めてしまった。
 徳川との戦の作戦において、直江の役目は、北で戦をし、徳川の目を引き付けること。
 その敵は、最上と、──伊達だ。

「名前、あんたはどっちを選ぶんだい」

 前田殿はかつて伊達に居たから、私と政宗のことを知っている。
 それゆえの試すような言葉が、視線が、私を射抜く。景勝様も随分長身で強面で、こうして向かい合うと威圧される。けれど、前田殿の隈取りされた目は景勝様のそれよりも段違いに鋭い、刃そのものだ。真正面から太刀打ちするのは、肌がぴりりと痛む。息を吸って吐いて、震えを奥に仕舞い込んだ。

「私は」

 もう一度、奥に隠す。

「私は、どちらにもつきません」
「……へぇ」

 感心とも落胆ともつかぬ相槌が、前田殿の口から零れ落ちた。恐らく、後者の意。

「言ったでしょう。私は、ただの旅人なんです」

 前田殿が期待していたような、強気な物言いをする義務など無い。武士であるなら、親しい人とだって割り切って戦うものだろうけれど、私は武士ではないのだ。
 だから、争わないで、ほしかった。
 豊臣に下ったあとの政宗を見て、たまに話をして、考えていた。
 政宗は相変わらず私に甘くて面倒を見てくれて、他の人と話すときよりも分かりやすく優しさを見せてくれるのが、嬉しかった。
 直江とも沢山話をした。鬱陶しいけれど根底には純粋な好意があって、それがずっと表に出ていて、傍で浴びるのは、悪くなかった。
 そのどちらかを選ぶなんて、できるわけがなかったのだ。
 政宗は、迷ったら伊達に来れば迎えてやる、と言っていたけれど、その言葉も蹴ってしまった。
 どちらにもつかないという私が、伊達に居るのも上杉に居るのも道理ではない。
 戦いだって、見たくない。

「だから、旅人は旅人らしく、戦いが終わるまでここを離れますよ」

 私の得意は、年月を経ても変わらなかった。
 逃げの一手。

「兼続には?」
「言っていません。でも、察しているでしょう。あいつは馬鹿だけど馬鹿じゃない。
 こうして前田殿とお話をしに来たのも、暫しの別れの挨拶のつもりでした」
「旅の装いだ、そんなこったろうとは思ってたさ」
「話が早い」

 僥倖僥倖。別れの言葉もそこそこに、彼に背を向ける。旅も逃げも、早いに越したことはない。
 ただ、一度だけ、彼を振り返って頭を下げた。

「……政宗と、直江のこと、よろしくお願いします」

 逃げ出す人間には、傲慢な願望かもしれない。
 けれど、どうしても私は、ふたりの傷つかない世界が欲しかった。


 そして、その願いは裏切られる。

「……よく来た、名前」
「────」

 久しぶりに見た直江の顔からは、笑みが消えていた。
 私が言葉を失ったのに気付いて、ようやく自嘲の笑いが張り付くぐらい。
 関ケ原での西軍の敗北を聞いてすぐに駆け付けたのは、伊達ではなく上杉だった。
 だって、知っていた。
 直江にとって、石田三成殿と真田幸村殿というふたりの友は、生き甲斐と言っても良いほどの存在だったことを。
 そのひとりを失い、もうひとりが謹慎処分になってしまったのだ。直江が落ち込むのなんて、予想はついていた。
 ……予想はついていたけれど、こんなに傷ついているとは思ってもみなかった。

「はは、名前。何か話してくれ。私も前より口数が減ってしまってな、お前が口を噤むと場が静かになってしまう」
「……何かって、なんだよ」
「何でも良い。あるだろう、他の土地で見てきたこと」
「無い、よ。私、あんまりその地に執着しないんだってば」

 口が前よりも気やすくなっていたのが、いけなかったのかもしれない。
 「上杉以外の地には」
 その言葉を、ちっぽけな癖で飲み込んでしまったのは、きっと間違いだった。

「そうだな。私は、そんなお前にずっと無理強いをしてしまった」
「は──」
「すまなかった」

 知らない、と思った。
 こんな直江、私は知らない、と。
 私にとって、直江兼続という男は、明るくて、騒がしくて、自信過剰で、拒絶してもめげなくて、しつこくて、……私の心に、優しくて。間違ってはいても、間違ってもこんなことを言う人ではなかった。
 
「名前の言う通り、私は愚かだったのだ」

 がつん、と頭蓋骨を直接殴られたように、頭が痛む。
 違う。違うんだ。私は、そんなつもりで言ったんじゃない。こんなつもりで、お前に呆れていたんじゃない。
 そう言いたいのに、喉に空気が詰まって音が出ない。

「……すまない。義を失った私には、もうお前を導くことはできない」

 義を失った、という言葉に、拳を握り締める。爪が食い込む肌が熱い。
 義を分かち合った直江の友。彼らを守りたかった直江。
 けれど、直江は打倒徳川を先導したがため、守りたかった友を傷つけ、失った。
 守りたいものを破壊する、その原因となった。
 だから、直江はこんなにも自分を責めている。
 ──これだから。これだから、私は、間違っている、って。
 確かに最初こそ、自分本位だと軽蔑した。
 でも、直江の思想の根源には純粋な好意があると分かって、こいつを馬鹿だと思う理由は、少しずつ変わっていった。
 この世に、絶対の善など存在しないから。あるのは真理だけで、それは善とは別のものだから。
 善とは、直江の義とは、個人の価値観にすぎない。個人の価値観である以上、真理と食い違うことはいくらでもある。
 善を行い続けることなど、ふつうの人間にはできない。
 だから直江は、善を行えなかったとき、自らを善とするその思想を、自分の善と世界の真理が同一であるという思想を、完全に破綻させてしまう。
 そう、気付いてしまった。
 馬鹿だって思っていたのは、だからなのに。

「直江、私は」
「慰めてくれるな。……いや、今の私は、お前にも気を遣われてしまうほどなのだな」
「ちが……」

 気を遣っているものか。そんな優しさ、私にはない。私は、自分の罪悪感から逃れたいだけだ。
 けれど、直江の暗い顔が私の胸を締め付けて、言葉を吐き出す余地をくれない。
 幸か不幸か、直江の瞳にかかる曇りは無くなってしまったのに、いつか見た煌めきまで、そこから失われてしまった。
 苦しい感情が人を死に至らしめることができるなら、私はもう、何度死んでいるだろう。
 もういっそ、このまま窒息して死んでしまえたら、どんなにか楽だろう。
 そう思えど、人間はそんな風に死ぬことは出来なくて、私の耳は直江の言葉を拾い続ける。

「なに、きっと悪いことばかりではない。私は、周りの言葉に耳を貸すようになったぞ。
 自分の至らなさに気付かされている」

 がつ、と、頭が内から割れそうになった。

「おまえ、おまえ」

 がんがん頭蓋骨に響く痛みが、痛みを通り越して冷たさを感じさせる。
 震える手が、いつの間にか直江の方に伸ばされていた。

「おまえ、しってるのか。じぶんが、他のやつらに、なんて言われてるのか」
「ああ、分かっている。本当のことだ」

 直江はゆっくり頷く。笑っていた。まだ嘲りのそれだった。
 敗者には、悪い流言と後ろ指とが付きまとう。当然、直江はその愚弄の対象で、上杉に来るまでで、私は何度もいやな話を聞いた。
 直江は、そういう悪意も聞き入れて、真実なのだと受け止めて、後悔と自責と共に飲み込んでいたのだ。
 ──それが、どうしようもなく。
 ────どうしようもなく、腹立たしくて。
 私の手は、直江の胸倉を掴んでいた。

「私以外のやつに!! 悪く言われるんじゃない!!」

 至近距離。
 直江の身体は簡単に私に引き寄せられて、彼の顔は私のすぐ真ん前にあった。
 その有り得ないくらい近いところで、直江は驚いたように目を瞬かせる。やっと無表情と嘲笑以外を浮かべたその顔に安心を覚える暇もなく、私はまた言葉を失っていた。
 「私以外のやつに悪く言われるな」だなんて、なんて、おこがましい──。
 震える手を、どうにか直江の首元から外す。
 踵を返し、彼から自分の顔を隠した。

「……ごめん、頭、冷やす」
「名前」
「また来る。また来るよ。また、すぐ来るから。
 戻って、来るから」

 繰り返し、繰り返し、念押しして、あいだに縋る言葉を張り付けた。
 直江が私の言葉を認識しただろうと見当をつけてから、走り出す。上杉を出る道をなぞっていく。
 自分の口にした、あの願望が気持ち悪くて、今度は傷をつけるように拳を握りこんだ。
 揺れる頭の中で、あいつの無表情が消えてくれない。

 ──「よく来た、名前」。
 私はね、直江。あのときみたいに「おかえり」って言ってほしかったよ。

まるく閉じた安寧を去る

title by afaik 170524