075
鍾離様を一発ぶん殴りたい。
相手は「元」とはいえ岩王帝君、不敬極まりない願望だ。仙人としても、尚更「あの方を……」という感情は無いとはいえない。
が、振り回された身としては一発ぶん殴りたい。
送仙儀式を見守りながら、私ばずっと拳を握り締めていた。辺りを元素で水浸しにしなかったのを褒めてほしいくらいだった。
岩神の死からの一連の騒動、夢枕に立った御本人の言。
どこからどう考えても、鍾離様が完璧に得をしている。全て手のひらの上であった。さすがは岩神モラクスであるし、生きていらっしゃったことを喜ばないわけもない。
けれど、こちらとしては、その~……、なんていうか~……。
「心配させておいて……」
足元の小石をころんと蹴った。
勝手知ったる璃月港は、なんだかんだで活気を取り戻しつつある。この人間のしたたかさこそ、鍾離様が確認したかったものだ。ピンばあやと同様、私も人間のこういうところは知っていたけれど、良くないところも知っている。「契約」が無ければ何をしたものかわからないし、「契約」を逆手にとるような輩だって居る。人間はそういう生き物だ。
そんな世界なのだから、鍾離様はもう少し、人間が賢くなるまで、神として君臨していてくださっても良かっただろうに。
──と、いうのも建前だ。
結局私は、心配で、寂しくて、勝手に置いていかれた気になっているだけだ。
別れなんて、いつでも訪れる。長くを生きてきた存在として、知っているつもりだったのに。
「……そこに居るのは、名前か?」
「鍾離様」
考え事をしていたせいか。まさか御本人がいらっしゃるとは、そしてその気配に気付かないとは、不覚。声のした方を見ると、青果店の前に鍾離様が立っている。その佇まいは、力に溢れている反面、どこか身の置きどころがなさそうだった。片手にはなぜか楊枝が一本。
鍾離様に名を呼ばれて、無視をするわけにはいかない。さっと駆け寄ると、腕を組んだ店主が私を睨んだ。仏頂面だ。
「この兄ちゃん、モラが無いって言うんだよ。知り合いなら出せるよな?」
「鍾離様?」
隣を見上げる。
「すまない、既に頂いているんだ」
「は~~……」
楊枝はそういうことか。カウンターにあるカットされたモモを見れば、もう察しがつく。
片手で額をおさえてしまった。言われてみれば、モラとは鍾離様、というより岩神の一部だ。わざわざ持ち歩くという発想に至らないのも納得である。
鍾離様といえば、私の溜め息に少しばかり驚いているようだった。さもありなん、鍾離様が神としていらっしゃった頃には、私はしっかり畏っていた。今はもう、変に吹っ切れてしまったようだと自覚している。
「おいくらですか」
財布を取り出して、言われた通りの金額を払う。示されたのは適正価格だったが、わずかばかり上乗せした。
終わってから、鍾離様の手をそっと引いた。これにもまた、鍾離様が驚く。
良いでしょう。今のあなたは、ただの凡人なのだから。
殴る気もなんだか失せてしまった。
全部思い通りにしたくせに、変なところで失敗しやがって。
まったく、なんなんだろう、この人は。