18
あの後に、また名前殿の元を訪れる約束をした。今度は彼女が眠っていることもなく、すんなりと工房に招き入れられる。
驚いた。
「……気を悪くしたら申し訳ないが、……見違えたな……」
工房が、綺麗になっている。
床にあれだけ敷き詰められていた物たちは、いくつかの山を作りながら部屋の隅にまとめられていた。棚などに片づけられているわけではないけれども、断然すっきりしている。
陽光さえ射していた。あの真っ暗だったはずの部屋に、あたたかい光が満ちている。
「いやあ、ちょっとくらい整理しようと思って棚をどかしたらね、窓があって。私も驚いた」
照れくさそうにする名前殿の表情には、もう引っ掛かりを覚えるところはなかった。
座る場所も用意されていて、ふたりで腰を落ち着ける。
……とん、と彼女の肩が私の腕に触れた。心臓が跳ねる。横を見下ろしてみると、心なしか、今までより距離が近いように思えた。片付いて座る場所は広くとれるようになったのに、どうして、わざわざ。
疑問は浮かぶが、悪い気はしない。名前殿と近いところに居られるのは嬉しかったし、もしかすると、彼女が以前より私に好感を抱いてくれたことのあらわれかもしれなかったからだ。
彼女がゆっくり顔を上げる。目が合った。
「ありがとう」
「な、……なぜ?」
「この前のこと。すごく助かった」
感謝の言葉に疑問を呈すれば、名前殿はそう言った。
……良かった。私は、彼女のためになれたのだ。
私は、やっと一歩を達成出来た。
思うと無性に腕が動きそうになる。彼女を抱き締めたくなる。
(横に座った状態で彼女を抱き締めるとはどうすれば良いのだろう。身体をねじればできないことはないし、肩を引き寄せれば私の正面に彼女の身体を傾けることが出来る。しかしそれではしっくりこない。今私がしたいのは彼女を真正面から抱き締めることであって、ああ、それなら彼女を抱き上げて私の膝の上に、────、駄目だ)
駄目だ。こんな想像をしてどうするのだ。そんなこと出来るはずがないだろう、だって私と彼女は、……ええと、そう。恋仲、ではないのだから。恋仲でないならしてはいけない。恋仲になりたい。
落ち着け。
気付くと欲望が巡っては自戒と順繰りに繰り返される。頭の中が忙しい。心臓もどきどきとするし、顔も熱くなっていた。
「……そ、そんなに照れること?」
「ああ、いや、すまない、つい……」
何が「つい」なのだろう。
不思議そうにした彼女に「つい」言ってしまって、頭を抱えたくなる。
格好がつかない。
……格好といえば、文虎は言っていた気がする。
「好きな人には格好良く見られたいと思いがちですけど、好きな相手の格好悪いところも見たいとか頼ってほしいとかも思うっすよね。
だから、好き合ってる同士なら問題無いんじゃないかなって。俺はどうしても恥ずかしくてできなかったっすけど」
思い出した言葉が、喉の奥につっかえた。
……好き合っている同士なら。
「名前殿、今手がけているのはどんなことなのだろうか」
彼女に問いかける。名前殿は「やりたいこと」と言っていた。
それが何なのか、知りたくなったのだ。
名前殿は視線を彷徨わせる。言葉に迷っているようだった。
「うーん、今やってるの、普段の仕事とは違うんだ。半分くらい専門外」
「そうなのか。……となると、難しいのか?」
「んー、うん」
困り眉になった彼女は、詳しく説明してくれた。
今造っているのは兵器で、家にあった書きかけの設計図から完成型を予想し、完全な設計図を作ろうとしている、という。私で言うと、擲槍以外の武器、たとえば剣の類を、師に教えを乞わず自らの知識だけで習得するようなものだろうか。
……それは、なかなか難しいことのはずだ。名前殿はこれから、大変な努力を必要とするのだろう。
そんなことをしようと、どうして決めたのだろうか。
立派だ。強い決意だ。素晴らしいことだ。
しかし、妙に気にかかって仕方がない。私はとっくのとうに、これもまた「恋」のせいであると知っていた。
「……名前殿、それは、司馬昭殿の」
「あ!! 言ってない!!」
「え?」
名前殿は、目を丸くして手を叩いた。その音に驚いてしまったが、彼女は私の様子を気にすることなく「わすれてた」と呟く。
「兵器造りたいのに司馬昭殿に連絡してなかったら、作りようも進言しようもないもんね。気付いてくれてありがとう」
「あ、ああ……」
そういうことか、と頷いた。彼女は勘違いをしたようだ。
私の聞きたかったことは遮られてしまったが、その方が良かったかもしれない。
「それは司馬昭殿のためだろうか」なんて、嫉妬のこもったひどい言葉だ。名前殿は司馬昭殿を信頼している、この国の軍事に関わる人間なのだから、王たる彼のために働くのに決まっている。
名前殿が私のために何か懸命な努力をしようとする理由など無いのだ。
……彼女は以前、私に市街を案内してくれた。それだけで嬉しかったし、満たされたはずなのに、私はそれ以上を望んでしまっている。なんと欲が深いのか。
私は、彼女に笑ってほしい。
同時に、彼女に触れるための口実がほしい。私を好きになってほしい。
自分と同じ想いを相手に求めるなど、独りよがりも甚だしい。しかし、意識の外に追いやろうとしても必ず戻ってきて、頭の中に張り付いてくる。
自分が相手を幸せにしたいと願うだけなら、綺麗で正しい感情なのだろうに、「恋」はそれを許さない。身の程にあったものでは満足出来ず、もっと深いものを望んでしまう。
こんな欲望を抱くことがあるなど、今まで一度も予想だにしなかったのに。
──恋というのは、なんて厄介なのだろう。