15
名前殿と、仲良くなろう。
私の脳に、そんな考えが根をはっていた。
文虎に「恋をしたらどうするのか」と尋ねたあの日、帰ってきた答えはこうだった。
「兄上は、名前殿とどうなりたいですか」
「どうなりたいか……」
言葉を繰り返し、考え込む。どうなりたいか。
どうなりたい?
その問を自分に投げかけても、何も浮かんでこない。「恋」という名を胸にとめたうえで名前殿と改めて会ってみれば、思いつくものもある気はする。今は何も言えなかった。
「わからない」
「え」
ただ。
「他の願望はある」
ひとつだけ。頭に引っかかったことが、ひとつだけ。
あの泣き笑い。
「笑顔が見たい」
告げると、文虎は、おお、と小さく声を上げる。そのあと、頷きながら言った。
「じゃあ、やっぱり。仲良くなることが第一じゃないっすかね。
兄上が名前殿とどういう風にしているのかは見たことないですけど、話を聞いている限り、きっと今まで通りで良いんじゃないかなって」
笑顔が見たいかあ、そういうの、兄上らしくて良いと思います。
文虎はそう言ってはにかんだ。
──だが、「仲良くなる」と言っても、それは一体友人に対するものとなにが違うのだろう。恋と友情の違いは何なのだろう。
答えを知るために「どうなりたいか」を確かめたくて、名前殿に会いたかった。けれどあれ以降、彼女は木陰に来ない。もともと会う日時は不規則だったからなんらおかしくはないのだが、なぜか胸を締め付けられる。あまり気持ちの良い感覚ではない。
名前殿と出会ってから初めて覚えた感覚、というのはいくつもある。そのどれもが不可思議で、しかし心地良いものだったのに。
ふと頭の中に転がり込んできた言葉は、「嫌われただろうか」という不安だった。どうして、今更そんな感情を得たのだろう。
罵られても良い、と。それが当然だ、と。そう思ったのはごく最近のはずだ。
今はそう思えない。
彼女には、私を好いていてほしい。
こんな縋るような願望は初めてで、ひとりで首を傾げる。(この欲が、恋なのだろうか)
そうやって、ずっとぐるぐる考え続けていた。
唯一、鍛錬をしているときだけは頭から消える。だから、夢中で槍を振るった。
だが。
「──!」
「……名前殿?」
槍を下ろす。
名前殿の声が聞こえた気がした。
ここはあの木陰ではなく訓練所だ。とうとう鍛錬をしている最中も名前殿のことが頭から離れなくなってしまったのだろうか。それは武人としていかなものか。
そうは思えど、つい周りを確認してしまう。今の時間は昼飯どきだから、女官が立ち止まりはするが兵はまばらだ。
そのおかげだろうか、すぐ見つけられた。
足首を押さえて地にへたりこんでいる名前殿を。
「名前殿!」
怪我をしているのか。
そう分かってしまえば、すぐに駆け寄っていた。
だのに、私が来たことに驚いた表情をする名前殿のその顔は、まさか助けてくれる人がいるとは思えなかった、と言っているように見えて。
「転んだのか!? 怪我は!?」
「いや、大丈夫、大丈夫だから、文鴦殿は鍛錬を」
「今はあなたの方が大事だ!」
確かに鍛錬は大事なものだ。しかし今しか出来ないことでは無い。放りっぱなしにせず、適正な処置をしないといけない怪我とは全く違う。
気付くと眉根に力が入っていた。
拒む名前殿に、真っ向から対峙する。
「ほんとに、大丈夫だから」
「そうは見えない」
退くものか。
作り笑いをして立ち上がろうとする名前殿の腕を掴む。
その指が、空振るように空を切った。階段がもう一段あると思い込んでいたら実はそうでなかった、というのと同じだ。
思っていたのよりずっと、名前殿の腕が細かったのだ。
私の背丈からすれば、彼女が小さいのなど当たり前だ。細いのだって。
けれど、これほどだなんて。
こんな細い、私が力を入れればすぐ折れてしまいそうな身体で。
名前殿は、あんな風に笑うのか。
「将が戦場で受ける怪我と比べたら、全然でしょ」
「小さな怪我が大事になる場合もある」
「だから、そんなの、文鴦殿だって同じじゃん。むしろ戦場の方が、死ぬかもしれないのに」
遠慮ではなく、強い語気で発せられた反抗の言葉。
いつかのように此方を見ることのない小さな身体の彼女の姿は、弱い生き物が身を守るため懸命に虚勢を張っているのと同じに見えた。
やはり退けない。
嫌われたくないとは思う。拒まれることに悲しみも覚える。
けれど、私のいちばんの欲求は変わりなく「笑顔が見たい」のままなのだ。
こんなに辛そうな、──心細そうな彼女から手を離したら、笑わせるなんて夢のまた夢に違いない。
「変わり者のうえに心配性か、君は」
「戦場では死ぬかもしれない」と彼女は言う。その言葉の通り、戦場で大事な人を失ったことを知っている。寂しそうなのはそのせいだろうと見当はついた。
しかし、私は死ぬ気などない。果たしたい志がある。それに、そのような顔をする彼女を残して、先に逝けるものか。
だからそういう素直な言葉を返せば、名前殿は医者に行くことを決めてくれた。
だが、足を怪我しているのに歩かせるわけにはいかない。
(……抱き上げよう)
彼女の身体に触れることは、いやに緊張を覚える。これももしかすると「恋」が原因だというのだろうが、今は医者に連れて行くことが優先だ。
名前殿の膝裏に腕を回して立ち上がると、彼女は硬直する。驚かせるとは思っていたが、混乱して暴れられることがなくて一安心だ。
それにしても、びっくりして身を縮こまらせているのが、私より遥かに小柄な彼女をさらに小さく感じさせる。見ていると息が詰まった。なぜだろうか、いとおしくて、たまらない。心臓もばくばくとうるさくなっている。
名前殿の顔も近い。彼女の髪がさらさらと私の頬をくすぐっているし、私を見てくれるようになった瞳がすぐ側にある。
彼女の身体を持ち上げている腕には、柔らかな肉が食い込んでいた。筋肉ではなく脂肪だろうか。しかしだらしなく弛むわけでもなく、(……私は、何を考えているのだ)。女性に疎くとも、これが不躾な感想だということぐらいは分かる。
けれど、こんな無礼はきっと名前殿以外には思わない、というのも本能的に分かった。
このひどい意識も、恋だと言うのだろうか。
情けない動揺を名前殿に見せたくない。どうにか平静を装って、彼女と会話を続けた。
あなたを助けたいのだ、と伝えた結果、名前殿に凭れかかられたうえ首に腕を回されて、隠すのがもっと難しくなったけれど。
──ああ、でも、彼女を少しでも助けられるのなら、良かった。