14
※以後ブラスト風文虎登場
そわそわする。
名前殿と出掛けてから帰宅した後、なんだか気持ちが落ち着かなかった。こういう感覚には覚えがある。戦いに身を投じたあと、闘志が昂ったままになることは少なくない。
「兄上、ご機嫌っすね」
「文虎」
私をじっと見ていた文虎は、そう言って笑った。何やら文虎まで嬉しそうにしている。
「友人と出掛けるって言ったましたもんね。楽しかったようで何よりです」
「そうだな、とても。……とても嬉しかった」
彼女の瞳が、私を見つめていたことを思い出す。はじめて視線が交わったことも。それを嬉しいと伝えれば、彼女は慌てたものの嫌そうにはしなかった。そして、頬を赤く染めていた。風邪をひいたようでもなくて、どうしてそんな顔をするのか分からなかったが──。
どくり、と心臓が跳ねたのを覚えている。
さらには、むずむずと胸のあたりが痒くなった。自分の体と、食事をするために前に突き出した腕の間の空間、そこに何か必要なものがあるはずなのに、何も無くて、その欠けのせいで居心地がしっくりこなくなるような、もどかしい感覚。私は今もきちんと五体満足なのだが。
「……兄上?」
「あ、ああ。すまない、考え事をしていた。どうした、文虎」
呼ばれて意識を引き戻される。不思議そうな丸い目が私を見上げていた。(……別に、文虎と目を合わせてもあれほどの気持ちにならないのに。なぜ名前殿とだけ)
文虎は首を傾げたあと、少し考える素振りを見せた。そのうち、「まじで? いや、でも……いや……」とぼそぼそ言う。また言葉遣いが乱れている、と指摘する前に、焦った顔で文虎が問いかけてきた。
「兄上、よく名前殿の話をされますよね」
注意も忘れて頷く。事実だ。名前殿と会った日には、必ずと言って良いほど文虎に話している。友人というものが出来たことが嬉しくて、つい話題にしてしまうのだ。しかし、それがどうしたというのだろう。
首を傾げながら文虎を見る。文虎は少し言いにくそうに口を開いた。
「……もしかして、兄上は名前殿のことが好きなんですか?」
「……好き?」
言葉を反復する。好きか、と言われた。それは、好きだが。
「恋、って意味で、すよ」
「──、こい」
こい?
頭がうまく働かない。「恋」という単語をうまく呑み込むまで、いくらか時間がかかった。
恋。
言葉は知っている。文虎が「好きな子ができて」だとか、民や兵士が「好いた相手と結婚できた」だとか、そういう話をするのを聞いたことがあった。
自分が体験したことは無い。
だから、恋か、と聞かれても、恋とはどんなものなのかを知らないから、確信が持てない。
悩みこみ、黙りこくるだけになってしまう。
文虎はあわあわと「すみません、勘違いですかね」と言うが、私は「いや……」と制するしかなかった。
「どう、なのだろう」
結局、素直に疑問を言葉にした。文虎は目を瞬かせる。次いで尋ねた。
「恋、とはどのような気持ちなのだ?」
「えーっと……」
文虎が口ごもる。答えにくいことなのだろうか。
先ほどから、文虎はらしくなく迷いながら「恋」について話す。文虎の言葉はいつも真っ直ぐで飾らない。自慢の弟だ。しかしこれほど言葉に詰まるとなると、「恋」とは、とても難しい事柄なのかもしれなかった。
それでも言葉がまとまったのか、文虎は教えてくれる。その顔は真っ赤だ。(名前殿もこのように赤くなっていたが、彼女に感じたものを文虎には感じないな……)
「心臓がどきどきするとか、可愛いな~とか、だっ、抱き締めたいな~とか……」
どうっすかね……。
だんだん小さくなっていった声。しかし彼の挙げた例は、最後まできちんと耳に届いた。
その中のひとつ。
抱き締めたい。その言葉に、点と点が繋がった。私の身体を襲った、あの何か足りないような感覚は、それだったのではないだろうか。思わずあの感覚を覚えたときのように自分の腕を持ち上げて、腕と身体の間にできた空間を見る。
──この腕を交差させて、その中に名前殿を収める。ここに、名前殿を。
抱き締める。
いつも隣に感じていた、小さな体躯。ええと、抱き締めるとなると、たとえば彼女の髪に触れるのか。その背にも。むしろ彼女の身体の前面は、私の身体の前面とぴったりくっつくことになる。彼女は私のように筋肉がついているわけではないから、子供のように柔らかいのだろうか。
そうやって、名前殿を抱き締める。
私の背に寄り添う言葉をくれた名前殿を、背ではなく私の前に引き寄せて。
抱き締める……。
「…………う」
か、と顔が熱くなる。あのあつい空気がもっともっと温度を上げて、胸から喉を突き抜けて、私の頬でぐるぐる回る。心の臓がばくばく動く。戦場で激しく動き続けたときのような速さ。いや、それよりも速いのではないかとさえ錯覚した。
心臓が、どきどきする。(文虎が言っていたのは、これか)
「……ぶんこ」
腕の中に向けていた視線を、弟に戻す。文虎は少し眉を下げて、しかし、にやにやと笑っていた。
「恋っすね!?」
「……、そのようだ」
目を輝かせての問いかけに、肯定を返す。先ほどのしどろもどろな様子から一転、文虎は楽しげだ。
……友人が出来た、と伝えたときや、名前殿の話をするときも、文虎はこういう顔を見せた。つまりは、私の交友関係について心配をかけさせていたのだ。
優しい弟だ。今もこうして私が自覚していなかった感情に付き合ってくれる。
口元が綻んだ。
文虎、聞いても良いか、と口にする。はい、と元気な返事が返ってきた。それに安堵する。私にはまだ分からないことが多い。ならば知識のある相手に教えを乞うのが順当だ。文虎にはもう少し、相談に乗ってもらうことにした。
「恋をしたら、どうすれば良いのだ?」
「あっ、はい、そうっすね、そこからっすね……」