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ひとりの娘が泣いていた。
思わず足が止まり、目がずっとそちらに向いたままになる。大木の下に座り込む彼女は、木の影で身体中を暗色に染めていた。
女官という服装ではない。俯いているから未確定だが、おそらく若い娘。肩を震わせ、目元を袖で拭い、嗚咽を零している。
泣いている人を見たら、「どうしたのですか」「体調でも悪いのですか」と聞きに行く。それが普通で、するべきことだと思う。なのに私は、どうしてか立ち止まったまま見つめるばかりで、声をかけなければ、と気付いたのは幾ばくか経ってからだった。
気付くのに遅れたことから思わず気が急いて、その場から「あの」と第一声を発してしまう。彼女は突然の声に戸惑ったのか、少し遅れてから顔を上げた。
「これは、初めまして。文鴦殿」
目は合わない。しかし、彼女はそう言った。
驚いた。
彼女が私について知っていたことに、ではない。良くも悪くも有名人なのは自覚している。目立つ体躯をしているうえ、父上に関する所業の数々もある。
私が驚嘆した、というより衝撃を受けたのは、また別のことだ。
彼女の表情。
泣いたままの笑み。
それが、まるで、「彼女は自分が泣いていることを知らないのか?」と思わせた。
(なんてわらいかたをする人だろう……)
地面に縫い付けられていた足が、今度は明確な意思に突き動かされて、彼女のもとへ早く早くと動く。泣いている人に抱く心配以上のもの、とにかく気がかりだ、という気持ちでいっぱいだった。
人死にが蔓延る世の中だ。泣くのを我慢して、あるいは、泣きながらも、強く笑ってみせる人は何人も見てきた。
しかし、彼女のそれは違う。
泣いている彼女と、笑っている彼女が切り離されて、ばらばらに存在しているような。泣きながらも意図的に笑っているのではなく、ただ、自分の感情を制御できていないような。物心つき始めの子供だったらするかもしれない、けれど、私と同じくらいだろう歳の娘がするには、少しちぐはぐな気がする。
初めて見るものだった。
ああ例えはしたが、実際のところ、私は物心ついたばかりの子供や娘の泣き笑いを、それほど見たことがあるわけではない。今まで民と接することもそれなりにあったものの、基本的に周りは武人だらけ。そのうえ私は自らの文武を磨くことに心血を注いでおり、社交的な行いは二の次だった。
だから、正確なところは分からない。ほんとうは子供も感情をうまく扱えるもので、娘はこういう風に泣き笑いするものなのかもしれなかった。
それでも、私が、今、目の前にしている彼女を、私は、──いたましい、と感じた。それで十分だとも思うのだ。
見下ろせばすぐ彼女の顔が見られるところで足を止める。
不思議な表情をする彼女になんと言えば良いのだろう。未知で、強度も形も知れない、人の心に触れる方法が、思いつかない。
迷って、結局、月並みな言葉を選ぶ。
「どこか痛いところでも?」
私がもっと人との会話に長けていたら良かった、もっとその力を磨いていたら良かった、と内心至らなさを噛み締める。
彼女は腹を押さえているわけでも、頭を押さえているわけでもない。ましてやあんな顔をする人が、身体を悪くして泣いていたのだとは思えなかった。なにか心を痛めているのだというのは自明。
しかし、まるで迷子のように、父の手も母の手も見失ってしまったような彼女に、その手の所在を尋ねるのも違う気がしたのだ。
司馬昭殿のような人なら、彼女の知らない彼女の「痛み」を見抜いて的確に声をかけられたのだろう。けれど私にとって、見たこともない泣き方をする娘を傷つけぬよう会話することは、どんな将を相手するより難しいように思えた。
それでも退くことはできなくて、彼女の隣に座る。
……しかし、やはり、どうしたら良いのか分からない。
そもそも泣いている娘とふたりきりになること自体が初めてだ。泣いている民に声をかけたことはいくらかあるが、そういうときは大抵相手の家族や友人なども共に居るものだった。ふたりきりの場合、どう付き添うものなのだろう。
少ない経験を思い出して、状況に合う言葉を探す。泣いている相手にかける言葉とはどんなものがあったか。
そしてなんとかひとつ思い出して、一生懸命に涙を拭う彼女に言う。
「目を擦っては、腫れてしまいます」
彼女は頷いた。が、次の瞬間、私はぎょっとした。彼女が背を丸めて、さらに泣き出したのだ。
まさか言ってはいけない言葉だったのだろうか。私は何かまずいことを。反射的に跳ね上がった手が、私のぐるぐる回る思考と一緒に右往左往する。(ええと、では、どうすれば……)
何か、どうにかできる言葉を記憶の底から掘り出そうと頭を働かす。
「ふ、ふふ」
……そこに、音が飛び込んできた。彼女は相変わらず肩を震わせていたし声を洩らしていたが、その間隔と音がまったく違うものになっている。
笑っている。
笑っている、が、笑っていない。先ほどのように感情を制御できない笑みのような感じはしなかったが、釈然としない。相変わらず、泣くのを耐えて笑っている、という感じでもない。
笑うべきだから笑っている。
その言葉がいちばん合う気がした。
そんな形式的な笑い声で、「なんだか元気が出ました」と彼女が言う。そんなはずはない。
けれど私は、彼女にかけられる言葉を持っていなかった。