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 私がどうしようもない人間なのは変わらない。だけれどきっと、前よりずっとマシだった。


 文鴦殿への恋を自覚してしまった途端さらに作業が早くなったのは、いっそ滑稽だった。それでも早く早く、早く完成させなければ、と気が急くのを止められなかった。
 ──そのせいだろうか。予想していたよりも、ほんとうに随分早く、設計図が完成してしまったのである。

「……やった」

 扉を閉じ、治った足で、ふらふら城内を歩く。司馬昭殿の「よくやった」が頭の中で繰り返された。

「やった」

 兵器開発班の頑固な人たちが、悔しそうにしたり目を丸くしたりしていたのを思い出す。ちょっとだけ面白かった。

「やったよ、文鴦殿」

 完成した設計図は、持って行けば、皆に認められた。未だその性能に疑い混じりの人も、論争の結果渋々ながら頷いてくれた。攻撃的な話し合いは苦手だから、体は冷え切るようだったし手足は震えたし散々だった。だけれど司馬昭殿の権力と、あの設計図の根本を描いた人の名前が強く、とても助けられた。私ひとりの力ではない。それでも、成し遂げられた。
 達成感というのよりは、とうとう終わった、という感覚の方が大きい。今はとにかく、文鴦殿に会いたかった。
 早く、帰らなければ。


「──文鴦殿!」
「名前殿、帰って来たのか!」

 文鴦殿には、設計図の提出の結果報告をしに行くと予め伝えてあった。その約束通り文鴦殿が自主鍛錬する時間帯に訓練所に向かえば、丁度ひとりで鉄擲槍を振るっている。見積もりが合っていたようで嬉しい。声を掛けると彼は笑ったのち、手早く支度を済ませてこちらに来てくれた。

「今、時間大丈夫?」
「ああ、問題無い」

 頷いた彼を引き連れて、人目を避けられるあたりに行く。あの木陰に行けたら一番良かったのだけれど、そこまで移動時間を取らせるわけにもいかない。
 良さそうな場所に落ち着き、改めて文鴦殿を見上げると、彼はいつかのように身を屈めてくれた。視線が近くなって、少し恥ずかしい。それを悟られないように、あのね、と切り出す。文鴦殿は、たぶん、今から私が「成功した」と言うのだと分かっていると思う。嬉しいのが顔に出ている自覚があった。でも、彼は私が言うのを待ってくれている。

「成功した。成功したよ。文鴦殿。ちょっと怖かったけど良い評価をもらえた」

 伝える言葉はいささか早口になっていた。いざ言ってみて、自分はほんとうにうれしく思っていたのだな、と気付く。喉がきもちよく震えていた。
 私の報告を聞いた文鴦殿は、先程から浮かべていた微笑を深くする。

「おめでとう。名前殿の日々が実を結んだのだな」
「うん、うん、そうだといいなって、思う」

 ああ、やはり彼の声色は真っ直ぐだ。胸にじんと染み渡るようで、そのあたりをぎゅうっと握った。やっと終わった、なんて思っていたけれど、彼の言葉を聞いた途端、私はうまくやれた、に変わっていた。嬉しいのと満足感と照れくささが混ざった感情は、抱えるのが全然つらくない。
 文鴦殿が向けてくれる笑みが、今とても心地良かった。

「名前殿の兵器が完成すれば、戦で私たち将も心強い」

 息を呑んだ。思考が硬直する。

「こころづよい?」
「ああ、とても助かる」

 馬鹿みたいに繰り返して、ようやく飲み込む。
 私のやったことが、文鴦殿の役に立てる。戦場という死と隣り合わせの場所に行く彼を、少しでも守ることが出来るかもしれない。
 完成した、成功した、そちらを喜ぶことに使っていた心が、別のことを喜ぼうとしている。そして、その別のことの方が、ずっと嬉しかった。
 そうだ。そうだった。私は最初、そのために決意したのだった。文鴦殿に言われて、やっと、成功したというのはどういうことか、頭の中で再度繋がった。

「ぶんお、どの。たすかる? 私、わたし、文鴦殿のこと、たすけられる、かな」
「勿論。──……まさか、名前殿、あなたはそのために、今まで?」

 自惚れだろうか、と続けられる。それに私は、うぬぼれじゃない! と声を上げた。自分でも焦りすぎた叫び。でも自惚れなわけがないだろう。謙虚がすぎる。私は君が好きなのに。たまらなくなって畳みかけた。

「わたし、君とずっと居たかったんだ!」

 脈絡のない言葉になっているとは言いながら気付いた。恥ずかしい事を言っているとも。だけれど一番吐き出したいのはこれだった。
 瞬間、世界が揺れる。何かに強く身体を引かれた。視界が一色で埋まって、汗の混じった未知の香りがして、それで、熱い。
 つまり、私は、彼に抱き締められている。

「……、え? ぶんおう、どの?」
「すまない……」

 すぐ傍で聞こえる彼の声は、珍しく震えていた。何を謝っているのかも、どうしてこんなことになっているかも分からずに、頭の中がぐちゃぐちゃになっている。心臓の音が煩くて、文鴦殿に聞こえていないかも気になった。
 とにかくまずは何かしら彼からの答えが欲しくて、それを待つ。抱き締めてくる彼の腕は力強く、痛いぐらいで、普段の穏やかな彼との差にどきどきしていた。

「少しだけ、我慢してくれ。……どうしても……。
 ──あなたが、愛しくて……」
「い、……え?」

 耳を疑う。私の都合の良い空耳ではないだろうか。今のはほんとうに現実なのだろうか。思わず「いとしい?」と聞き返すと、「そうだ」と肯定された。その声は相変わらず切羽詰まっていて、本当なのか、と思う。
 愛しい。文鴦殿が、私を愛しいと言った。
 ……それは、どういう意味で?
 安心して喜べない、だって文鴦殿は半分天然で、素直で、それで、私は、マシになったとしても、絶対まだどうしようもない奴のままだ。そんな奴への愛しさは、いわゆる恋心にあたるのだろうか。

「名前殿、聞いてくれ」
「う、ん」

 辛うじて頷く。文鴦殿はゆっくりと身体を離し、私の肩に両手を置いたまま、視線を交わらせてきた。
 その目に驚く。文鴦殿の揺らがない強い瞳。その奥にあるものはいつだって私への情だった。親愛だろうと思っていたそれだった。でも今私が見ているものは、私を見ているものは、それと違う。もっと深く、熱い。

「私は、あなたを愛している」

 ──本気? そう言いかけた。すんでのところで飲み込んだ。息も出来ない。口が壊れて声も出さずにはくはく動いた。
 何か言わなければ。何を。私は何と言ったら良い。この真っ直ぐな人の真っ直ぐな言葉に返すべきは何だ。
 そうやって考えて、彼の真摯な想いには真摯な想いで返さなければ、私は一生後悔する気が、した。私の本音を、正直に言わなければ、と。
 私はどうおもっているか、……それは。

「私、君のとなりにいたい」

 すんなりと零れ落ちた。隣に居て欲しい、と思ってきたのに、いちばん最初に浮かんだのはこれだった。口にした途端縋りたくなって、彼へ手を伸ばす。その胸元を握った。

「文鴦殿が好きなんだ」

 うるさい呼吸の音が耳に届く。緊張しきったみっともない音だ。でも止めようがない。好きな人に好きだと言われるのも、好きな人に好きだというのも、平静を保てるわけがなかった。
 目を見開いて硬直していた文鴦殿は、やがてゆっくりと動き出す。肩にあった手が背中に回り、今度こそ彼らしい穏やかさで抱き寄せられた。むしろどこかおっかなびっくりになっているぐらいで、……なんだか可愛らしい。少し笑ってしまったのと一緒に、強張っていた身体から力が抜ける。さらにはやっと安心が心の中に湧いてきて、じわ、と目に涙が浮かんだ。それでも口は笑ったままで、いわゆる泣き笑い。

「文鴦殿、私、居ても良いかな」
「良い。私も名前殿と共に居たい」
「……私、また諦めて、泣いちゃうかもしれないよ」
「それでも、ずっと傍に居る」
「また、……はは、また、工房散らかしちゃうかも。そのときは、文鴦殿に、片付け手伝ってー、って甘えちゃうかもだよ」
「なんだって頼ってくれて良い。頼って欲しい。私はずっとそう思ってきたのだ」
「……そっか」

 そこまで言ってもらえると、もう憂いは一切無い。文鴦殿がそう言うのだから、もう全部甘えてしまえ。
 いっそ楽しくなってきて、嗚咽以上に腹が震える。私の笑い声に気付いたのか、文鴦殿は不思議そうにどうしたのかと問いかけてきた。きょとんとした顔が目に浮かぶ。それがまた面白くて、私は文鴦殿の背に腕を回しながら彼の胸に額を擦りつけた。
 頬が緩みきってどうしようもない。涙は止まらないのに、もう、これまで生きて来た中でいちばん自然に笑えているような気がしている。
 そうなってくると伝えたくなってしまって、笑う合間に「私はね」と切り出した。

「文鴦殿と一緒に居るの、すごくしあわせだ」  

永遠にほど近いところで笑う

title by 金星 161217