09

 気分が良い。
 その一言に尽きた。
 怖がっていた設計も、簡単ではないもののすらすらと進んでくれる。流されただけの勉強だったけれど、学んだことはちゃんと役に立ってくれていた。
 工房の床も一度片付け直し、文鴦殿を招いては息抜きをしている。片付けのことにおいては、少し愉快だったのだけれど、邪魔だった棚を動かしたらそこにもうひとつ窓があった。ずっと塞いでいたわけだ。陽光の射す部屋は明るく暖かで、あの木陰にも似た、けれどどこか違う、不思議な居心地の良さがある。
 そんな空間で文鴦殿と一緒に居られるのは、とても幸せなことだと思う。


「設計図の進み具合はどうだ?」
「ん、まあぼちぼちかな。やー、進めれば進めるほど、これを考えた人は凄かったんだなって思うね。才ってやつ」
「そうか……」

 文鴦殿がやさしく笑う。安堵しているらしい。私が設計図に取り掛かっていると言ったところ、文鴦殿はたまにこうして少し遠慮しながら聞いてくるようになった。そして私の返事が何であれ微笑んで頷く。見守られているのがこそばゆくも嬉しい。彼はあの言葉通り、私の隣についてくれているのだった。

「それと、司馬昭殿から返事は来たのか?」
「うん、来たよ。……期待してる、根を詰めすぎずほどほどに、って」

 司馬昭殿の言葉を唱えるようになぞって、文鴦殿に伝える。
 設計図のことを話した際、「それなら司馬昭殿にお伝えしておいた方が良いのでは?」と文鴦殿に言われ、そりゃあそうだと納得したのであった。一応怪我人なもので直接出向かず使用人伝なのだけれど、まあ司馬昭殿だし許してくれるだろう、と甘えきらせてもらった。

「根を詰めすぎず、か。確かに名前殿は無理をしがちだからな」
「そんな言うほどかなあ……」
「言うほどだ」

 文鴦殿が深く頷いたので、そこまで深く頷くほどとは、と苦笑いが零れる。
 だけれど、もし私が本当にそういう人間だったとしてもあまり問題はないだろう。
 なんせ、今私の隣には文鴦殿が居る。

「私、文鴦殿のおかげで肩の力抜けてると思うよ。それでも目に余ったら文鴦殿が止めて」
「そのつもりだ」

 また深く頷かれた。どこか満足げというか誇らしげというか、とにかく嬉しそうで、見ていてこちらも浮き足立ってくる。不思議だ。文鴦殿が嬉しそうだと、私も嬉しくなる。
 そういう意味でも、文鴦殿とこうして交流することは私に良い方向に働いているのではないだろうか。

「……君と居られる私は幸せ者だなあ」
「……そうか?」
「そうだよ」

 目を瞬かせた彼に笑ってみせる。と、文鴦殿は眉を下げて、口元を緩めた。色白な頬が赤くなっている気がする。照れているみたいだ、いや、ほんとうに照れているらしい。ほんのすこし色素の薄い瞳はあたたかく笑んでいて、優しい目元がゆるやかに狭まっている。幸せだと言った私より幸せそうな顔をしているんじゃないかとさえ思った。さっきだって嬉しそうだったけれど、その数段上を行く。
 そんな顔をされると、此方も照れるというか、確かにちょっと恥ずかしいことを言ったかもしれないというか、落ち着かない。

「……き、きみ、随分嬉しそうに笑いやがるな」

 その結果、まるで彼が悪いことをしたような言葉を吐いた。我ながら小狡いと思うものの、文鴦殿は気にせず、しかも「ほんとうに嬉しいから、つい」と言った。
 ……本格的に恥ずかしくなってきた。身体の奥でぐるぐるする感情を逃がすように、膝の上の手をもぞもぞ動かす。なにがどうしてこんなに照れくさいのかとはうまく言えないけれど、とても恥ずかしい。文鴦殿の素直さは美徳だけれど、こういうのは、少し、困る。でも好きだ。……好き、だ。
 引っかかった言葉を心の中で復唱して、文鴦殿を窺い見る。
 目が合うと、心臓がどくりと唸った。その挙動を突き詰める前に、文鴦殿が口を開く。

「私も名前殿と居るのは幸せだ」

 ──素直さは美徳だと思ったばかりだけれど!
 どくりがばくばく言うのに変わって、胸のあたりを握り締めた。兵器の原動機だったら壊れてるぞこんなの! 熱暴走だってするかもしれないぞ! 人間で良かった! 人間で良かったとか初めて思った!
 ……深呼吸して体勢を立て直す。いくらかマシになったあたりで考えを巡らせた。
 文鴦殿は真面目かつ純粋ゆえに片足を「天然」という領域に突っ込んでいる、と感じざるを得ない。彼自身は人に積極的に話しかけにいく方ではないものの、何かしらのきっかけで仲良くなってみるとこうだ。天然たらしに進化する可能性が十二分にありすぎる。

「それ、他の、……他の女の子にはあんまり言うなよ」
「そもそも私には名前殿以外に仲の良い女性は居ないのだが」
「あー、まあ、……うん……」

 確かにそうとはいえ、ちょっと反応に困る。前にも思ったけれど、彼には友人が本気で居ないのだろうか。前は優越感があったものの、さすがに心配になってきた。他に友人が居るならこれほど頻繁に私のところにも来るはずが無いし。
 ……そう考えると、やはり文鴦殿とこんなに仲が良いのは私だけで良い気がしてきた。優越感の次は独占欲である。強欲だ。でも仕方ないじゃん、とも思う。だって寂しいし。文鴦殿、私の傍に居てくれるって、言ってたし。
 だから男の人ならまだしも、女の子は言語道断だ。文鴦殿には悪いけれど。文鴦殿がもし恋人なんか作ったら、その人への操立てじみた約束で私とふたりきりで会わないようにするかもしれない。それは、いやだ。文鴦殿が私以外の、他の女の子と一緒に居るようになるのは嫌だ。嫌だ。嫌だ。文鴦殿、居てくれるって言ってた。

「……文鴦殿、私と居ると幸せ、なんだね?」
「ああ。あなたと会えると思うと心が躍るし、日にちが開くと、会いたいと逸る」
「う、うん、そっか。そっかあー……」

 頭を抱えた。
 自己満足のために先程の言葉をもう一度聞こうとしたら、予想より威力を上げて帰って来た。顔が熱くてたまらないけれど、狙い通りあの憂いは消え去っていて、実にちょろい。
 私の反応を不思議に思ったらしい文鴦殿に声を掛けられて、うう、と呻く。顔を合わせるのが恥ずかしかった。でも彼のことを見ないのは勿体ない気がして、顔だけそちらに向ける。文鴦殿のきょとんとした表情が目に入った。悔しくなるくらい可愛らしい。

「そう言ってもらえるの嬉しいわ照れるわで大変なんだよ、こっちは。文鴦殿と居ると幸せだって言ったけど、今わかった。私が思ってたより数倍幸せだ。すんごく幸せ」

 すきなひとといるのは、すんごくしあわせに決まっている。
 その一言は飲み込むだけ飲み込んで、発した方の言葉も自棄になっていた。乱暴に投げつけた言葉は文鴦殿に向かう。彼は目を丸くしたままそれを受け取った。
 そしてどう思ったのか、文鴦殿の腕が持ち上がる。その手は私の方に伸びて、自分で抱えたままの頭に乗せられた。そのままぎこちなくもやさしい手付きで頭を撫でられる。──待て、兵器だったらとか言ったの前言撤回! 人間だけど壊れそう! 主に心臓!

「どうっ、したの、ぶんおうどの」
「つ、つい。嫌だったか?」
「い、やなわけでは、ぜんぜん、まったく、ないけども!」

 手を引かれてしまう前に弁明する。必死だった。先程から文鴦殿がやらかす「つい」とやらに翻弄されてしまうのもそうだけれど、私は文鴦殿の行動や言葉で一喜一憂しすぎである。今だって、ほっとした表情になった文鴦殿が頭を撫で続けてくることに安心している。そのくせ心臓もずっとうるさいままだし。
 ……ひしひしと感じる。
 ──恋心というのは、厄介だ。  

そして溺れる味がする

title by 金星 161216