07

 知っているようで理解していないことが多すぎた。
 与えられた役目をただこなす日々は、何も考えなくて良いものだった。
 けれど、今になって、やっと少しだけ解った。
 私が見送った先の戦場で、私が整備した武器で、私が無関心に息をしている間、将兵たちは皆、命を賭して戦っているのだ。
 私はすぐ傍で彼らのことを見ていたのに、武器という戦いの断片に触れていたのに、どうして気付かなかったのだろう。
 私と縁のある将は皆強く、死に触れたことが少なかったのは確かだ。しかし、今更それを理解したほどに、私は自分のことばかり見ていた。失うことが怖くて、考えたこともなかった。
 司馬師殿にも、司馬昭殿にも、夏侯覇殿にも、郭淮殿にも、トウ艾殿にも、──文鴦殿にも、示しがつかない。私は彼らに親愛を抱いていたつもりで、その実、そんなことをのたまう権利など持っていなかった。
 今やっと突き付けられて、私は息をするのが難しい。
 失いたくなかった。
 ひとりになるのは嫌だから。
 現在、その依存の先は、文鴦殿だ。死地に赴く彼だ。
 皆私の先を行ってしまうし、文鴦殿だって既に私の先を行っている。いつ、あの場所で会えなくなるのか分からない。分からないまま今だけでも隣にと縋っている。その縋るのだって、まず彼の命が必要だ。
 では、彼の命を失わないため、私に何か出来るだろうか。


 部屋を片付けている。床に敷き詰められた工具や木材や設計図が、次々に自分の居場所へ帰っていく。寂しさのようなものを覚えるけれど、代わりに私の足の踏み場は少し増えた。
 痛めた足に邪魔をされ、時々転んだり支えを求めたりしながら、目当てのものを探す。
 確か、父上が、今は必要ないからと片付けたはずだ。そして私が丁度そのあたりをひっくり返した。だから多分、この床のどこかにあるのだ。
 兵器の設計図。
 何某という人が、うちの家に遺した代物だ。兵器開発をしていたというその人は、しかし影ながら曹家に反感を抱き、開発途中の兵器の設計図をこっそりと仕舞い込んだという。
 父上は手先こそ器用だったし、武器をこよなく愛していたけれど、兵器にはてんで興味がなかった。しかも個人的にその開発者を嫌っていたとかで、件の設計図を表に出すのは嫌だったそうだ。最悪の事態には利用させてもらうため捨てないでおいたとも聞いている。
 今の現状は、父上が想定した、最悪の事態、とはきっと違う。でも、私にはその設計図が必要だ。父上の意思など関係ない。私の意思で、それが欲しい。
 がさごそ漁ると、あまり見覚えのない設計図が出てきた。広げてみると、やはり見覚えのない筆跡である。それどころか、破城槍とも連弩砲とも螺旋槍とも違う図。見たことがない。全体の寸法だって違う。
 これは武器じゃない。兵器だ。

「見つけた!」

 湧いてくるのをそのまま声にした。見つけた、見つけた、と続けて何度も繰り返す。
 かばってしまう足を鬱陶しく思いながら、机まで持って行った。しっかり広げて、図面を覗き込む。

「……書きかけだ」

 父上から聞いた言葉通り、「開発途中」で、そもそも図面さえ完成していないようだ。専門ではないけれど、見れば分かる。流されるだけの生き方でも、流されるままに、勉強はしてきていた。
 完成された図面だったら良かったのに。
 ところどころにある覚え書きらしい走った文字を読みながら、目指していたものに見当をつける。恐らく今ある兵器の改良案に近い。
 これを利用するには、まず私がこの図面を完成させなければならないだろう。
 ──完成させる。成功させる。
 ──私の力で?
 思った途端、胸の奥に冷たい風が吹き荒ぶ。風はごうごう唸って、私の心臓を揺らした。揺らされる心臓は細い細い血管でなんとか体の内側に引っかかっているけれど、引きちぎられ吹き飛ばされる寸前になっている。
 完成させなければならない。
 出来なかったらただの無駄。徒労に終わる。自分の至らなさを知る。
 そうなった時、私は耐えられるだろうか。
 私が自分で何かをしたとて成せるものがないと分かってしまったら、私は。

「文鴦殿……」

 するりと浮かんできた存在の名を呟いて、机に突っ伏す。縋るばかりの声だった。
 無理をして動いたからか、添え木のされた足首がずきずき痛む。患部に手を添えて、目を閉じた。痛い。
 怖い。
 ──流されて生きていくのは、楽だった。呼吸さえ自分で責任を取らなくて良かった。失敗しても、頭を抱えながら、もともと自分の望んだことでないから全力になれなかっただけなのだ、ほんとうは、ほんとうの私のちからなら、と心の中で言い訳できた。
 でもこれはどうだろう。自分でやると決めて、それをやってしまったら、責任を取るのは私だ。もしも失敗したら、自分の価値の無さを真っ向から見ることになるのだ。
 自分でやると決めたって、全力でやらず、手を抜いてしまおうか? そうすれば失敗したって本当の実力じゃないと言い訳できる。
 いや、それは駄目だ。私は文鴦殿を失いたくない。成功させないといけない。手は抜けない。
 でも全力を出したからといって、成功するとは限らない。
 苦しい。
 心臓の表面が土のように鍬で掘り起こされている。穴が開いたそばから血が湯水のように溢れ出てくる。
 ──自分の道を選ぶというのは、こんなに恐ろしいことなのか。
 うずくまる自分の姿を幻視する。そのずっと先に、文鴦殿の後ろ姿があった。

「……文鴦殿は、すごいなあ」

 彼は、この痛みを、この恐ろしさを背負って歩いているのか。
 私より先を行った皆、そうだったのか。
 置いて行かれていることにやっと気付いて、ひとりはいやで、それで、ひとりにならぬよう皆と同じになりたかった。皆のように道を見つけて歩ける人間になりたかった。
 そう思うだけは簡単だった。
 だけれどどうだ、今の私は。こうして導を見つけたくせに、歩くのが怖くて震えている。
 やはり私はどうしようもない。
 ──知っていたようで、理解していないことが多すぎる。  

ああも美しく笑えない

title by 金星 161203