045
ゼパル・ゼゼは、美しい華を愛し、愛を求める。それはクラスメイトである名前に対してもそうであって、そして、それぞれに美しい華の一輪に過ぎぬものでもあった。
問題は、その相手が、ゼゼにこれっぽっちも惹かれているような様子が無いことだ。意味ありげな視線に「この俺に何か?」と笑顔で歩み寄っても、「いえ」とかぶりを振られる。
ゼゼに興味の無い、熱の篭った視線を向けてこない華を、ゼゼはいくつか知っている。けれど、興味を持っている素振りを見せながら、特にそうではない、という矛盾を向けてくる悪魔は、名前ひとりだった。
愛を喰らうゼパル家の悪魔にとって、愛はいくらでも欲しいものだ。興味があるなら、きっと近いうち、好意へ転じさせてくれるはず。そのための努力を、ゼゼは惜しまなかった。故の自負であり、確信であった。
だから今日も、ゼゼは名前に話しかける。
「隠しごとのある悪魔も、ミステリアスで美しい。けれど俺は、その秘密を覗いてみたくなってしまいます」
名前の隣の席に座して、芝居がかった台詞。ゼゼに好意を向ける悪魔たちが、きゃあ、と色めきだった。
しかし、名前は喜色を顔に浮かばせない。
ただいつもと違ったのは、視線を横に逸らし、迷う素振りを見せたことだ。
これは良い傾向なのでは。ゼゼは扇子で隠れた唇を、笑みで彩らせた。今まで、名前の素っ気無い素振りに踏み入ったことは無かったが、正解だったのかもしれない。
悩む様子の名前へ、ゼゼは身を乗り出す。
「お悩みがあるのなら、是非俺に。この全知全能のゼゼが、きっと解決してみせましょう」
「……じゃあ。失礼かもしれないと思ってたんだけど、聞いてみたいことはあって」
「求めたのは俺なのです。失礼など、そんなことはありませんよ。して、聞いてみたいこととは?」
「…………ゼゼくんのお兄さんて、小説家のゾウイ先生だよね」
「……ええ、そうですね」
言いにくそうに発された問いに、ゼゼの内臓が痛んだ。
ずっと自分を見ていた名前の頭を占めていたのが、自分ではなく、兄という他者である事実。あんなに視線を送ってくるのだから、俺に興味があるのだろうと思っていたのに、実際はそうではなかった。前菜が運ばれてくるつもりでいたら、その皿は兄のほうへ行ってしまった。お預けは、悪魔にとってそう耐えられるものではない。
今にも血を吐きそうなゼゼのことを知ってか知らずか、名前はゆっくりと言葉を続ける。
「ゾウイ先生、ファンレターを読まないって聞いたんだけど、本当?」
「……事実です。こだわりがあるとかで」
「そっか」
肯定を返せば、名前は眉を下げた。「ゼパル家のことはわかってるけど、書いた文字を読んでもらえないのは、うん、悲しいかも」
そのような表情をさせるのは、ゼゼにとっても本意ではない。そして、兄のことで生まれた悲哀に寄り添えば、愛が自分に向いてくれるのでは、という悪魔らしい打算があった。
ゼゼは机に両肘をつき、手の甲に顎を乗せる。少し覗き込むような姿勢で、名前の顔を見上げる。
そうして言葉を発する前に、名前が口を動かした。
「なら、やっぱり、ファンレターよりも物の方が良いかな。ゾウイ先生、物が多すぎて困ってたりしない? すぐ食べちゃうから大丈夫?」
「──どうして」
どうして。ゼゼの脳裏に浮かび上がり、口から零れたのは、それだった。
だって、名前の表情は、あまりにも。寂しげで、苦しげで。なのに、愛を届けることを辞めずにいようとしていて。
ゼゼに愛を囁きながら、けれどゼゼにとっての唯一とはなれず、嘆き悲しむ悪魔は存在する。数多く見てきている。そして飽き性の悪魔にとって、失った恋はずっと身を蝕むものとはならず、いつしか好意ごと失せてしまうこともある。思った通りの愛を返してくれなかったゼゼを恨み、愛を憎しみへ変えることもある。
だから、名前の真っ直ぐさが、ゼゼには意外性として映った。
諦めても良いのに。叶わぬものを願い続けても、欲が満足することはない。
恨んでも良いのに。願うものをくれない相手なら、いっそそうした方が楽なこともある。
それでも名前は、兄への愛を伝え続けようとする。
──どうして。
──そんな、なんて。
────美味しそうな愛。
喉が、ごくりと鳴った。
「……俺なら、ファンレターを読みます。事務所を通さず、直接渡していただいて構いません。声援、愛の言葉も、いくらでも受けとめます。そんな顔を、させたりはしない」
もはや、懇願かもしれなかった。これほど美味しそうなものが目の前にあって、しかし自分のものではないということへの、強い渇望。
ゼゼの胸の奥で、胃の腑が欲を訴えていた。同時に騒ぎ立てる心臓は、興奮か、あるいは別種の何かか。それを自問自答し、把握しようという余裕も、今は無い。
名前の視線が、ゼゼとかち合う。ばちりと電撃が走ったような気がして、ゼゼは腕を揺らした。
「……どうして、ファンじゃない相手にファンレターを書かなきゃいけないの?」
「い゛ッ」
ゼゼは腹をおさえた。胃に穴があいた気がした。いや、それよりも重大な痛みのようにも感じられた。
ご馳走は未だ、ゼゼのものではない。その愛は、ゼゼのために用意されたものではない。
その事実が、胸をきりきりと締め付けていた。