042
※「夢主の性別にあれこれ無い人」のみどうぞ。
後編。前編は037。
ゼゼが見下ろす先、悪魔──顔は知っている程度の学友──は、腰を抜かしていた。
その真ん前に片膝を突いて、手を差し出す。
「あなたですね。いつも、手紙をくださっていたのは」
「──ち、ちが……」
否定を述べる、引き攣った声は。
声変わりを迎えた少年のものだと、聞こえる音だった。
差し伸べられた手を借りず、どうにか立ち上がろうとする身体が纏うのもまた、男子生徒のもの。少しだけ改造され、当たり障りの無い程度に、──この表現は些か適切ではないかもしれないが、俗に「ユニセックス」と呼ばれるような印象となっている。元々シンプルな制服だ。大きな違いではないが、モデビルとして様々な服に触れてきたゼゼには、そのように見えた。
ゼゼは扇子で口元を隠す。
「嘘ですね。あなたが俺のロッカーに手紙を入れるのを、“分身”の俺が見ていました」
「そ、そん、な」
「認識阻害グッズも着けていましたから、気が付かなかったのも無理はありません」
青ざめる生徒──確か、名前という名だ──に、ゼゼは語りかける。その口調には威圧を籠めず、優しくしてやったつもりだったが、名前はそれと気が付く余裕もないようだ。未だ立てずにいる身体の前で握られた両手に、ぎしりと力が籠められた。
「あなたのくださった愛のおかげで、魔力消費の多い“分身”を長く保つことができました。ありがとうございます」
「…………」
名前はすっかり項垂れた。放課後、ひとけの無い場所に連れ出して良かった。悪評が立ってはたまらない。それに、名前とて、大衆の面前で秘密を明かされたくはなかっただろう。
爪が食い込む名前の手に、ゼゼはそっと指を添える。強張った手がびくりと跳ねた。その骨の目立つ手の甲を包むようにして、手を握ってやった。
「不躾な質問、失礼します。あなたのことは、なんとお呼びすれば?」
「……、なん、え……」
「プリンセス、ミス、名前嬢。いえ、それに限ったことではありませんね。シンプルに名前さんと呼ぶのも、あなたの美しい名がより際立つようだ」
「え…………」
握った手だけではなく、身体ごとを、名前は固くした。呆然とした声は、少しの涙を含んでいるように聞こえた。
それは、こうも続く。
「どうして、私を、なんで」
ゼゼは微笑んだ。
「俺は、華には詳しいのです」
美しい華に、毒のある華に、一見華とは見えぬが華である華に、その他、全てに。なにせ俺は、全知全能なのですから。
言いながら、ゼゼは思案する。
──なるほど、自分と顔を合わせたくなかったわけだ。
「さん付けで」と震えた声で返し、名前は涙を落とし始める。片手で懐を探り、その頬にハンカチを当てると、引き攣った呼吸音。
詳しいとは言ったけれど、名前が「彼女」だか違うのだかはわからない。生物とは多種多様だ。制服の改造度合いだって、名前が自分を開けっ広げにしたいのならばそういう風にできるはずだが、そうしていない。つまり、隠していたのだ。手紙から感じた、そして今目の前の名前から感じる通り、内気な性格をしているのならば、当然かもしれなかった。我慢が苦手な悪魔だとはいえ、隠しごとを隠さなかった結果、何かしらの害を被るかもしれなければ、慎重にもなる。その害というものが、正当かどうかは別として。
だから、ゼゼもこれ以上は踏み込まない。
それでも、伝えたいことはある。
「名前さん。尊い愛を、いつもありがとうございます」
「……う、うぅ、う……っ」
より溢れ出す涙が、ハンカチを濡らしていく。その姿がいたましく思えて、ゼゼは握ったままの手を優しく撫でた。
「名前さんの手紙を、俺はいつも心待ちにしていました。その味もさることながら、あなたの綴る愛が、俺はとても好きでして」
「う、ぇう、ひ、っう……」
「一般的な食事をする悪魔も、目を楽しませてくれる食事に喜ぶことがあるでしょう? 食べるのが勿体無いのだと言うぐらいに。
俺にとっては、名前さんの手紙がそれだったのです。いつまでも読んでいたくなった」
だから、あなたに会いたいと欲してしまったのです。
言えば、名前はひどい嗚咽をし続ける。──それは、ゼゼの言葉が名前に届いたことの証明だった。
「これからも、俺は名前さんの愛が欲しい。
『お腹が空いたとき』ではなくても、たとえ腹が満ち満ちているときでも、名前さんの愛が欲しい。
手紙も嬉しい、甘美ではあるけれど、いつか声でも愛を囁いてほしい。名前さんの愛を、様々なかたちで味わいたい」
欲はとめどなく、ゼゼの口から零れだす。まるで唾液が溢れるかのようだ、とはしたない想像をする。
それでも、それくらい、名前の愛を、この本能が欲していた。
ゆるゆると頷く名前の姿に、本当の生唾を飲み込んでしまったぐらいに。