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「……名前、ちょっといいかな」
「ヒースクリフ様。どうぞ」

 魔法舎のお手伝いとして談話室の掃除をしていると、ヒースクリフ様の声がした。
 この時間の談話室は使われにくいから、それ自体は珍しい──西の魔法使いは好奇心旺盛だから、わざわざただの人間の私を見に来ることもあるけど──。
 でも、ヒースクリフ様が私を訪ねてくる、というのは、あんまり珍しくなかった。
 元よりここは賢者の魔法使いのための場所なのに、律儀に許可を得てから入ってくるヒースクリフ様に、胸があたたかくなる。繊細で優しい人の繊細で優しい中身の一端は、やわらかい織物を撫でるような心地がした。入ってきた彼が、「掃除の邪魔だった?」と不安そうにするのも、同様に。

「いえ、少し休憩を挟んでも良い頃合いだと思っていたので。どうかなさいましたか?」
「……ありがとう。
 ちょっとこれ、見てくれる?」
「……細工のデザイン案ですね」
「そう、名前の意見を聞きたくて」

 ふむ、と、ヒースクリフ様が机に広げた図を覗き込む。
 見るだけで、造り自体もしっかりしているとわかる。細工も、ブランシェット彫りを想起させる洗練されたものだと。流石、と称賛すると、ヒースクリフ様は照れたように笑った。そして、私の意見を促してくる。今の案でも良いだろうに、私の意見を聞きたいのだと。
 というのも、私の親は、一部では有名な細工師だ。故郷の歴史的背景を背負った特殊な紋様と、それを作り出すための秘伝の技術を代々継ぎ、そのときの当主である者の作品しか世に出されないので希少価値も高い。
 ただ、跡継ぎ自体は別に居るけれど、私も昔から良い物を見てきた目があるし、ノウハウも叩き込まれている。職人は命を削るものなのだとは親の弁で、要するに、今の後継が早逝したら次はお前だ、ということだ。
 どうかと思うが、まあ、掟というのはそういうものだ。私も物作り自体は嫌いじゃない。文化的価値のある技術や物品を受け継ぐ人がひとりだけでは心許ないし。当主の作品以外は世に出ないのもどうかと思うぐらいだ。代々の掟だから仕方ないのかもしれないけれど。閑話休題。
 とはいえ、あくまで「一部では」有名な細工師であるだけなので、ヒースクリフ様が私の家のことを知っていたときは、驚いたものだ。何せ、私が使っていた自作の小箱と、私の家名から当ててきた。
 そのうえ、あのブランシェット家の御子息である。本人の家だって、その調度品だって、私の家よりずっと良いものを持っているだろうに、こんな小さい職人を知っているなんて考えなかったし、目を向けられるなんて思わなかった。
 今ではすっかり納得している。ヒースクリフ様の職人気質と、マニアっぷりと、他者や技術を重んじる姿勢がそうさせた。私が北以外の賢者の魔法使いを怖がらなくなり、それどころか東の魔法使いは好むぐらいになったのは、ヒースクリフ様のおかげでもあるとすら言えよう。

「……ここ、ほんの少し右にずらせませんか? 若干バランスが」
「あ、やっぱり? でもそうすると微妙な余白が出来るよね。名前ならどうする?」
「そうですね……、あえて余白を残すのも良いですが、この場合だと寂しいし……」

 ヒースクリフ様との「相談」は、大抵そのようなものだ。お互い意見を出しながら、より良い作品を目指していく。私はあくまで「参考までに」としてのサポートに偏っているが、元はヒースクリフ様の作品なので当然である。
 しばらく言葉を交換し、ひと段落ついたかなというところで、ヒースクリフ様がぽつりと言った。

「……名前は、家を継がないんだよね」
「え? ええ、まあ。今のところは」
「…………」

 突然の再確認を肯定する。ヒースクリフ様は、ちょっとだけ眉根を寄せた。彼は言い澱みながら、

「当主の作品でないと、表には出せないんだよね」
「そうですね、その辺は保守的な感じがありますから」
「……」

 暫しの無言。ヒースクリフ様は普段は大人しい方だから、そちらの方にスイッチが入ったのかもしれない。けれど、会話が終わった感じはしなくて、じっと待つ。
 ほんの小さな声で、逃げちゃいけないな、と言うのが聞こえた。
 彼が私の目を見る。少しきりっとした面持ちと、僅かに赤い頬で、真剣なことと緊張していることがわかった。私もそれに応えて、彫刻をするときのような真面目な気持ちに切り替える。

「……ねえ、名前。……その」
「はい」

 ヒースクリフ様が、小さく息を吸う。

「……俺が、個人的に。名前の作品を買い取るのって、駄目かな」
「…………へ?」

 そして続けられた提案に、思わず間抜けな声が出た。
 ヒースクリフ様はなおも一生懸命に言う。

「その、『失敗作の処分先』でもいいんだけど、俺は貴方の技術に対価を払いたいから」

 思いもよらぬ申し出に、言葉を失う。
 やがて、私の口から出たのは、

「すみません、ただ。……失礼かもしれませんが」

 頭の中で、いくつかある家の掟を確認する。それぞれ重なったり干渉したりするものを確かめると、──抜け道があると確信する。
 恐れ多くも言い放った。

「『ブランシェット家のヒースクリフ様』じゃなくて、『からくりが好きなヒースクリフ』と、『細工が好きな名前』の『友好の証』としてなら」

 ヒースクリフ様が目を見開く。
 ……この理屈なら、たぶんセーフ。この建前であれば、掟的にはセーフだろう。ぶっちゃけ、私がいくら跡継ぎのスペアだとしても、ブランシェット家の嫡子との繋がりを作ること自体は、家にも好都合だと思うし。掟のせいで、親たちは口外できなさそうだけれど。伝統工芸は保護が無いとやっていけなくなることが多い。この縁でいずれブランシェット家が保護してくれるかもしれない、と可能性が生まれるのは更に良かろう。
 ──というのは、あくまで「細工師の子の名前」としての意見で、「細工が好きな名前」としての意見で言うなら。
 嬉しかった。
 ヒースクリフ様が、私の技術を認めて、欲しいと言ってくださったことが。
 私はスペアだ。技術を教え込まれ、たくさん練習し、継いだものを完璧にこなすことができた。
 けれど、その作品は日の目を見ない。私が個人的に、こっそり使う程度──ヒースクリフ様には見られたけれど──だ。
 人に見られない、人のための道具は、寂しすぎる。
 一方で、「友好の証」なんて不遜なことを言ってしまったから、ヒースクリフ様の顔を見るのは緊張する。それは、私が内心、そうだったら良いな、と思ってもいるからだ。
 この繊細で芯の強い人と、「友人」になれたらどんなに素敵だろう、と。

「……『友好の証』」
「……はい」

 ヒースクリフ様が、やはり引っかかったらしき部分を繰り返す。彼のことだから、ばっさりとした拒絶はしないだろうけれど、やんわりと断られるところを想像すると、けっこう、その、きつい。やっぱり、私、もう既に彼のことを、心のどこかで「友人」と思っていたのかもしれない。
 ヒースクリフ様が視線を彷徨わせる。緩慢に口を開くのが、本当よりずっとゆっくりに見えた。

「…………、俺、貴方を友人と呼んでも良いのかな」

 私は、震える声で、はい、と答えた。



200731
200916 修正 約30の嘘