002
「Dr.ニコ」
他のボケ共と同じ呼び方をしているくせに、そいつがそれを口にすると、まるで別のもののように聞こえた。
今も。
背後から聞こえた呼びかけに、ニコは首だけで振り向く。
立っていたのは、予想通りの人物。
「はい! 報告にあがりました!」
「そうか。さっさとしろ」
「はい! 以前の研究では──」
名前。
それが、ニコにきらきらしい笑顔を向ける、こいつの名前だった。
UMAを用いた犯罪を目的とした組織に捕らえられ、研究に加担させられていた、人間としての欠陥はあるが知能指数は高いガキ。その組織とやりあった時、こんなところに置いておくのは勿体ないスペックの奴が居るじゃねえか、と気付いた。ニコにも仕事のため、使える部下が必要になる。
だから拾った。
最初は手負いの野良猫のように警戒していたが、よほど前の組織での扱いが悪かったのか、いつの間にかすっかり腰を落ち着けていた。
それどころか、ニコに懐いた。
そこまで野良猫のようなのか。そもそも、自分は猫になれと命令した覚えは無い。使えるから拾った、それだけのことだ。
けれど、それだけのことが幸福だったらしい、とも知っていた。他者とべったりした交流をしないニコの性質を思ってか、本人はニコに深い感謝や好意を伝えてきたことはない。
しかし、態度には出ている。心拍数の上昇、瞳孔の拡大、発汗、その他、観察すればすぐにわかる、ニコの前でだけの交感神経のはたらき。
何よりも、ニコを呼ぶ声。
他の奴らは、そんな飴玉のぶつかる音のような声で、ニコを呼ばない。ふざけているか、生真面目にか、怠そうにか、イカれているか、大体そのようなものだ。
「以上になります!」
「そうか。ご苦労」
「はい!」
……あと、この元気もそうか。前の組織に居た時のこいつは、ドブ川のように濁った目をしていたはずだ。
長々述べたが、総じて言うと、ニコは若干、名前のことが苦手だった。ボケ共に苦手も何も無い、役に立てばそれで良い。ボケ共もそう分かっていて、各々で自由に過ごし、各々で丁度良い距離を維持している。名前だって。
──ただ、本当に、ニコを目の前にした時の態度があからさまなだけなのだ。
他の奴らは、へらへら笑っていても、「Dr.ニコにだけの笑顔」という特別な表情は所持していないし、視線を合わせるとちかちかするような錯覚を覚える目をしたこともない。
とはいえ、ボケ共がボケ共としての距離を知っているなら、ニコもそうだ。自分のことを舐めくさらなければ、役に立てば、好きにすれば良いと思っている。だから、名前のそれも、否定はしない。
否定はしないが。
「では、また研究に戻りますね!」
「さっさと行け」
「はい!
Dr.ニコ!」
その声に、自分の交感神経もバカをやり出しそうになっていることは、否定しておきたかった。