02

 呪胎九相図という呪物は、果たして初めから九相図を元にして生み出されたのか、あるいは生み出された子らが九相図と呼ぶに相応しい性質だったのか。
 それは当事者のみが知ることで、──そして、当事者のみ知ることはまだひとつ。
 九相図が「死後の肉体」の様子を描くからこそ、「逆」に着眼点を移すこともあったのだ、ということだ。


 名前が八十八橋を訪れていたのは、偶然とは言い難かった。
 生み出されてから150年、兄らの行方を追っていた名前がいつか手にしたのは、東京の呪術高専に彼らが閉じ込められているという情報。そう易々と踏み入ることはできない場所だと、自分の弱さを嘆き続けていた。
 そこへ、まだ学生らしき高専の呪術師を見かけたのだから、未練がましく追いたくなるというもの。学生とはいえ呪術師だ。等級もわからないのに侮ってはならないのは重々承知で、しかし名前には安易に使える奥の手がある。半ばやけっぱちで、後をつけた。
 ──そこで目にしたのは、兄の姿。
 「壊相」。「血塗」。受肉体を見るのは初めてだったが、彼らの互いへの呼称から、二番目の兄と三番目の兄であることを悟った。
 彼らは件の呪術師と戦っていた。茂みの奥、手助けするタイミングを探った。己は戦闘に向かない。死んでしまっては意味が無い。足手まといになってはならない。呪術師に気付かれてはならない。
 しかし、呪術師は兄らから離れない。
 目の前で腕が飛ぶ。目の前で身体が四散する。
 呪術師たちが、兄の亡骸を、寄り添わせる。
 立ち去る。
 そうなってようやく、名前は茂みから飛び出した。懐のナイフで、自分の両腕を切り裂く。血の溢れる場所を、亡骸に押し付ける。傷口に傷口を合わせる。
 じゅう、肉の腐る音と、ぼこり、新しい肉の盛り上がる音。

「……おねがい。混ざって。混ざって。混ざって。混ざれ混ざれ混ざれ混ざれ混ざれ、混ざれ。
 おねがい。おねがいどうか、……どうか、おねがいだから……」

 譫言のように繰り返す。下手くそな呪力操作が、無力感と悲嘆が、呪力を大きくさせる。構わなかった。呪力が尽きようと、兄が──生きてくれるのなら。
 名前の見立てでは、勝算は五分五分。己を含め、兄弟は血液が重要な術式で、何より血が繋がっている。試したことは無いが、可能と思えた。
 だから、──それを見て、名前は泣き笑いで崩れ落ちた。

「よかった」

 目を見開く壊相。寝惚け眼の血塗。
 二人はまごうことなく、生きていた。


 気を失った少年ほどの身体には、どこか見覚えがあった。傍らで、確かに死んだはずの血塗が、痛みに呻きながらも身体を起こす。

「──まさか」

 壊相は、唇を戦慄かせた。

「名前?」
「……名前、? 兄者、どうし……、……あれぇ?」

 俺、死んでなかった? 言葉を続けた血塗に、壊相の目から涙が溢れた。自分も死んだのだったと実感したのはそのあとで、しかし深く考えることはやめた。今重要なのは、弟が生きていること、そして、次の危険が迫っていること。
 自分たちは呪術師と戦った。自分たちが死んでも身体の残ったことを、呪術師たちは疑問に思うはずだ。
 奴らか、その仲間が来るかもしれない。

「血塗。動ける?」
「うぅ、うん、いてぇけど、でもよ、兄者」
「話は後で。おつかいは失敗だけど、この場を離れよう。また呪術師が来るかもしれない」

 残った片腕で、倒れ伏した身体──名前を抱き上げる。壊相も血塗も、ぎりぎり瀕死を脱している程度のコンディションだったが、命には変えられない。片腕も回収したいが、そのいとまも無かろう。
 三つの影が、森へと消える。


 名前の意識が、浮上する。限界まで疲労したかのような気怠さ。横たわる身体は重く、身動ぐこともできそうにない。目を瞑ったまま、いったいどうしてと考えて、

「──ッ!! っく、ぅっ」
「あ、兄者! 名前が起き、いってぇ!」
「名前! ああっ、大丈夫?
 血塗も動かない、安静にして」

 身を起こそうとし、失敗する。身体が浮いたのは一瞬で、すぐさま重力にねじ伏せられた。床と頭がごつんとぶつかる。天井が見えて、ここがどこかの廃屋だと知った。
 隣で寝ていた血塗も痛みに暴れる中、壁に背をつけて座っていた壊相は名前の顔を覗き込んだ。

「……名前、だよね?」
「…………、うん……」

 名前の眼前が滲む。名を呼ばれたのはいつぶりだっただろう。普段は偽名で人間たちの中に混ざっていたから、もしかすると、これが150年ぶりのそれなのかもしれなかったし、150年前でさえ呼んでいたのは、いけすかない野郎だけだった気がするけれど。

「生きてたんだなぁ、名前」
「それを言うなら私たちもだよ、名前のおかげなのだろうけど。
 ……なんにせよ」

 ──ずっと、探していた。
 ずっと、会いたかった。
 
「助けてくれて、ありがとう」
「おう、ありがとうなぁ!」

 愛しい兄が、そこに生きていた。

闇夜に消えて暖かい

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