神隠し01
その日、私達が赴いたのは演習場だった。
引き連れてきたのは燭台切や鶴丸さんをはじめとした、最近の一軍だ。フル装備の金刀装と練度のおかげで、負傷者と傷は少ない。
対して、彼らと向き合っている刀剣男士達──今回の演習相手は、全員重傷を負っている。此方が勝利出来たのだった。
とはいえ。燭台切に差し出されたハンカチで涙の滲んだ目を拭う。
戦いは刀の本分だと分かってはいても、やはり皆の傷つく姿は心臓に悪かった。朝から痛かったお腹が、痛みを増してきているような気さえする。気休めながら、そこを軽くさすった。
「ありがとうございました」
見通しの良い広野が広がる演習場、その向こう側に立っている女審神者へ頭を下げる。腰まで伸びた彼女の黒髪が風に煽られていた。ちらりと見上げた限りでは私より歳上そうな、きつめの顔立ちをした人。
第一印象というのは大事なもので、私の苦手なタイプかもしれないとつい身構えてしまう。加えて、今は彼女の隊を打ち負かしてしまった後だから、怒りとか悔しさに満ちていそうで恐ろしい。
元気付けるかのように、ぽん、と燭台切が背中を軽く叩いてくれなければ、適当に理由をつけて逃げ帰りたくなってしまうところだった。
帰ってしまってはいけないのだ。
演習場の片隅にある手入部屋で私と彼女の刀剣を直し、その間審神者同士は情報交換をする、それが演習をする目的のひとつでもある。件の女審神者と、お互いどこが遠慮がちに歩み出して、手入部屋の方へと向かった。
──5.禁則事項
「貴女、練度を上げすぎなのよ」
「ははは……」
荷物を降ろして縁側に座り開口一番、彼女に言われた言葉がそれだ。確かに向こうとこちらの刀剣の練度には大分差があった。演習は、大体同じくらいマップ攻略の進んでいる本丸同士を政府が見繕い、戦わせるようになっている。恐らくは、彼女の本丸も3ー3付近を攻略しているところなのだろう。進度は? 私は3ー2よ、と問い返かけられた。
3ー4攻略の前に制限がかかるまで3ー3を回ってもらっているところ、引っかかったら3ー4に行くつもりだ、と答える。呆れ果てたような顔をされた。
「貴女、ゲームでもレベル沢山上げる人?」
「そうですね、戦い尽くして溜まった金でフル装備、最後に物理で殴るタイプです」
彼女の口元が引き攣る。私が笑って誤魔化すと、暫く沈黙が訪れた。
誰かと話していて静かになるのは、こんなにも重苦しいものだったか。五月蝿くないのは好きだし、刀剣達と静かに過ごす時は言葉が無くとも心地良いのに。救世主が欲しい。
気を紛らわそうと両手を組み合わせながら、来るかも知れない誰かを待つ。
「俺たちも混ぜてもらうぜ!」
「縁側を借りるぞ」
そうしないうちに現れたその人は、うちの鶴丸さんと……、向こうの鶯丸さんだった。さしずめ鳥コンビと言ったところだろうか。2人の手には、それぞれ急須と湯のみの乗ったお盆。
鶴丸さんは私の、鶯丸さんは彼女の隣に腰を下ろした。鶯丸さんのお盆には彼の分のお茶しかないのを横目にしつつ、私は鶴丸さんが持ってきた湯気の立つお茶をひとつ受け取る。
礼を言いながら、手拭い越しに掴んで、だ。え、と隣の彼女が声を漏らした。
「鶴丸さん、このお茶凄く熱いよ」
「それは許せ、氷は持ってなかった」
「それもそうか」
視線を感じるけれど、無視させて頂く。
どうぞ気にせず放っておいて欲しい。文字通り、触らぬ神に祟りなしということで。早く冷めてくれはしないか、湯呑みを揺らして中をかき混ぜようと試みる。
「……俺は冷ますことなく飲んで欲しいんだが」
「えっ、す、すみません……」
言ったのは向こうの鶯丸さんだった。うちの鶯丸さんにも同じことを言われたことがある、お茶が好きなのは万本丸共通らしい。一家言ある相手の前でこれは失策だったか、頭を下げる。
鶴丸さんの笑い声が降ってきた。
「礼も言っておけ。この茶葉は鶯丸の持ち込みなんだ。聞けば玉露だと言うものだから、飲んでみたくてな。良い淹れ方を教えてもらったんだ」
「!? ありがとうございます!」
「いや、構わないさ」
首を横に振られる。他人にあまり興味がないゆえかクールだ。
と思いきや、俺も大包平と茶を……とか始まったのであった。彼を観察するのが趣味なんですもんね。まだ政府から所持を認可されていないのにね。言わないけれども。
それにしても玉露か。うちの鶯丸さんもお茶は好きだけど、最近はアイスティーがブームらしいものだから、こう、同じ顔をした別人が日本茶路線を突き進んでいると不思議な感じがする。
そろそろ冷めてきたように見えるお茶を持ち上げた。口をつける。
「……おいしい」
「だろう?」
同じくお茶を飲んでいる鶴丸さんに笑いかけられた。楽しそうな彼に、うん、と頷く。温度はまだちょっと熱いものの、飲めないことはない。ちびちびと喉に通す。
──さて、この間ずっと黙りこくっている彼女が気になるところだ。こればかりは彼女のスルースキルを信用するしかない。
説明するのって苦手だし、何より面倒なんだよなあ。だなんて、自分本位な願望は叶わないらしく。
「貴女、馬鹿じゃないの!?」
勢い良く立ち上がった彼女の怒鳴り声に、肩が跳ねた。我ながらナイスビビり。
怒っている人の目って怖いんだよなあ。彼女を見ないようにしつつ、どう答えれば良いものか考える。
本当なら、はあ、とか適当に受け応えするだけで済ませたいのだけれど、火に油を注ぐってこともあるわけだし。
そうして言葉を選んでいるうちにタイムオーバー。
「政府から説明されていないわけじゃないんでしょう!?」
彼女の痺れが切れたらしい、随分とせっかちだ。引き下がる様子も無さそうだし、説明しないと駄目なようである。
助け船を出してくれやしないか、鶴丸さんに目を遣れば、バツの悪そうな顔をしていた。多分鶴丸さんも忘れていたのだろう。仕方ない、そんなことを気にしないで、今までずっとやってきたのだから。
「刀剣男士が作ったものを飲み食いしちゃいけないって、言われていたわよね!? 現世に帰れなくなるって!」
黄泉竈食ひ。その言葉を思い出す。曰く、黄泉の国の火で煮炊きしたものを食べてしまった者は、現世に帰れなくなるのだという。刀剣男士はそれと似たようなことを起こすらしいのだ。
妖怪の類に分類されることさえある付喪神は、必ずしも高位の神であるとは言い辛い。かなり古い器物であり、元より戦いのために作りだされた分、恐らく付喪神の中でも力は強かろうとはいえ。
けれど、審神者による実体化の術の副作用なのか、刀剣男士としての特性なのか、はたまた他の理由か。
刀剣男士が作った食事には神気が混ざっていて、それを体内に入れてしまった審神者は現世に戻ることが出来なくなるとか、なんとか。明確な理由は分からずとも、一応前例はあるらしい。
よって、審神者は刀剣男士の作ったものを飲食することを政府から禁止されている。
ただしそれは、普通の審神者の話だ。
私は普通に食べている。神気とやらのせいか最初の頃は口内がぴりぴりしたけれど、今では痛みはない。燭台切にそれを言った時は、神気が馴染んだのかもしれないね、と言われた。他にも禁則事項はあり、
「……まさか、名前まで教えているんじゃないでしょうね?」
震える声に、首肯。
それこそ此処に居る鶴丸さんなんかは、普段から私のことを名前で呼ぶ。名前というのは重要なもので、それを知られるのは全てを掴まれるのと同じだと、これも政府から説明されている。名前が霊的に重要だなんて、色んな国にある話だ。12と2分の1個ある名前を全部唱えられると退散せざるを得なくなる強力な吸血鬼とか、そういう話もあるぐらい、名前を知られることは致命的で。刀剣男士に名前を知られた結果、審神者と刀剣男士の関係が逆転し、昼間には言えないような展開へ発展してしまう、現世に戻ることも許されず贄として囲われてしまう、神隠しされてしまう、こちらも前例があるらしい。
──私は別にそんなことになっていないので、まず女として見られていない、彼らは物好きではない、良い神様、という結論たちでファイナルアンサーだ。
ああ、いや、うん。確かにそういう展開になる方は、私も吃驚ぐらいはするだろう。出会って間もない、審神者になってすぐの頃なら、なにも構わなかったのだけれど。予想外に情を抱いてしまった今、仲が良いと認識している相手に突然乱暴なことをされたらそりゃあ驚く。
ただ、好きな彼らを私なぞでも喜ばせられるのなら、それはそれで良いことだとも思うし。
まあ、それが起こることなくずっと楽しくやってこれているのだから、今は関係ない話だ。黙りこくる彼女の次の言葉を待つ。
「……神性を持つ者にとって、契約は重いものよ。そして、名前を差し出すことは、自分の全てを明け渡すという契約。だから」
「知ってますよ。でも今のところ、政府に言われたようなことは起こっていませんし。起こったとしても、その時はその時です」
「なによ、それ……」
負の感情が目一杯に詰まった声色だった。怖すぎる。掴みかかられないのが可笑しいぐらいの感情が渦巻いていた。あまり喋りたくなくて、誤魔化しのためお茶に口をつける。
途端、ねえ! と叫ばれて、──しまった、これがそもそも彼女の怒りの原因なのだった。参った。
「貴女、──家族が現世に居るでしょう。帰れなくていいの!? 貴女を心配しているはずよ!?」
「私、最初から現世に戻らないと決めて此処に来ているんですよ。だから政府にも、さっきの禁則事項は気にしなくても良いと。
家族も、そんなのどうでもよくって、捨てて来ました」
待ちなよ、主。どたん、という音と共にした声に、つい其方を向いた。今までここに居なかった向こうの蜂須賀が、叫ぶ彼女を羽交い締めにしている。
離して、殴らせろ、と半狂乱な彼女はやはり怖いので、視界に入れたことを後悔した。蜂須賀が現れた部屋の襖はまだ開いていて、ひょいと燭台切が顔をのぞかせる。
一瞬で安堵した。此方に来た彼は、私のすぐ前につく。
「ごめんね。うちの主、心配性でね」
「いえ、すみません」
好青年然とした態度で、蜂須賀はそう言った。私も頭を下げておく。
というか、なんだ。普通に決まりごとを守れない馬鹿だと怒られたのかと思っていたのだけど、心配されていたのか。成る程、それは心配性に違いない。
振り返った燭台切に目を遣ると、皆手入れが終わったよ、と微笑まれる。その笑みと慰めるように頭を撫でてくれる手が優しくて、今までの気疲れ全部が飛んでいった。
マイブラザー最高。ほっと息を吐く。
「……成る程」
蜂須賀の零した言葉は、意味が分からないので聞き流した。
そしてそのあとはトントン拍子である。これ以上状態を悪化させるなど出来るわけがないからと、ここで解散することになった。
結局、情報交換など出来ていやしない。連れてきた我が一軍を引き連れて、本丸へ帰る陣へと足を進める。その途中、
「そうだ、お腹の調子はどうだい?」
「ああ、うん。朝ほどは痛くないかな。やっぱり、前よりも辛くないし」
体調を気遣ってくれる燭台切のあたたかいこと。これだから頼ってしまうんだよなあ。
少し前から、無意識のうちに緊張でもしているのか腹痛になることが多くて、その度に燭台切がこうして尋ねてくれるのだ。回数を重ねるたびに痛みがなくなってきているようだと気付いた時は、自分のことのように喜んでくれたし。
痛くてもよく眠れるように、だなんて快眠効果と鎮痛効果のあるお香とかいうものを毎晩焚いてくれたりもして。
実際、あれはとても効く。朝起きる頃には鎮痛効果が切れていることと、目覚めがだるくなってしまうことが難点なくらいだ。
「もうそろそろ、痛まなくなるんじゃないかな」
「だと良いんだけど」
笑う燭台切は本当に嬉しそうで、大袈裟だなあ、と思いながら答える。私に野菜を食べさせようとするだけあって、体調管理には余念がないらしい。具合が悪いままだと格好良く決められないからかなあ。
帰ったらお香の準備をしておくね、と言ってくれた燭台切に、お願いする、と答えた。
彼女たちの姿はもう無い。それでも、ずっとそこに立ち尽くしていた。
言いたいことを全て言えなかったやるせなさが残っている。
どうして彼女は、自分を大切にしないのか。今日たまたま出会っただけの相手に入れ込むなんて、と馬鹿にする人も居るだろう。でも譲れなかった。
──だって、私の大親友、あの子も審神者で、不注意で名前を知られて、それで。
……自分の眉間に皺が寄っているのが分かる。暫くしてから、血が出るまで拳を握っていたことにも気付いた。
見兼ねたのだろう、蜂須賀が、主、と私のことを呼ぶ。
「主の心配には及ばないよ。既に神と深く契った人間には、他の神は戯れで手を出せないからね」
契約は重いものだから。蜂須賀に、私がさっき言ったのとそっくり同じ言葉を告げられた。
どういうことか分からず、彼に視線を向ける。「主は人間だから、神気に鈍くても仕方ないね」
その言葉に首を傾げて、そのあとで、まさか、と声がこぼれた。
蜂須賀が頷くのを見て、背筋が凍る。
確信も理由もない。けれど、私が蜂須賀に羽交い締めされていたとき、彼女に柔らかく笑いかけていたあの刀剣男士が脳裏を過ぎった。
蜂須賀の言葉はただただ無慈悲に、私へ突き刺さる。
「──燭台切光忠。他の刀剣が手を出せないぐらいには、彼の神気の影響を受けているよ。
……彼女の気付いていないうちに、のようだけれど」
あれは最早、大昔にただ1人の神の元に花嫁として捧げられた贄の域だね。きっと彼は、彼女を連れ去る心算なんだろう。と。
最後に続けられたその推測は、まるで悪夢のようだった。