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謙虚すぎると思うのだ。他の誰でもない、光忠がの話。
「……ねえ、私の今の状況をどう思う?」
「お疲れ様」
「も、もっとこう、私の姿を見て、外見的に」
「ぐでんとしてるな、って?」
「そう、そういう感じ」
首をかしげた光忠に、畳の上で寝そべったまま頷いた。長い付き合いだった春の景趣とはしばしお別れして、この本丸には、今、夏が来ている。ぶっちゃけて言えばとてつもなく暑くて、薄着で畳に転がるという暴挙に出ている真っ最中なのだ。
普段は真っ黒な装いの光忠もクールビズに切り替えている。上が真っ白なワイシャツだけの姿もよく似合っているというやつなんだろう、格好良い。……恥ずかしいので閑話休題。
「あのさ、私にもっとちゃんとした格好しろって言わないの?」
先程あんなことを聞いたけど、本来私が導きたかったのはこの問だ。光忠はいつも格好に気を付けているし、他の本丸の燭台切光忠が主に振る舞い方を注意する姿あよく見る。だけどうちの光忠が私に対して注意することは大分最初の頃から少なかったし、今やめっきり無くなった。注意されたいとか、そういう被虐願望じみたものではない。その割には一丁前に、彼の「格好良く」という信条に反した主ではないことを申し訳ないと思ってはいるのだ。
だから、どうしてだろうという疑問が湧くのも当然ではなかろうか。
光忠に投げた視線、その視界の隅に彼が休憩のお供として注いでくれた麦茶が目に入った。
光忠は微笑する。
「格好良く在りたいっていうのはあくまで僕自身の決意であって、それを他の誰かに押し付けて、その誰かの負担にする気は無いんだ。
ただ、『主』が『主』としての意識があまり無い場合は忠告するよ。舐められて損をするかもしれないからね」
「わ、私、そのあたり微妙じゃない、かな」
思わず反論してしまった。じゃあちゃんとしろよって話なんだけど。
彼は困ったように唇をむにゃっとさせる。薄い唇の動きに視線を奪われてしまったのが、少し気恥ずかしくなった。
「僕には君がその、主として振る舞って、それで疲れてきたから今休んでいるように見えてる。
名前は名前なりに、主として振る舞えているように見えてるよ」
「そうかなあ……」
光忠の私への評価はいささか過大すぎると思う。あんまり過大評価をされると、本当はそれに応えられていないことが申し訳なくなってしまう。そのくせ、
「僕は君がちゃんとできない子でも好きだしね」
ときた。いや、あの。突然の告白は心臓に悪い。ただでさえ身体が熱いって言うのに、もっと熱くさせられてはたまらない。光忠は、すぐそういうことを言う。私がどんなに彼の主義に反していたって、僕はそんな君でさえ好きなんだと、いっそ、それを含めた君が好きなんだと言ってくる。
顔の熱さに耐えきれなくて、麦茶欲しさに手を伸ばした。
それをぎゅっと握られる。
「み、つただ?」
「はい、お茶なら起き上がって。もう片方の手もちょうだい」
「ああ、うん」
「よし、せーの」
掛け声とともに両腕を引かれて、上半身がぐうっと宙へ向かう。畳と垂直になると、光忠が麦茶を手に取った。
頬にぴとっと冷えた温度。ひっ、と声が上がる。自分の喉からだ。
「びっ、くりした」
「あはは、ごめんね。どうぞ」
「ううん、ありがとう」
冷たい物がコップだとわかって安心する。受け取った麦茶を飲み干すと、喉の内側から水分が体に染み渡っていくような気がした。光忠の茶目っ気を久しぶりに見た気もする。
「美味しい?」
光忠の問いかけに頷いた。
「よかった。丁度好みの濃さだろう?」
今度は目を見張ってから、頷いた。
大人数での共同生活だから、夏場にすると麦茶の減りが速い。それでもって濃さで好みが分かれるので、麦茶のポットは凄い数がある。無くなったら、それぞれその味が好きな人が作っていくわけだ。……で、光忠と私が好むのは別の味なんだけど。
「もしかして、これ光忠が作った?」
「うん。担当でもないのに、他の刀剣男士たちには悪いけどね」
ぺろ、とわざとらしく舌を出す光忠は、そんな仕草さえも様になっている。それに悪いとは言うけど、光忠の作った麦茶の濃さには文句の付けどころがない。料理もそうだけど、腕が良すぎる。
……光忠って、ほんとに。
「すごいなあ」
「褒めすぎだよ」
「だって光忠、麦茶以外にも色々できるし。……素敵で、格好良い、し」
「おや」
光忠の瞳がまんまるくなった後、にっこり細められる。ぽんぽんと頭を撫でられてくれる一連の動作も、やっぱり格好良い。
なのに。
光忠は、決して自分のことを格好良いと言わない。
いつも曖昧な物言いをする。
評価を誰かに委ねるように。
「光忠は、自分のこと格好良いと思わないの?」
ぽろっと出た疑問を、光忠は小首を傾げて受け止める。微笑んでばっかりのこのひとは、どうしていつもそんな顔をしていられるんだろう。
光忠は、自分を格好良いとは言わない。格好悪いとは言う。誰かに注意はしても、格好悪いと言うことはない。私はそれが、不思議でならない。
別に、自尊心がないわけではないのだ。戦場と通信を繋げた時なんか、それを強く感じる。刀としての本領を発揮するときの彼は、自分の刀派にも実力にも誇りを持った物言いをする。だからただ、謙虚すぎるだけなんじゃないか。
それは私の憶測だ。本当はどうなんだろう。
光忠は思案する素振りもなく、思っていることをそのまま言う、という風な声で、僕はね、と言った。
「僕はね、物だから」
ああ、それはよく知っている。
「物の良さを決めるのは、いつだって人間だろう?」
その言葉で思い出すのは、彼の来歴だ。
様々な主の元を渡り歩いてきた燭台切光忠。評価をされて。この刀剣が欲しいのだと羨望されて。
「僕は焼けてしまったけれど、かつての主たちが僕を評価してくれたのには変わらない。しかも今、その時の姿で、斬れ味で、君に喚んでもらい、君に仕えることが出来ている。
それならやっぱり、応えたいよね。人間が実践刀に求める、よく斬れる刀として。性能の良い刀として」
「い、いや、じゃっ、じゃあ、えっと、えーっと、麦茶、とかは。斬れ味じゃなくて」
「よくできた家臣、よくできた恋人。格好良いだろう?」
「そ、それはそう、だけど」
それって、つらくないんだろうか。大変じゃないんだろうか。
光忠は私を頑張っていると言った。けれど実際に頑張ってるのは、私より光忠の方がずっとそうに決まっている。斬れ味の良い実戦刀であり、同時にできたニンゲンらしくもある。なのに。
ごちゃごちゃを飲み込んで、大変じゃないの、だけを口に出す。光忠は変わらず笑みを崩さない。
「君が僕のことを格好良いと言って、好きになってくれるのに?」
「え、っと」
「物としても、恋情を持つものとしても、嬉しいことなんだけど」
さらっと言ってのけられる。
光忠は嘘をつかない。ううん、私の傷つくことを言わない。私を喜ばせる嘘を言って、後から本当のことを知った私が落ち込んでしまう、なんてことは起こさない。そういうひとだと知っているから、私はこのひとの真意が解せない。彼の言動は、あまりにも強すぎるから。何よりも、精神が。私のことをよおく考えて、なのに、ウンザリした様子を、少なくとも私の前では欠片も見せない。本音を言ってるんだとしたら、つよすぎる。
「名前だって、褒められたり相手を喜ばせられたりしたら、嬉しくなるんじゃないのかな。
僕の場合、それが強いってだけだよ。僕は物で、恋する男だから」
光忠の主張は、私に分かりやすいように話される。それは付き合いの長さと彼の気遣いを感じさせられて、……本当に、このひとは。
「……わかった」
「それは何より」
納得はできないけれど、理解はできた。あとは慣れるだけだ。麦茶を一口飲み下す。胸につっかかるものがある。
光忠は私の反応が気になるのか少し身じろいだけど、何もせずに動きを止めた。それでいい。それがいい。少なくとも、今は。動かないでいるばかりの私が、少しだけでも動くまでは。
「光忠」
どうにもたまらなくなって、麦茶を机に置く。彼の方に身体を向けると、察しの良い光忠は、腕を広げてくれた。そしてお決まりの「おいで」。その呼びかけにすっかりやられた私は、誘われるように飛び込んだ。独特の匂いが鼻先を掠める。
「……光忠、暑くない?」
「まあ、暑いよ。結構汗だく。でも離れたりしないでくれると嬉しいな」
まるで念を押すように、ぎゅう、と抱き締められた。やっぱりこのひとは嘘をつかないな、なんて思いながら頬を汗ばんだ彼の首筋に摺り寄せる。つい最近、こうすると嬉しそうに髪を撫でてくれるのだと覚えた。湿った肌は滑りが悪くぺたりとひっついて、すりすりと出来ているとは言いがたい。それでも効果はあったようで、笑い声と手の平が私の頭上にやってくる。
「汗のにおいがする」
「こんなの格好悪い?」
「ううん、……もしそうだとしても、気にしない」
すっぱり否定する。汗をかいているのは私もだ。筋肉量の多い光忠はもともと体温が高いし、大好きだし、そんな彼とくっついて、どきどきしているんだから、余裕がない、格好悪いのは私の方。
それに。
一度大きく呼吸をしてから、ちょっとだけ体を離した。すぐ近くに彼の目がある。じいっと見つめ合った。
頬をゆっくり撫でられるのは、多分そういうことだとなんとなく分かる。まだ慣れない行為への緊張で、喉の奥にぐっと空気がつっかえた。
それでもそっと目を閉じる。
唇が触れ合う瞬間、漠然としていたものが角砂糖みたいにぎゅうっと固まって、胸の奥にぽちゃんと落ちていく。
……私も、このひとのために何かできるようにならないと。