21

「太鼓鐘貞宗」

 名前の口から突如飛び出した旧友の名に、燭台切は目を瞬かせて書物を閉じた。
 布団の上に横になっている燭台切、その隣で同様に寝転がりながら紙束に目を通していた名前は、視線だけを彼に向けている。
 少し前まで、新撰組刀の練度について話し合っていた筈だ。それが突然、どうしてその名が出たのか。
 瞼も少し降りている、眠いのかな、と燭台切は当たりをつけた。この話がひと段落したら眠るように促そう。

「さだちゃんがどうかしたのかい?」
「それだよ」

 聞けば、名前は神妙に頷いた。
 それ、とは。燭台切が首を傾げる間も無く、今度は逆に問い返される。

「光忠、他の刀剣男士をなんて呼ぶ?」
「陸奥守君とか、大倶利伽羅君とか、鶴丸君とか」
「私は?」
「……僕の名前?」
「へぶっ、ちょっ」

 名前の顔面に紙束が落下した。予想外の回答は彼女の心を揺らし、頬を染める。口元を混ぜこぜにした戸惑いと嬉しさに解きながら、ああだのううだの口籠った。
 本を読む気力も失せてしまったのか、付箋を入れて閉じ、枕元に置く。身を捻れば、今度は名前の体の向きもしっかり彼と対峙する。

「み、光忠って、どうしてそういうことを恥ずかしげもなく言うのか」
「確かに今のはわざとだけどさ、本音だよ。君にはいつも素直でありたいし、真剣でありたい」
「えっ、えっと、あの、うう、うん、し、真剣必殺?」
「真剣必殺」

 思わぬ単語をつい復唱したあと、燭台切の口から笑い声が零れた。名前の分かりやすい混乱っぷりはいつ見ても微笑ましい。
 とはいえ、本題。呼び方について話を持ちかけられている。となると。

「君を呼び捨てしてるのが気になった?」

 燭台切が聞いてみると、名前は首肯した。それを見て舌を巻く。
 嫌だったのかな。そんな素振りは無かったけど、僕が気付いていなかっただけだったのかもしれない。無くはない可能性だ。
 その旨を尋ねる前に、名前が言う。

「なんとなく気になって」

 ……ただ単純に不思議がっているだけか。
 察して、燭台切は身構えかけていた肩から力を抜く。興味と好奇心を宿す名前の目を見つめ返した。話したところで特に不都合もない。ぱっと口を開く。

「こっちの方が距離が近いのかなと思って。恋人みたいというか」
「こっ、恋人みたい」
「今は『みたい』じゃなくて本当にそうなんだけどね。
 いや、君の私物の少女漫画を拝借した時に呼び捨て率が高くて、そっちの方がメジャーなのかな、と」

 名前が目を瞬かせる。予想外の答えだった。いや、もしこの答えを予想できる者が居るとは思えないが。
 燭台切の言葉に幾分か照れるまま、名前は返された答えを飲み込んだ。
 本丸の共有財産として回し読みを許可している私物の中に、あらゆるジャンルの漫画を含めていることはちゃんと把握している。まさか燭台切が少女漫画に手をつけていたとは思わなかったものの。誰でも好きなものを読むのが良いとは思うが、燭台切が少女漫画を読むという状況を特別想像したことはなかった。なるほど、読んだのか。
 そこから知識を仕入れるとは、と名前は呟く。

「……あ、誤解のないように言っておくけど。さっき言った通り、僕の『恥ずかしげもなく言う』こととやらは僕の本音であって漫画の受け売りじゃないからね」
「う、だ、だからもう、本当に、恥ずかしげもなく……」

 尻すぼみになる名前の声に、燭台切は笑った。彼女の赤くなった耳を指で弄んでしまいたくなるのを抑えつつ、頬を撫でるだけに留める。それでもどきっと心臓を跳ねさせて身を縮こまらせる名前に、
 
「刀剣男士は顕現される時に粗方の現代知識は得ているけどさ、僕はもっと知りたい。君の過ごしていた時代のこと」
「……、な、う」

 熱の引かない顔を上げた名前は、きゅっと唇を引き結んでいた。
 それを宥めるように、燭台切は親指で頬骨を擽る。なんとなしに、戯けて言った。

「例えばね。本当は、僕が君に告白する時は、5ー4に出陣する前に『帰ってきたら話したいことがあるんだ』って言うつもりだったんだ、ずっと」
「う、うん」
「だけど、ちょうどその少し前に『死亡フラグ』とやらの存在を知ってやめた。すごくドンピシャだったんだね」
「ふっ……」

 名前は思わず吹き出す。そういえば、本丸で一時期話題になった。発端が自分の発言だったので覚えている。
 あんな甘い言葉のあとにそんなお茶目な話が返ってくるなんて。武士はゲン担ぎをするもので、光忠も武士としての振る舞いをすごくするひとだ。だからおかしくない。だけど、ちょっとかわいい。
 余程ツボに入ったのか、長いこと眉を下げてくすくす笑う。
 楽しげな様子に、光忠は目を細めた。もう一度頬を撫でる。

「でもそっか、ちゃん付けが気になるんだね」

 笑い声が止まったあたりで、話を元に戻す。名前も余韻が残る口角の上がった表情で、うん、と頷いた。
 燭台切の手が彼女の腰に回る。照れるより先、状況把握の暇さえ与えず、しかし柔らかにその体を引き寄せた。
 目を丸くした名前が燭台切を見上げる。その額に彼は自らの額を寄せた。視線をかち合わせる。
 とろ、と蜂蜜色が溶けるのを名前は見た。

「名前ちゃん」

 胸の奥、ごとんと何かが落ちる。それは蓋のようで重石のようで、とにかく彼女を押さえつける何かだった。手で顔を覆う。
 じっとしていられなくなる。擽ったさのある衝動。転げ回ってしまいたいぐらいだ。肋骨の内側がもぞもぞする。何かふわふわしたやわらかいものが這い回るのにつられて体を身じろがせてしまう。身をこの場に落ち着けられない。心臓がどきどきする。恥ずかしいのどきどきでも緊張のどきどきでもない。ただひたすらに、しあわせ、しあわせ、と叫んでいる。表情筋から力が抜ける。彼の目のとろける様が蜂蜜なら、彼女の頬は生クリームが溶ける時のそれだった。

「どうしたんだい?」

 顔を隠してじたじたと身じろぐ名前に、流石の燭台切も面食らう。悪い反応ではない。けれど、これはどう感じてそうなっているんだろう。
 足をばたつかせた名前の体を胸に寄せて、髪を撫でた。名前は暴れだしたくなるような気持ちに逆らえず、ぎゅうっと燭台切に抱き着く。突き動かされるまま腕に力を込めた。ぐりぐりと頭を彼の胸板に擦り付ける。燭台切はなおのこと驚いた。もしかして、その動作は。
 名前はその間、この感覚を的確に表す言葉を探す。どうしたのかと問われたからもある。けれど何より、この不可解な感情に名前を付けてしまいたかった。名前を知らない感情はコントロールしにくい。それでは落ち着くまで時間がかかってしまう。
 やさしくされている、違う。
 ほめてなでてもらっているときに、ちょっとにている。
 うれしい、に近い。
 ああでもない、こうでもない、と浮かぶ言葉たちを当て嵌める。語彙力は必要ない。こういうのは案外単純なワードで片がつく。
 ……そうして、はた、と思い当たった。たったひとつのピースだけで完成するパズルの、その全貌が見えた。
 燭台切の体にがっしりと回されていた名前の腕から力が抜ける。伺うように彼女を見下ろす燭台切へ視線を返す風にして、名前は胸元から顔をどかした。
 答えに出会えた喜びと、あの呼称に与えられた幸福が彼女に笑顔を与えている。
 生クリームがてろりと溶けた。

「甘やかされてる、みたい」

 その声は喜色に溢れていた。上擦りさえしている。
 燭台切の耳はしっかりとそれを拾って、同時に半ば呆然とした。口内に甘味が広がる錯覚。心の臓がきゅうっと締め付けられた。こんな風に、笑うだなんて。
 今度、衝動のままに相手を掻き抱いたのは燭台切の方だった。驚きから漏らされた小さな吐息が着物越しに彼の胸元を擽る。燭台切は緩む頬をそのままに、ひたすらに名前を抱き締めた。
 そのくせ、先程の動作でやはりと思った、しかしここで言われて初めて気付いたような素振りで口を開く。声が明るくなりそうになるのを堪えて、いつものように落ち着いた音になるよう努めた。

「それは良いことを聞いたな」
「え?」
「これから甘やかしたいときは、ちゃん付けしたら良いってことだろう。そういうときだけ呼ぶようにしたいな、効き目がありそうだ」
「えっ」

 名前が目を見開く。想像したのか、その表情には照れが見えた。そう、それが見たかった。翻弄されたら本音にてひとつお返し。満足して、喉に入れていた力を抜く。

「光忠はどこまで私を甘やかす気なんだ」

 ぼそりと呟く声がした。字面は悪態じみているのに、困ったように眉を下げているのに、悪い感情などちっとも乗せられていない。それが面白くて、燭台切は名前の髪を撫でる。

「どこまででも」

 返した答えは、思いのほか芯を持った響きになった。
 僕が認識していたよりも、僕はこの子を甘やかしたいらしい。
 今知らしめられた欲求に、彼は逆らわない。
 
「さて、早速。
 こっちにおいで、名前ちゃん。
 眠るまで撫でていてあげるから、そろそろ寝よう」

 甘やかに誘い、腕の中の体を抱き直す。胸元に名前の頭を引き寄せれば、彼女は素直に額を擦り寄せた。
 眠るまでなんて良いの、だとか遠慮する言葉が無いことに、おや、と思う。それだけの力があの呼称にあったのだろう。尚更今後活用しなければ。躊躇わないのは良いことだ。普段のも可愛いけれど。
 名前の頬にかかった髪を避けてやってから、文句通りに彼女の髪へ指を通す。名前の髪の柔らかさを心ゆくまで楽しむことが、燭台切は好きだった。
 指先へのくすぐったさにうっとりしながら、燭台切はほう、と息を吐く。そしてさらなる誘いを投げかけた。

「どうせだし、子守唄とかも唄うかい? 背中をとんとんしたり呼吸のリズムを合わせてみたりするのも寝付きやすいらしいね」

 提案に、名前は目を瞬かせる。その知識量に純粋に感心しているらしかった。パソコンを借りて調べたと燭台切が正直に言うと、ほほう、と頷く。パソコンの使い方は教えたけどもうだいぶ慣れたんだね、すごいな、という感想も溢した。
 なお、話してはいなかったが検索ワードは「子供 寝かしつけ方」である。だというのに、名前はどれを選択するか真剣に悩んでいた。

「どれがいい? ご随意にどうぞ」
「えっ」
「うん?」

 名前の戸惑った声に、燭台切は聞き返す。茶目っ気を見せて力を抜かせようかと思ったんだけど、何か駄目だっただろうか。
 燭台切の視線を受けた名前は、視界に入れるものをあれやらこれやら変えた後に金色を見つめ返した。

「……え、あの、えっと、ご随意に、って、命令じゃなくて。
 こ、……こいびととしてのお願いがいいです……」
「ぐっ」

 彼女はたまにぶっこんでくる。
 燭台切の心臓が途轍もない音を立てた。
 彼の呻き声に戸惑って、名前は慌てて腕から抜け出そうとする。それを抑え込んでもう一度胸元に名前の頭をひっつけた。
 名前の耳に、速くなった鼓動が届く。それに固まって、けれど次には同じように照れて笑った。燭台切はすっかり赤くなった頬の熱を吐息に混ぜ込むようにして吐き出す。先程のようにお返ししてやるにも、立て直すだけの余裕が少し足りなくなっていた。参った。声色は困ったような嬉しいような、感情がそのまま乗ったものになる。

「恋人としてだよ、ちょっとふざけて言っただけ」
「そ、そっか」
「どれにする?」
「う……」
「決められないなら今日は子守唄にしようか」

 取り敢えずさっさと寝方を決めてしまおう。彼女はどれにも魅力を感じているようだったから僕が先導しても構わないはずだ。熟考の末を待つのも良いけれど、早く寝なければ。別に照れ屋な彼女の思わぬ素直さに動揺しているからではない。断じて。……嘘はいけない。確かにそれもある。
 そうする、という声へ応えるようにして、燭台切はこっそり練習していたメロディーを口ずさんだ。目を閉じた彼女の頭を撫でてやるのも忘れてはいない。
 自分は太刀の刀剣男士であるから、子守唄を唄ってもらった経験などない。だのにどこかノスタルジアを感じる唄を、名前が眠りに就くまでゆったりと唄う。あるときは愚図る子供を寝かしつけるために唄われた唄。あるときは無垢な子供を慈しむようにして唄われた唄。
 短い唄が一度目の最後まで辿り着く。
 音の間が曖昧になった、眠たげな声がした。

「光忠って、本当に甘やかすよね」

 名前はそれを言ったきり口を噤む。そうして、初めから唄い直した彼の、その和やかな唄声に身を委ねてしまった。
 二度目の唄の途中で、とうとう寝息が聞こえだす。役目を終えた子守唄は、フェードアウトして失くなった。
 彼女が眠っても、燭台切は未だに手を止めない。
 眠る直前の彼女の言葉を反芻する。続いて彼女が横によけた戦績の紙束、布団の傍に出来ている歴史書の山、机の上に積まれている政府へ請求した大量のデータ集、ぼろぼろになった彼女のノート達が脳裏をよぎっていった。
 それでも、君は自分を無能だと言うんだから。
 心の中でぼやいて、時計を確認する。……ああ、もうこんな時間か。
 燭台切は眉を下げた。

「名前って、本当に甘やかしたくさせるよね」

 僕の名前は、ばかな子だ。

甘言で君を溺れさせたなら

title by 創作お題bot 151228