20

 槍が憎い。
 語弊がある、言い直そう。検非違使の槍が憎い。うちの蜻蛉切さんや御手杵のことは大好きだ。うちの刀剣男士皆が好きだ。
 だからこそ、彼らに怪我を負わせる敵が憎い。──その害が光忠に向けば尚更だ。私は全員大事に思っていると歌仙にも言ったけれど、光忠が「特別」なのは事実なのだから。
 戦場に赴く刀剣男士と審神者の間には、霊力の回線による通信が繋がっている。進軍するか帰城するかなどの選択は隊長に委ねてはいるけれど、報告は定期的に受け取るようにしていた。そして勿論、緊急の連絡も。

「ごめん、怪我をしたから帰城する」

 苦笑混じりの光忠の声、それには間違いなく、苦痛の吐息も混じっていた。
 肋骨の内側がざわついて、ぐちゃぐちゃに掻き回されて、混ざり合った臓物が喉にせり上がって、吐き散らかしてしまいそうになった。声を出す余裕なんかなくて、「大丈夫?」とも「わかった」とも言えなくて、光忠もきっとそれを分かっていてくれて、返事を待つのもそこそこに通信を切った。
 苦しい。
 漠然とした言葉しか出ない。どうしようもない。
 立ち上がろうとした脚には力が入らず、足首があらぬ方向に曲がった。痛覚へ割く頭は無い。そんなもの今は要らない。もっと別のものが痛い今、足の痛みなど感じていない、感じていない。崩れる膝を叱咤して、半分以上壁に支えられながら本丸を歩いた。出陣部隊が帰城する、準備を、と声を張り上げた声はすっかり裏返ったもの。それでも号令を聞きつけて、皆はばたばたと忙しなく動き始めた。
 帰ってきた光忠の姿は、格好良く決めないと、と整えてあったそれとは全く違った。私が結ばせてもらったネクタイだってズタズタだった。怪我であまり動けないのだろう、光忠は陸奥守に肩を貸してもらっていた。
 出迎えた門の傍、同じように動けなくなってしまった私の、けれどその理由のなんて惰弱なことか。
 なんとか皆におかえりを言った私に、副隊長の長谷部は、「隊長が負傷している以上は副隊長である俺が報告をするのが原則ですが、職務をサボタージュさせていただきます」

 そこで光忠を担いで屋内へ向かう陸奥守を見て、

「仕事の出来ぬ家臣の愚痴は、どうか手入れ部屋で」

 茶目っ気のある言い方をするものだな、と言えるわけがなかった。私の口から出たのは、ありがとう、ごめん、だけ。
 皆にも休むよう告げて、中へと姿を消した2人の後を追った。


 そして現在、私は手入れ部屋の外でひとり、めそめそぐずぐずと泣いている。
 太刀の手入れには時間がかかる。手伝い札は貴重だから、おいそれと使うわけにはいかない。仕事においては、光忠だけを特別扱いする気はない。彼がどれだけ痛くても。
 ──そう、特別扱い、してはいけない。してはいけないのに、光忠が怪我をしたとなってはこの体たらくだ。満足に話せもしない、報告を受ける余裕もない、皆に気を遣えない。むしろ気を遣わせている。
 気を失った光忠が手入れ部屋に入ってからどれくらい経っただろう。時間感覚も曖昧で、ただ増していく足首の痛みだけが私の意識を現実に引き留めていた。きっとこれがなかったら、涙に気力を溶かして一緒に流し出したまま、からっぽで座り込むだけだった。
 彼を手入れ部屋に連れて来てくれた陸奥守はもうとっくのとっくに出て行った。夕食の時間は過ぎているし、お風呂の順番も回り始めている頃だ、もしかしたら日も変わっているかも、と靄がかった思考の隅に浮かぶ。でも誰も呼びに来ないのは、やっぱり皆に気を遣って貰っているからに他ならない。今の調子じゃ何も出来やしないと、私自身にも分かっている。
 本当に、駄目な主だ。
 ひとりになるのがいやなのに、みんなにきらわれるのがいやなのに、結局、こんな醜態を晒している。足を捻っていて良かったかもしれない。罰としての責め苦のようで、少しだけ楽になる。動かない足を罪人の足枷のように錯覚する。同時に、それはただの妄想、ただの逃げだとは分かってはいるけれど。
 かたん。

「……名前、居る?」
「────、え」
「あ、良かった。居た」

 声がした。物音と共に。手入れ部屋の中からだった。聞き慣れたそれは掠れを伴って、柔らかく私に語りかける。
 引き攣る喉をどうにか抑えて、泣いているのを悟られないように努めた。

「今、目が覚めてね。気配がしたから、もしかしたらと思ってさ」
「ご、めん、気になったよね、今行くから」
「駄目、行かないで。僕が直るまで、そこに居て」

 子供を窘めるのと同じ声。
 あ、やばい、と思った。
 思った、のに、聞いてしまった。

「どうして」

 馬鹿のひとつ覚えみたいな、問いかけの言葉。
 光忠は殆ど間を置かずに、
 
「だって君、泣いてるだろう」

 ──本当に、このひとには、敵わない。

「僕、多分、今まで。君が泣いている時に、皆勤賞とってるんじゃないかと、思うんだよね。だから、逃せないよ。コンプリートしなきゃ」
「な、に、もう。そんな、茶目っ気混じえて言うもんなのかな」

 どこかで言えなかった言葉をここで放って、そのあとに口を噤んだ。
 光忠の言うことは、間違っていない。
 そうだ。
 光忠は、私が泣いているとき、いつも、傍に来て、ずっと居てくれた。
 立ち去る気なんて無くなって、その場に座り続ける。
 彼の言葉がやや途切れ途切れなのが気になって、怪我の具合は? と聞けば、まあまあかな、話すのに問題はないよ、と返って来た。手入れ部屋の精霊からドクターストップも掛かっていないようだから、多分本当だ。
 目が覚めて、かつ、話が出来るぐらいには良くなっているということが気持ちを落ち着かせてくれてはいたけれど、なんせあんなことを言われた後だ。恐ろしさと情けなさで溢れていた涙に愛おしさと嬉しさのそれも加わって、体の方は落ち着いてくれない。しゃくりあげる弾みで跳ねる肩が煩わしい。

「怖がらせてごめんね」

 謝罪の言葉にすぐ首を振る。壁の向こうの光忠に見えているわけがないから、その後にううん、と声に出した。光忠から返ってきたのは「ありがとう」で、頭を抱える。これだから、このひとは。このひとの言葉は、私に都合が良すぎる。

「……ねえ、君はずっとここで泣いていたんだよね」

 その代わりに、次に与えられた言葉はずくりと突き刺さった。
 審神者としての務めを果たしきれない脆弱な自分の姿が、眼前に戻って来る。

「そう、だよ。仕事、とか、しないで。ずっと。馬鹿みたいに。いつも以上に出来ないで。馬鹿みたいに」
「そっか」
 
 半ば自棄になった答え方をしてしまった。これでは泣いていた理由も伝わってしまっただろう。情けない私への簡潔な相槌には、受容がたっぷりと含まれている。受容と言ってもただだだっ広いだけの海のようなものではない、ふわふわとした綿で包み込むような。直接的で、個人的で、あたたかい。
 光忠は言う。

「君はね、気負いすぎなんだ。
 ……情を完全に切り離すなんて、そう上手くいかないんだよ」
「でも、私は審神者で」
「僕だって、刀で家臣だ。けれど、もし仕事中、君が傷付けられたら。僕は、激昂するよ。相手を許さない」
「それは光忠が」
「名前」

 穏やかな声、だけどその先は決して言わせまい、という意思を脳髄へ叩き込まれた。

「僕が、刀で、家臣だから、じゃないよ。
 ──ひとりの男として。僕が、君を愛しているからだ」

 ぐ、と詰まる。照れれば良いのか、……悔やめば良いのか。光忠の気持ちを否定しそうになっていたことに、今やっと気付いた。
 ──じゃあ、私は? 私がもし、光忠の怪我に此処まで苦しまなかったなら、私は光忠を好いていると言えたのか? でもそれは審神者の職務に合致しているのか? 

「……うーん、名前。考えすぎだよ。関係性が変わったから、引っ掛かってるだけ。
 恋人になる前でも、君は、僕が怪我をしたら。今ほどじゃないにしても、絶対に取り乱してた」
「それは」
「絶対だよ。
 君にとって、僕は唯一だから」

 潔い断言。揺るぎない一言。確信が詰まった音。

「皆も承知してるよ。君が僕の怪我で取り乱すことなんて。
 僕たちだって、刀として、扱われたい。戦いたい。だから、僕たちを扱う主として、もし目に余るようなら、ちゃんと進言するさ。それがないんだから、そういうことだよ」
「……、……うん」

 頷く。……ああ、私は考えなしだ。皆のことを見縊っていた。皆の有り難さと優しさを忘れていた。自分のことにかかりっきりだった。光忠に言ってもらえるまで気付けなかった。
 自分へ湧き上がる感情、噴き出す衝動をそのまま形にする。髪をぐしゃぐしゃ掻き回す。大きく溜息を吐く。あはは、と光忠の笑い声が聞こえた。

「名前が名前自身を許せなくても、僕は名前を許すからね」

 あああああ、吐き出す息に声が混ざる。もう、このひとは、このひとは!
 つっかえていたもの全部を取り払われて、突然に息をし易くなって、逆に咳き込んでしまいそうだった。このひとの受容は、甘い。甘い。甘い。溶けてしまいそうだ。思考が何処かへ吹っ飛びそうになる。

「ねえ、部屋に入って来てくれるかい?」
「──光忠ッ!」

 邪魔にならないよう、手入れ部屋に入ることはそうそう無かったのに。勢いのまま、部屋に飛び込んだ。足の痛みなんてどうでも良かった。
 目に入るのは精霊が手を尽くす刀。あちこちが欠けている。傍らに敷かれた布団の上に座る襦袢姿の男の姿。包帯塗れ。ひとのかたちをしている方の前に滑り込むようにして座った。光忠は私を見て目を丸くした後、「せっかちだなあ」と笑う。
 手袋の嵌っていない彼の右手が私の方へ伸ばされて、ゆっくりと背を引き寄せられた。怪我人である体に触れる度胸が無いまま、じいっと腕の中に収まる。
 彼の手が、私の背を撫でた。

「言っておくけれど」

 春風の声音に耳を傾ける。

「名前を助けたい、名前を守りたい、名前を幸せにしたい。そう思っていたはずなのに、名前に失う恐怖を与えてしまった。
 僕は、自分が憎いよ」
「そん、な! 光忠は、こうやって、帰って来てくれた。泣いてる私の、傍に居てくれた。泣いた理由、全部、受け止めて答えてくれた。わ、たしは、それだけで、もう、十分、だから」

 ぐちゃぐちゃになった言葉を、うん、うん、と光忠は聞いていた。そして、ふふ、と笑う。私の髪へ、彼の頬が擦り寄せられた。
 弾んだ声で問われる。
 
「名前は、僕を、許す?」
「許す、も、許さないもない、最初っから、光忠には、許されなきゃならないことなんて、無い!」
「……うん、うん」

 胸の奥に染み込ませるような、飲み込むような声だった。その後に幾許ばかり、どうしてか居心地の悪くない沈黙が続く。
 光忠が、ふう、と息を吐いた。食後の、満足げなそれと似ていた。

「やっぱり、名前が好きだなあ」

 ぶわ、と顔に熱が集まる。蕩けた声だった。蜂蜜みたいにとしりと重く、こぼれていくようで、どろどろと甘い。
 胸の内に溜まったぶすぶす燃える燻りを、色々と迷ったのちに彼の服の裾を掴んで堪える。いっそ痛みを訴える足首を無理に刺激したいとさえ思う。
 そんな私の頭の上から、小さな言葉が降ってきた。

「恋をすると、弱くなるよねえ」

──ああ、全くその通りだ。

ひとりで恋などさせないよ

title by afaik 151110