07

「山姥切国広ー」
「ああ、分かった。今行く」

 最近、名前と山姥切君の様子が可笑しい。
 僕が料理や洗い物をしている頃合いを見計らって、2人で何処かへ行くのだ。名前のことを好いている僕にとっては2人きりで何をしているのかを気にするなという方が無理な話で、適当な理由を作って彼女の部屋や山姥切君達の部屋の前を通ってみたりもした。
 けれど其処に2人の姿は無くて、何処へ行っているのか皆目見当がつかない。本丸は広いから、片っ端から探そうにも時間がかかるうえに不自然すぎる。
 今日も、何処かへ行く彼らを横目で見送るだけだった。僕は、もどかしさに歯噛みするばかり。


 目が覚める。まだ皆寝静まっている頃だ。朝餉の支度をする前に、身嗜みを整えておかなければ。
 近侍は特別に1人用の部屋が用意されているというのは嬉しい。寝起きの顔を誰にも見られずに済む。洗顔しに行って部屋に戻り、服を着ようとした時。
 障子の向こうに気配を感じた。

「誰だい」
「えっ、あ、わ、私。燭台切、今良いかな」
「主?」

 予想外の答え。いつもは眠っている時間の筈なのに。慌てて鏡を確認する。まだ皺のついた寝巻きのままだし、髪を整えてもいない。しかし寒いはずの外にずっと立たせている訳にもいかない。
 障子を開けるとすぐそこに居た名前に、今格好悪いけど見なかったことにして、と言うと、逡巡したあとに頷いてくれた。
 中へ招き入れる。

「こんな時間に、珍しいね。何か急な用事でもあったのかい?」
「……えーっと、うん。あの、シャツだけ、着ちゃってくれるかな」

 何があるのか、そわそわしながら名前は言う。
 まだ半ば眠そうな顔をしているのが可愛らしかったのと、最近の妬ましさの意趣返しをしたくなって、それって君の目の前で着替えるってことかな、と聞けば名前は部屋の隅へ逃げ出した。角に頭を押し付けて、見てないから今着て! だなんて叫ぶ。
 本当にそうでも僕は構わないんだけど。
 こみ上げる笑いを隠さないまま、僕は寝巻き用のジャージとTシャツとを脱いでワイシャツに腕を通した。
 ボタンを締めつつネクタイもしたほうが良いのかとも思ったけれど、名前がシャツだけと言うのならシャツだけなのだろうと判断する。ネクタイは傍らに置くだけにした。下だけジャージなのは不恰好だし、こちらも着替えておく。

「着たよ」
「本当に? ねえ、本当に?」
「本当。ほら、こっちにおいで」

 名前を呼ぶと、彼女は恐る恐る振り返ったあとに胸を撫で下ろした。
 畳に手と膝をついて戻ってくる。僕の前に正座すると、片手で壁を作るように顔を抑え隠して、あーとかうーとか呻いた。言いにくい事がある時のいつもの動作だけれど、今日は珍しく決意が早くて、

「あの、燭台切はさ」
「うん」
「わ……、私がそこそこくっついても嫌じゃないですかね」

 思わぬ問いかけに面食らう。顔を真っ赤にしている彼女は、けれど僕に真っ向から恋愛感情を向けているわけではない。むしろそこにあるのは不安の方が強いように見えた。
 大方、嫌だと言われた場合でも考えているのだろう。彼女はいつもそうだ、未来に対して悪い想像ばかりする。だからこそ名前は現在のみを考え、未来への思索に繋がる考えは自分に嘘をついて隠してしまうことが多いわけで、この疑問も本来そうなるはずのものだっただろう。
 だのに危険を冒してまで問いかけたということは、それなりの理由があるはずだ。
 恐らくそれは、僕への信頼。このひとならば拒絶しないかも、という淡い期待。されど答えを聞くまでは僕の顔を見るのも怖いのか俯いていて、寧ろ此方がその体を抱き締めてあげたくなる。
 そう、僕の答えはとうの昔に決まりきっているのだ。

「君に触れて貰えるの、いつも嬉しいよ」
「……う、うれ、しい?」
「うん。……だって、それってヒトガタだから体感出来ることだろう? 触れ合う面積が大きければ大きい程、尚更ね」
「あ、ああ、なるほど」

 安心した、という顔で名前は何度も頷く。
 嫌じゃない、では駄目だし、そこそこ、だなんて人によって範囲が違う言葉は塗り替えておかなければ駄目。自分に自信が無くて言葉の穴に不安を見つけだし、そのくせ僕を信頼しきって言葉自体はそのまま受け取る名前への、僕の思いつく限り最良の答えだった。
 実際、本心からの言葉でもある。彼女を好いているからが理由として一番大きいものの、ヒトガタ云々のくだりも本当のことなので嘘はついていない。
 名前は強張っていた肩を緩めていて、僕も自然と笑んでいた。彼女が勢い良く顔を上げる。
 早口で告げた。

「しばらくじっとしてて」

 僕が頷くと、名前はなんと僕の側にあったネクタイを引っ掴む。
 それを認識した瞬間には、ぎゅう、と彼女は僕の首に抱きついていて、否、ネクタイを僕の首に回そうとしていて、世界が止まった。時間としては数秒のことであるはずなのに。
 一瞬擦り合った頬の柔らかい感触、耳元で聞こえた息遣いへ意識がいく。
 ネクタイを結ぶ名前の、その震える手を宥めてやる余裕も無い。
 気付いた時には形良く完成していて、名前が大きく安堵の息を吐き出した。僕も我に帰る。

「あ、あの、出来てるかな。格好悪くないかな、なってたら自分でやり直して欲しいんだけど、ごめんね」
「……ううん、ちゃんと格好良く結べているよ。ありがとう」

 言って頭を撫でてやれば、名前は頬を綻ばせた。見た事もないくらい嬉しそうな笑顔に、また止まりかける。
 すんでのところで保って、もう一方の手を彼女の手に重ねた。緊張がまだ抜けていないのか固くなっていて、それを僕の熱で溶かせまいかとゆっくり包み込む。
 名前が目を泳がせるのを見ながら、浮かんだ疑問と思い当たる記憶の真相を求めた。

「ネクタイの結び方、知っていたのかい?」
「いや、知らなかった。ネットで調べて、それで、山姥切国広に頼んで練習させてもらった」

 予測通りの答えに、複雑な想いが湧き出る。彼女が山姥切君と2人きりになっていた理由が僕のためだったことへの喜びと、同じくらいに強い、新たな嫉み。
 先程の感覚を思い出す。
 少しの隙間を残しただけの抱擁に似た、あの動作。
 あれを、山姥切君は何度もされていた? 幾多の練習の度、何度も?
 嫉妬だなんて格好悪い。それでも考えずにはいられなかった。察するのが苦手な名前はそんな僕に気付かずに、楽しそうな声色を作って言う。

「さっきの質問、もしくっつかれるの嫌だって言われてたら大変だった。こう、上手く周りをぐるーっと周らなきゃいけなかったからさ」
「……周る?」
「そうそう。ネクタイを首に通さないといけないじゃん。まあいつもそうやってたんだけど、あれって地味に体力使うから。いやはや、大変になるかならないか気になって聞いたんだけど、良かった」

 先程の質問への誤魔化しに潜んだ、いつも、という単語を聞き漏らしはしなかった。山姥切国広には布まで外して練習に付き合ってもらってる身なのにべたべたするの申し訳なさすぎて、でも一緒に居た山伏さんに毎回笑われた、と続けられた言葉もしっかり拾う。
 なんだ、嫉妬する必要は思っていたより無かったらしい。
 2人きりで居たのかと思えばそうでもないようだし。僕の胸が、喜びのみに支配された。名前は笑う。

「……あの、ありがとうね。燭台切には世話になってるから、私も何かお返しできたらって。この位しか思い浮かばなかったんだけど、少しでも喜んでもらえたなら、良かった」

 愛おしい、と思った。勝負に出られる程強く僕を信頼してくれているのも、僕の言葉にすぐ安心してしまうのも、僕を喜ばせられたことで嬉しがるのも、ほんの僅かな仕草でさえも、名前の見せる僕への好意全てが愛らしかった。
 彼女が欠伸を噛み殺す姿に、更にそれが増す。本来今は眠っている時間なのに、苦手な早起きまでして此処へ来てくれた。自分の中に激情を留めておくことはひどく苦しい。全て彼女にぶつけて、内から溢れさせてしまいたい。衝動のまま抱き締めて、口付けたい。
 ──それにはまだ早いと、僕が一番知っている。今可能なのは、重ねたままの手に想いを託す想像ぐらいだ。

「主。僕、明日から朝はネクタイをしないよ」
「え?」
「朝餉の片付けが終われば時間が出来るから、その時主に結んでほしい」

 僕の言葉に、名前はぱちくりと目を瞬かせた。やがて意味を理解したのか、いいの!? と前のめりになる。僕からお願いしたいくらいだよ、と言えば、目をきらきらと輝かせた。
 これ程嬉しそうな彼女は、やはり見たことがない。そんなに僕を喜ばせられるのが嬉しいのだろうか、だなんて調子に乗ったことを考える。すっかり力が抜けた彼女の手首を一撫でした。

「こんな時間に起きたんだ、もう一度眠りに戻った方が良いよ。ちゃんと起こしに行くし、髪も梳いてあげるからね」
「……うん、そうする!」

 満面の笑みを浮かべたまま、名前は立ち上がる。障子を開いて廊下に出た。かと思えば、また少しだけ開けて名残惜しそうに此方を覗き込んでみたりする。笑いかけてあげると、へにゃりと笑って障子を閉じた。
 忍び足の足音が遠ざかって行く。
 鏡を見た。
 自分の胸元には、きちんと結ばれたネクタイがある。触れて、思わず溜息。ああ、あの子は、本当に。──僕のことを好きなんだなあ。

メーデーメーデー、そのばらまく愛を早く、そして全部

title by しろくま 150315