06
私が審神者で良いのだろうか。
喚び出したのが私だから此処に居るだけで、皆本当は不満があるのではないだろうか。
次の出陣で、誰かが大怪我をしてしまったりしないだろうか。
時折、そういう暗い想像が頭を離れなくなることがある。
「……今週も、敗北無し。5-2攻略も、間近……、これでよし」
政府に提出する報告書を推敲し終わって、息をつく。送信ボタンを押すと、すぐ電源を落としてしまった。
スタンドライトがあるとはいえ、闇夜の部屋でずっとパソコンを見ていたからか目がちかちかする。目頭の骨あたりを指でぐっと押した。
異世界越しでもパソコンでやりとりが出来る辺り、テクノロジーとオカルトの合わせ技は凄い。本丸にも電気は通っているし、一体どういう仕組みなんだろう。電波と霊的なものは相性が良いとは聞いたことがあるけれど、これもそれを適応可能なものなのだろうか。
だなんて、他愛ないことを考える。気を紛らわしていないと、くらい感情に押し潰されそうだった。
こんな時は、落ち着くまで自室に引き篭るに限る。幸い、今は深夜だ。誰も来ないだろう、と高を括って、
「主、入っても良いかい」
それを壊す声が、ひとり分。声と障子越しのシルエットで燭台切だとすぐ分かり、顔が歪む。途轍もなく察しの良い刀剣男士は何人か居るが、付き合いの長さのせいか彼は群を抜いているのだ。このぐらついた心を隠しても見つかるかもしれない。
どうしてこんなにも図ったようなタイミングで来てしまうのだろう。返事はしない。寝たものだと思わせて、帰ってもらおう。
「……入るよ」
何故だ。冷たい空気と共に燭台切が部屋へ入ってくる。あれ、起きてたんだ。机の灯りは点いているみたいだったから机で寝てしまったのかと思って、起こそうとしたんだけど。なんて言われて、自分の不覚を悔いた。
目の前で灯りを消したら余計に自分は起きて居ますよと教えてしまうのと同じだが、油断せず足音の有無へ注意を払っていれば先に対処出来ただろうに。
こうなってしまえば、起きているのに返事をしなかったという方が不自然だ。
「あー、燭台切。何の用?」
それを問いかけてくる前に先手を取る。燭台切はふすまを閉めると此方へ歩み寄ってきた。闇の中に居たのが部屋に入って来たおかげで、丸い菓子盆を持っているのが見えるようになる。
最終的に隣に座った彼の手にするそれを覗き込めば、温かそうなお茶の注がれた湯のみふたつと、クッキーの数枚入った小さな器が乗っていた。
「頭を使う時には甘いものが良いと思って、夜食に作って来たんだ。おからで作ってあるから夜に食べても大丈夫だよ」
もう遅かったみたいだけどね。真っ黒なパソコンの画面を見て苦笑しながら、燭台切はそう続けた。
疲れてるから丁度良いよ、ありがとうと礼をして、一枚つまんで口に放り込む。仄かに香るバターの素朴な甘さが、心地良く広がった。癒されるのを感じながら、けれど今の私の思考は妙ちきな方向へ進んでしまう。
──料理するのも大変だろうにこんな夜中によくやってくれるものだ、私なんか相手に、どうして。とか。そんな憂いに寄り添ってくれるクッキーの甘さが、彼の優しさそのものを詰め込んだもののように錯覚してしまって、息苦しくなった。
「……どうしたんだい?」
お茶を啜っていた燭台切の声にハッとして首を横に振る。危ない、彼に少しでも不安を見せれば悟られてしまうのだった。平静を装いながら、猫舌の私のためにわざわざ温めにしてあるお茶をぐいっと煽りつつ、内心焦る。
お茶がふたつあった時点で嫌な予感はしていたが、やはり彼は暫くここに居るつもりらしい。どれだけの間居たら自室へ帰るつもりなのかは分からないけれど、それまでずっと隠し通すのは骨が折れるように思えた。
「主」
底の見えるようになった湯のみを置いた瞬間、光忠の手が頬に触れる。肩が跳ねた。心臓が煩くなる。あまりにも突然だったのだ、驚いても仕方ないことだろう。熱いものを持っていたために彼の手が温かくなっているせいで、私の頬もすぐに熱を持っていく。
さらに酷い事に、人の体温というのは、消沈した心へじんわりと染み込むもののようなのだ。無様に落ち込んでいる原因の考えが考えなだけに、涙がこみ上げそうになる。
「……あんまり、驚かせないで、くれませんか。あの、パソコンもあるので。お茶とか、溢したら、大惨事なので」
拒絶せねばなるまい、と思った。なんとはなしに固い口調になる。
燭台切は幾許かの間無言になって、はあ、と嘆息した。手が頬から離される。
安心したのは束の間。
腕を引かれた。
つんのめったのを受け止められる。
もうすぐで抱き締められてしまいそうな程の距離。彼の広い肩が目の前にあって、私の背中にも手が回っていた。ひゅっと鳴った喉が、呼吸を放棄しかける。
「……え、あの」
「ばかな子だなあ。そんな言い方したら、何かあるって言っているようなものだよ」
そういうところも、まで燭台切は言って、その先はやめた。
辛い時には泣いた方が良いよ。代わりにそう続けて、私の髪を撫でる。
彼が着ているのが寝巻きの浴衣であるせいで、体温が伝わり易い。
故にか、みっともないところを見せたくないという意思とは裏腹に、涙が溢れてくる。どうか離してほしい。優しくされればされる程、そこまでしてもらえる理由が見つからなくて不安になってしまう。
燭台切を押し退けようとしても、震える手には上手く力が入らない。それどころか彼はより柔らかな声色で、
「僕の前でくらい、弱音を吐いて泣いたって良いんだよ」
大丈夫。僕はずっと君の側に居るよ。僕は君を支えてあげたくて、今もこうしているんだから。
その言葉が脳髄に響いて噛み砕けきった瞬間、世界が揺れた。
喉が引きつる。涙が止まりやしない。背を撫でられた。たまらず、吐き出すように口にする。
「どう、して」
嗚咽に邪魔されながらの一言。
ああ、成る程。腑に落ちたような声が返ってきた。
「僕は君を、──大事に思っているからね。主だからじゃない、君だからだよ。
君は確かに格好悪い子だけど、それ以上に大事だ。自分に自信がなくても、僕のことは信用して欲しいな」
それで、ぐちゃぐちゃの頭には十分だった。その、私だからだなんていうのもどうしてだか分からないことなんて、私の汚点を認めながらも受け入れてくれているのだと言われては、かき消えてしまう。
燭台切の言葉を疑ったことはない。本当にそうなのか、今は疑う余裕もない。どろついたもので満たされきった心に、彼の言葉がゆっくり染み渡っていく。
「断言する。僕だけは、絶対に君の傍を離れないよ」
答えようとしても、声帯が思い通りに動いてくれなかった。諦めて、彼の服を掴むだけになる。
良い子だね、と優しい声が歌うように紡がれた。