「あんた、兼続のことを勘違いしてるらしい」
「────は」
慶次殿の言葉で、世界が止まった。
「ああ、そんな顔をしなさんな」
「……、────、……、…………」
頭が熱い、いや、冷たい、いや、わからない。かっかと、する。頭蓋を万力で締められたような、脳を締められたような、凍るような、痛いような、硬直。
慶次殿の顔も、手元のお茶も、ぼんやりガラスの向こうにあるみたい。考えることへの恐れ、拒否、世界への拒否。
ぐるぐる回って痛い。ぐらぐら揺れて目眩。
何十秒か何分か、しばらく経って、ようやく私は現実に足を踏み込んだ。
「……すみ、ません」
「いいや」
かぶりを振った慶次殿が、カプチーノをぐいっと煽る。大きな手につままれたコーヒーカップは、ずいぶん小さく見えた。
ひとりで買い物に出ていた最中、ばったりと再会した彼と、流れでコーヒーショップに入って、駄弁ることになって。
話題が自然と直江の話になったのが、数分前。
「あいつは優しい、身内に甘い、それがたまに怖くなる、義を掲げるあいつに限ってそんなことはないだろうけれど、もし穢いところに気付かれて、見限られたらどうしよう、ってたまに考える」。
そういう話をして、それで、──慶次殿に、勘違いしていると、言われた。
お前は直江のことをわかっていないのだ、と、そう言われている気分になった。私が受け取り方に失敗しただけ、慶次殿もそこまでは言っていない、とは、私も思う。けれど。
直江のこと、……直江の悪いところ。
私が、一番知ってると、思ってたのに。違ったのかな。
そう考えたら、瞬間、どうしようって、頭が、動かなくなった。
「……ま、ちっとばかし聞いていきな」
「は、い」
肩をすくめる慶次殿の声色に、苦笑いが混じっている気がした。私には他者の機微なんて読み取れないから──直江なら──いや、どうなんだろう、直江のことわかってるのかな、わからない、どうしよう、私は直江のこと知ってるって、他の人たちよりは知ってるって思いたいけど、慶次殿みたいな直江の友人からしたら──、……駄目だ。
話を聞く体勢に入るより先、止まっていた分を取り返すみたいに、いやな考えがぎゅんぎゅん加速する。減速を待つ。慶次殿も待っていてくれるものだから、頭を下げる。いちいち謝らなくていい、と言われた。
「で、だ。
あんた、『兼続が優しくて甘いから、悪いところを見逃されちまってる』と思ってんなら、それは間違いだぜ」
「…………、え?」
「さっきのは言い方が悪かったかもしれないねえ。
兼続のことを勘違いしているのは、まあ間違いではないだろうが。一番の問題はあんたの自信の無さだろうさ。まあ、結果は変わらないんだが……」
「…………」
一度に話されると、何がなんだかわからない。そもそも、私は瞬発的に頭を回転させて会話するのが得意じゃない。直江にいつも丸め込まれてるのだってそう。
喉と、口の中がからからだ。考えるふりで、考えながら、お茶を口に含む。液体が舌を転がる。
直江が、私の悪いところを見逃しているというのは、間違い。らしい。では、直江は見逃してなんかいない、ということ。私のいやなところ、穢いところを、きちんと知っている、ということ。……それなのに、そんなところも、たとえば嫉妬も、たとえば傲慢だと分かっていながら直江を一番に知っていると思っていたいところも、理解したうえで、可愛いだとか愛だとか言って受け入れている、ということ。慶次殿の言の通りだとすれば、そういう話になってしまう。
そんなことが、あるのだろうか。
私の穢さを、直江は知っていて、けれど、それを褒めて愛でてすらいるなんて、そんなことがあるのだろうか。
あの直江が。
あの、きれいなひとが。
「身内に甘い、優しい。それはそうだろうよ。
だから、その懐の広さを見くびっちゃあいけない。特にあんたはな」
「……、…………」
慶次殿が、たっぷり時間をとる。おかげで私はゆっくり考えられる。
直江の懐が広いのは、事実だろう。味方、同志、仲間、民、そう見做した相手には親しく接するし、守ろうとする。それに絆されたのが私だ。
でも、直江の思想が強固なものだっていうのも知っている。綺麗なものが好きなのを知っている。綺麗なひとが好きなのを知っている。
じゃあ、やっぱり、綺麗じゃない私を好きだって言うあいつは、私の穢いところに気付いていないはずじゃないのか。見て見ぬふりか、都合の良い見方をしているか、どちらかじゃないのか。
本当に穢いのを知っているのなら、どうして。
「……あんた、兼続が好悪と長所短所、上っ面と中身を切り分けられないと思うかい?」
「…………、な、なおえは……、えっと……」
まるで断言するみたいに言われると、つい受け止めてしまう。ぐらぐらの足元では、打ち返す余裕なんかない。投げられたものを抱えて、まじまじと見てしまう。それが正しいのかも、と、揺れてしまう。
実際、正しく聞こえる。
「あんたは弱い」
「……はい」
「兼続も解ってるさ」
慶次殿が、カプチーノを一口飲む。
「それを言わないのは。
──あんた、兼続に『お前は弱い』って言われたら、どうする?」
「────どう、って」
「兼続はそういうところも好きだのなんだの言いそうだし、あんたはそれで勘違いしたんだろうが。
そんなの無しに、ただ、『弱い』とさ」
考える。言われるままに。想像する。
直江に、お前は弱いのだと指摘される。たとえばどこが、ここが、あれが、これが、と。いつもの可愛いも、愛しているも、無しに。弱いとだけ。直江に言われたなら。
どんな声色だろう。どんな表情だろう。出くわしたことのない世界を想像することは、私には難しい。けれど。
指先の冷えを、カップの温度で自覚する。
「なあ? あいつは言わないだろ?」
「…………はい」
頷いて、お茶を飲もうとして、やめる。震えていた手を、テーブルの下に隠す。今更でも、慶次殿にはもう見えていたかも勘付かれていたかもしれないけれど、自分はそうしたかった。弱かった。穢かった。そんなものを見せられなかった。そんなものを見せたくはなかったけれど、──直江は、解ったうえで、愛してくれている、のなら。
それは。
「あんたは、兼続を見くびっちゃあいけない。わかったかい?」
「……、はい……」
息が苦しい。心臓が熱いような冷たいような、……やっぱりわからない。なんて言ったら良いんだろう。
ただ、いま、直江に会ったら泣いてしまう。それだけは浮かぶ。
でも、やっぱり、私、直江のこと、なんもわかっちゃいなかったじゃん、それは本当じゃん。とも。
「納得いってなさそうだねえ」
「…………」
慶次殿の観察眼には感服する。けれど、呼吸はつらい。余計に、つらくなった。穢い。穢い。穢い。穢さに、穢さが重なっていく。
笑い声が聞こえる。
「考え方を変えたらどうだい。
あんたにも気付かせなかった兼続がすごい、ってな」
「……、……それは。確かに」
「ふ、……ハッハッハ! そうそう、それで良い!」
「……?? ? はい……」
更に笑われて、首を傾げる。もっともらしく聞こえたから同意しただけなのに。とは思うけれど、私が冷静だとは限らない。私はいつだって冷静でいたいけれど、自分はそれがかなうほど強くはない。流されているのかもしれない。あとから振り返って、あ、と思うのかもしれない。
ただ、直江がすごい奴で──私はたまに直江のこと綺麗すぎると思ってしまいがちだから、気付いたら即改めていきたいところだけれど──、慶次殿の言うように、ほんとうにすごい奴だって、それだけは事実だ。
胸がすっとしている。お茶を飲む。
帰って、直江の顔を見たら泣いてしまうだろうな。
それだけが気にかかる。
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