──「誰にでも優しい」というのは、扱いにくい特性だ。

「……それで、……真面目で……」
「…………」
「よく笑い……」
「……………………」

 まさか、「嫉妬」なんて懐かしい感情を、浮かび上がらせることになるとは。
 俯き加減で溜め息を飲み込みながら、うるさい直江を視界に入れた。
 口の中にあるお米から味を感じない。特有の甘みはどこかへ行って、弾力性と粘着性と対決する羽目になっている。味が無いだけでこんなに飲み込みづらくなるとは。なんとか嚥下して、やっと空になった茶碗を下に置く。
 直江はべらべらと喋り続けていた。話題は、「仕事関係の人との交流」。職務内容に関してはほとんど話さないくせに、他人との交流についてはそうでは無いらしい。
 ……別に、人間関係の話をされるのは、構わないのだ。私の介在しない世界の話だけれど、まったくつまらないわけでも無い。景勝様の話が出ることもあるから、それはなおさら興味深く聞けるし。直江は癖のある奴だから、仲良くできる人が居ることに、何様ヅラで安心しもする。
 ただ。

「まったく、素晴らしい女性だ」

 ちょっと、これは。そんなことを言っていられない、というか。
 さっきから、おんなじ女の人の話ばっかりしてるの、どうして、というか。
 いや、どうしてもこうしても、理由はわかる。話は嫌でも耳に入ってきていたから。「仕事ができる」、「気遣いができる」、「先日の飲み会で隣席になった」、「教養があって話が面白かった」、──「夜遅いので送ってほしいと頼まれた(これに関しては、他の同僚が立候補したので、義に溢れるその人に任せたらしい)」。
 ──要するに、直江はその人を単純に評価している。
 だけれど、私からすれば。
 いくら女性の夜遅い一人歩きが危険だとはいえ、「送ってほしい」なんて言うあたり、その人は直江に「気がある」のだとしか思えない。
 そして、直江はそれに気付いていない。
 だって直江は、端的に言えば人類総性善説の博愛主義者だ。明らかに「気がある」アプローチをされたとしても、「友人」だという捉え方しかしないだろう。それはどういう風に引っ付かれたとしても、本人は気にしない、ということである。厄介極まりない。
 だいたい、私だって、飲み会の一件さえ聞かなければ、直江に好意的なだけの同僚さんだとしか思わなかっただろう──そうだとしても、ちょっと面白くはなかったけれど。
 直江は羞恥心など持ち合わせていない。他者にあれこれ惚気を話してしまう。幸村殿たちにはもちろん、職場でもそうだと、景勝様からの情報のリークもある。
 件の彼女も、直江には私という恋人が居るということを、耳にしているはず。
 それでもアプローチを仕掛けてくるということは、……きっと、その人は本気なのだ、と、思う。その見る目は褒めたい。
 でも。

「……、名前?」
「……ごちそうさま。
 悪い、直江。今日ちょっと調子悪いみたいで、……今から寝る」
「む、そうか。可哀想にな。片付けは私がしておくから、今日はもうしっかり休むのだぞ」
「ん、……ありがと」

 食器を置いて、席を立つ。仮病は褒められたものではないけれど、実際になんだか胸のあたりがむかむかして、頭の中がぐるぐるしているから、厳密には「仮」ではない。だから良い。……自分でも何を言っているかわからない。
 とりあえず、あの話をもう聞いていたくない。
 それだけ達成できれば、もういい。
 直江から心配そうな声をかけられるのを躱しながら、布団を敷いて、寝そべる。布団の下で、強く手を握る。己の顔面を握りつぶすときの感覚を恋しがって、指先がそわそわした。今は心配している様子の直江に見られる可能性が高いから、やってはいけない。その癖を出したら、「調子悪い」が精神的なものだとバレてしまう。
 ……とにかく、今は、寝てしまわないと。
 極論、眠れなくても、狸寝入りでも良い。今は直江と距離を置きたい。


「さて、洗いざらい吐いてもらうぞ」
「……」

 と、上手くはいかないものだ。
 私は馬鹿なので、相変わらずずるずると引きずって、3日目となり、流石に異常事態だと勘付かれた。
 拒むものも拒みきれず(こいつに対して断固とした「拒絶」を示せないのは私の弱みだ、惚れた方が負けなのだ)、会話的にも身体的距離的にも追い詰められ、今はいわゆる壁ドン状態だ。どきどきする。いやなほうの意味で。
 そんな風に追い詰められてなお、私は逃げ出そうともできず、直江の顔を見ては背け見ては背けを繰り返している。断固とした拒絶も明確な拒絶もできないので、こういう曖昧で情けない動作しか生み出せない。ほんとうに馬鹿だ。
 ……窮地を厭わないくらいに直江が好きだというのなら、件の話だって受け入れるなり聞き流すなりすればいいのに。一番最初にそうできてきれば、こうはならなかったのに。直江を拒絶したくない──直江の在り方を肯定したいなら、そうするべきだったのに。
 私の心の広さは、理想と程遠い。……そうやって、何度、同じことを繰り返すのだろう。

「で、一体なにがあったのだ」
「……」
「名前」
「…………」

 直江が私を問い詰め始める。
 黙秘権、は、私には無いのだろうか。
 ここまで来てどんな覚悟も決められず、脇道に逸れたことを考える。ぐいぐいと顔を近付けてくる直江に対して、相変わらず視線を合わせたり外したりしながら。

「……お前がそこまで言うことを拒む、ということは。
 また、私のため、だな?」
「…………、また、ってなんだよ」
「なんだもなにも、言ったままだが」

 「図星だから反応したな?」と少しだけ笑われる。図星の図星までも突かれて、私は何を言うこともできなくなった。私はこいつに勝てない。勝とうともしていないのだから当然だけれど、不利な状況に苦汁を舐めるという矛盾は抱えてしまう。
 ……まただ。私の理想と現実は、どうにも噛み合っていない。
 直江にそっと頭を撫でられる。駄々っ子を宥めるような動作なのに、催促するようなものにも感じる。それは果たして、そのつもりでそうされているからなのか、ただの私の心理状態のせいなのか。それとも。
 こうなってしまってはジリ貧だ。話さなければいけないのは確定事項で、あとは話し始めるまでどれほど時間を稼ぐかという話でしかなくなる。つまりは己のプライドとの戦いだ。

「……そんな、おもしろいはなしでも、ないってのに」

 観念して、口を開く。
 嫉妬だの嫉妬だの嫉妬だのの話をした。

「……名前、以前にも言ったはずなのだが」
「…………」
「お前のそれは愛らしいだけだぞ」

 そして、直江の返答がこれだ。
 言うと思った。言うと思ったよ。またそれだと思った。
 そのガバガバ理論。安心するときもあるけれど、納得できずに不安になるときもある。
 不安になるときというのが、今だ。
 生暖かい目で見てくる直江の視線を振り払いたくて、しっかりと俯く。気持ちとしては掴みかかりたいぐらいではある。でも、それを本当に行うほどの元気は無い。
 ただ、息を吸う。
 音にしてぶつける。

「何がだ! どこがだよ!
 私はっ、お前がっ、人に、人に、やさしく、するのを……。
 私が、お前の、そういうとこに、そういう……、すくわれ……、のに……」

 ぼろ、と涙が落ちた。雫は自分の膝に受け止められて、小さな滲みを作る。濡れた頬を拭う前に、直江の方から手が伸びてきた。彼の指先が目尻を撫でる。
 その、慈しむみたいな動作をこそ、やめてほしいのに。
 直江は言う。

「お前がどう思おうと、私は彼女と親しくするのはやめない」
「……うん」

 心臓が暴れている。痛い。痛い。けれど素直に頷いた。
 私が言うのもなんだけど、そうしてもらわないと困る。
 直江には、その優しさを他者に分け与えていてもらわなければいけないのだ。
 私のせいで、直江の得難い美徳を失われてしまっては、私は自己嫌悪でどうにかなってしまう。今でさえ、既に苦しくて仕方が無いというのに。片頬をあたたかい手で包まれて、こんな私を特別にされて、気が狂いそうになっているのに。

「だがな、名前。勘違いするなよ」

 静かな声がして、ふと顔を上げる。直江はまじめな顔をしていた。

「彼女が私に恋情を抱いているかどうかなど判らん。愛のかたちが如何様であるのかなど、他者が判断するものではない。
 それでも、身体的接触は避けている。
 以前の宴席でも、彼女を家に送ることはしなかった。
 私なりに、お前に操を立てているつもりだ」
「…………、え、あの」
「そうとは思っていなかったという顔だな? 少しばかり心外だぞ」

 溜め息を吐かれる。私は私で、直江の言葉に思考が止まっていた。
 確かに、飲み会のとき、家に送ってほしいと言われた、けれど他の人に任せた、とは聞いた。でも、それはあくまで他に立候補者が居たからだと、私は、思っていた。
 ……そうじゃ、なかった?
 他者に優しくはしても、私のことを考えて、ある程度、線引きをしていた?
 己の口が開いているのがわかる。直江が呆れるのも当然かもしれなかった。

「私とて、お前をないがしろにするつもりは無い」
「……そか……」

 もう一度下を向いて、呟きじみた相槌を打つ。
 なんというか、ガバガバなんだか、大人なんだか、直江はどちらかはっきりしてほしい。
 「優しさ」に「完全性」を求めすぎて、視野狭窄に陥っていた自分に気付いてしまった。流石の私も、直江にそこまでであってほしいわけでは無いし、そもそも直江に「完全性」など似合わない。曖昧な概念の意味、理想と現実の差を、きちんと考えられていなかった。
 私もまだまだ、頭が固い。
 直江に倣って、私も息を吐く。詰まっていた呼吸が楽になった。
 と、

「よい、っしょ」
「わ!?」

 突然の浮遊感。見るまでも無く、触覚が現状をありありと伝えてきた。脇の下に手を入れられて、膝の上に乗せられていた。
 視界の中、真ん前で、直江がにんまり笑っている。乾いた頬に口付けられて、ぞわ、と鳥肌が立った。これは。あれだ。あれ。

「なーに、そう身構えるな。
 お前にきちんと私の想いを伝えるだけだ。
 具体的に言うとお前が自責したぶん甘やかす」
「ち、ちがっ! 待て! それは短慮だ!
 や、やさしくするな! 私にやさしくするなッ!
 罪悪感で殺す気かァーーッ!!」

月がどうしても君にあれこれする

title by afaik 190707