04
逃げるように村を出た。……ように、ではない。逃げたのだ。茶屋の主人には悪いが、書き置きだけを残して夜逃げした。
それで良いのだ。人に恨みを抱かせようが関係ない。元々私はどこにも根を張らない。あの村は、たまたま長く滞在しただけだ。
今の私は前の通り、各地の村を転々としている。あれから季節が何度巡ったかは覚えていない。必要なとき思い出すことができれば良いのだ。
そうやって元の生活に戻り、暫くした頃。
筆まめな兄貴分から手紙が来た。
「ちょっと来いって、何があったんだ……?」
最近政宗の筆まめさが上がっているし、寂しくでもなったんだろうか。
「やあ、政宗。久し振り」
「久しいな、名前」
迎える支度をばっちりにして私を待っていた政宗は、前に見た時より大人びていた。身体的にもそうだし、精神的にもきっとそう。見ていて感慨深くなる。この男前が伊達の皆に知られているのか、鼻が高いな。
ただし私はと言うと、やはり昔と代わり映えしないのだろう。それがつまらないのか、政宗は片眉を歪める。
「とりあえず何か食べながら話そう、珍しいけど見た目がえげつなくなくて滅茶苦茶美味しいものとかが良い」
「客人とはいえ図々しいわ」
政宗の言葉に、つい笑う。
うん、私もそう思う。でも政宗、準備してくれてるじゃん。
「……で、どうしたの?」
政宗はほんとうに、見たことがない、けれどちゃんと美味しい菓子を出してくれた。何て言うんだろうこれ。
不思議には思うものの、たぶん政宗の創作料理だから、それは聞かない。いつものやつだ。代わりにずっと疑問だった方を口に出す。
すると、政宗は私を見てまた眉間に皺を作った。
「それはわしの台詞じゃ」
「え?」
政宗は、何言ってんだこいつ、とでも言いたげな目をしている。けれど私に心当たりは無いので、首を傾げた。
「一応聞くが、貴様、何故呼ばれたと思う」
「えー。……んー、政宗、最近頻繁に手紙くれるから、寂しくなったのかなって」
「馬鹿め、何を言っておる」
政宗は照れ隠しではない、本気の呆れの目で私を見た。違うらしい。
私が全く見当をつけられないからか、政宗は大きく溜息を吐く。そこまで呆れることか、とちょっとだけ面食らった。
しかも、次には政宗の目が鋭い光を宿していたから、私もとうとう緊張感に息を呑む。
「寂しがっていたのはわしではない。
──貴様であろう、名前」
「……?」
──私? どういうこと?
数秒経ってからようやく、聞き返したはずなのに声が出ていなかった、と気付いた。
結果的に政宗の顔を見つめるだけになってしまって、ささやかに戸惑う。
対して政宗は動じることなく、長持から紙の束を取り出した。
見覚えがある。それは、私が出した手紙だ。
「最近貴様が寄越した文の中から、抜粋して読み上げてやろう。
『ここの村は村人だけで田植えをするらしい』、『あの茶屋の餅の方が好きだった』、『村人をぞんざいにする武士が居た』」
──私、そんなこと書いてたっけ。
「貴様は書き直すのが面倒だからと一気に書くからな、思ったままが分かりやすい」
政宗は紙束を置いて、私に向き直った。
「名前」
──いやだ、聞きたくない。
「貴様、絆されたな?」
──なんのこと。
「……落ち着け。なにも貴様を責めているわけではない」
……政宗が、声色を崩した。一緒に空気も緩んだ気がする。
動かなかった頭も回りだして、なんとか喉を震わせた。
「──絆されてない。だって、私、あいつと話してても、苛々してばっかで。いつのことだかも、あいつのことも、全然」
「相手に苛つくのと相手を嫌うのとは別であろう。覚えてないだの気にしていないだの敢えて口にするのが何よりの証拠じゃ。
──貴様は未だ、失うことが恐ろしいか」
「ちが……」
否定する。否定しなければならなかった。
……失うことが恐ろしいか、なんて。なんでわざわざ言うの。
政宗は言わなくたって分かっているはずなのに、だから言葉にしてはいけないのに、どうして言ってしまうのだろう。
視線を合わせるのが怖くなって、俯いて拒絶する。
初めてだ、こんなひどい政宗。
心の臓に、直接刃を突き立てられているみたいだ。
「貴様は失うことが恐いからと、始めから何もかもと一線を引こうとする」
「……」
「全てを失い、その身分を隠し、姓を名乗らなくなり、もう何年になった」
……そんなの、もう覚えていない。
そんな遠い日のこと、もう覚えていない。
ただ、あの日から、ずっとずっと恐いままなことだけは覚えている。
「名前」
政宗が名を呼ぶ。
それはきっと、もっとひどいことを言う合図に違いなかった。
「貴様も知っていようが、世はサルめに向いておる。上杉も羽柴についたがな、わしにその気はない」
「聞きたくない」
「聞け。
名前。──貴様、どちらを選ぶ?」
──聞きたくないって、言ったのに。
やっぱり政宗はもっとひどい言葉を胸に突き刺した。
そんな不吉な予言、聞きたくなかった。
……ああ、くそ! なんで私はこれを不吉だと思うんだ! それじゃあまるで上杉と伊達が戦うのを嫌がっているみたいじゃないか!
こんなのは、おかしい!
いつの間にか口元を抑えていた手に、ぎり、と力を入れる。指先が頬骨とぶち当たった。
苦しい。とても、苦しい。
指先はみしみしと頬骨を押し込むけれど、その痛みよりもずっと苦しいと、心の臓が悲鳴を上げている。
なのに、政宗は見逃してくれない。
「名前。貴様は、だから、もう一度上杉に行け」
──なんで。
さっきから、どうして言うのかわからないことばっかり言われている。
しかも今度は、私を追い出すような言葉。
それは、確かに、私はどこにも根を下ろすつもりはないし、伊達にも居つかずにやってきたけれど、政宗は兄貴分だから特別で、唯一で、なのに。
縋って良いのかいけないのかもわからなくて、政宗をただじっと見つめる。
すると、彼は首を横に振った。
「何も貴様を見放すわけではない、そのようなことするものか。
だが、相手が相手ゆえ腹立たしいがな、貴様がわし以外に初めて絆されたのじゃ。
単純で、人好きな性格ゆえに、優しさを見せられればすぐ懐くような人間に成り得るくせをして、己を揺るがさぬよう全て拒んでいた。そんな貴様に、とうとう情を捨てきれない相手ができてしまったのじゃ。
この中途半端なままでどちらかを選んだのでは、恐らく何か拾い落とす」
……どうやら、私のことを嫌いになったとかじゃないらしい。
それに安心したのか、ようやく声が出る。久しぶりに喉から飛び出た音は、「ひ」だった。その音に続けて、言葉を連ねていく。
「拾い落とすって、なんだよ……。それで向こうに肩入れでもしたら、……辛くなるだけだ……」
「ああ、そういうことにもなるであろう。もしも伊達と上杉が争ったなら、勝利するのは伊達ゆえな。
だからこそ言わせてもらう。
肩入れでもしたら、などというたらればに意味は無い。既に手遅れだと」
「──、」
「名前。今一度、他に向き合ってみよ。
それでもまた目を背けたくなったのなら、伊達に来れば良い。わしは変わらず貴様を迎えてやる」
……どうしたって迎えてくれるんなら、行けって言わなくたって良いのに。
政宗は私にも解りやすいように説明してくれているのだろうけれど、なかなか頭に入ってこない。理解することを拒んでいた。
けれど、いつまでもわからないわからないで許してくれそうにもないから、やっぱりどうしたら良いのかわからない。
「……政宗、優しくないのか、優しいのか、わかんない……」
結局、別のわかるのにわからないを口にした。政宗はたぶん、優しいのに。
……だから、優しい政宗のその優しさのためにも、彼の言葉を突っぱねるわけにもいかないのだ。
奇しくも、あの村に着いたのは田植えの季節だった。
村人から初めましてと久しぶりを半々ぐらいずつふっかけられながら話を聞いて、懐かしい茶屋に向かう。
そっと中を覗くと、見知った武士の姿があった。店主となにか話している。
離れていても分かる、朗らかな笑顔。相変わらず元気で騒がしくて、入口に居る私のところまでたまに声が届くぐらいだった。
──大丈夫かな。話しかけても良いのかな。勝手に居なくなったこと、怒ってないかな。
──私のこと、忘れてないかな。
そういう不安がどさどさ頭蓋に投げ込まれて、足が動かない。足の底がゆらゆら浮いて、地面に着いていないみたいだ。
ほら、これだから肩入れするのはいやなんだ。失うことは、こんなに怖い。
だから、私はずっと立ち尽くしてしまった。
もういっそ、いつものように逃げてしまおうか。そう思いさえした、そのとき。
直江殿がこちらを向いた。
「名前!!」
張り上げられた声。
私の名前。
直江殿は、満面の笑み──そんなに嬉しそうな顔はじめて見たかもしれないぐらいの──を浮かべて、私の方に駆け寄ってくる。
「おかえり、名前! 義を語らいに戻って来てくれたか!」
「また来ただけなのでおかえりではないし直江殿の義の話をするつもりもありません!」
頓珍漢な明るい声に、反射的に言い返す。それを直江殿は全く聞いてはくれず、ただにこにこして頷いた。
……なんだ、前と同じじゃないか。
そう思った瞬間、足が地を踏みしめる心地がする。大丈夫だ。歩ける。
中で話そう、とぐいぐい促してくる直江殿に溜め息をついてみせてから、素直に着いて行ってやった。
ひとつだけ、こびりついた政宗の声がある。
「貴様の旅の目的についても、上杉で考えてみよ」
旅の目的なんて、もうとっくに決まっているのに。