140707
「さー! さー! のー! はー! さー! ら! さらァー!」
「随分と元気だな」
「さー……、さー……、のー……、……はあー……」
「おいおい、落ち込むなよ」
態とらしく肩を落とす名前に、クーが笑う。テレビのリモコンを手で弄びながら、バラエティ番組から彼女の居るキッチンの方へ視線をやった。勿論彼女が落ち込んでなどいないのは分かっている。むしろ、イベント事を好む性分の彼女は今日が七夕であることを喜んでいるということも。だからこそ“随分と元気”にはしゃいでいたのである、──それはもう窓越しの騒音や、彼女自身の皿を洗う音がかき消えてしまうのではと思ってしまうぐらいに。
「紙に願い事書いて吊るすやつだったか」
つい先程ニュース番組を流し観た際の記憶を引っ張り出してくると、彼女は一瞬のうちに顔を明るくして何度も頷く。シンクで水を流しながら大きな動きをするので、腕に伝わった振動で水が彼方此方に跳ねた。それを拭くのを後回しにして、洗い終わったものを乾燥機に食べさせる。
「何が由来なんだ?」
「んー、色んな説があるはずだけど、基本的には子供向け絵本とかに書かれる話が一番メジャーかな。元は中国の話でねえ──」
彼女が語る、日本人の多くが知っている恋物語。観たい番組はもうとっくに終わってしまったことだしと騒がしいテレビを消して、クーはそちらに耳を傾ける。
──牛飼いの牽牛、天帝の娘の織女。お互いに夢中で仕事を疎かにし、天帝の怒りを買う2人。天の川で引き裂かれ、せめてもの情けに7月7日にだけ逢瀬を許される。──彼女がその辺りを掻い摘んで話しているうちに洗い物が終わった。蛇口を閉じれば、ざあざあ。流水とは別の水音だけが残される。窓の外に目をやって、彼女は苦笑いした。
「今日は雨だから、せっかく7月7日でも会えないんだけどね。天の川の水嵩が増しちゃうから」
こんなに大雨だし、洪水になってたりしないかな。堤防がしっかり作ってあるといいけど。彼女が冗談とも本気ともとれない言葉を続ける。クーは眉を顰めた。
「仕事サボんのはどっちも悪いと思うが、その男はなんなんだ? 引き離されちまうぐらい他のこと目に入らねえって言うなら最後まで貫き通せよ。今日だけなんざ言わず、他の日にでも乗り込んで行って掻っ攫う程度のことはしなきゃ男が廃るだろ。あとそうだな、王をぶん殴るとか」
わあ、それ捕まるやつだ。確かに古代なら有り得るだろうけど。いや、まずクー自体が実際に姫と結婚するために相手の一族と戦争を繰り広げた人なんだった。反応に困りながら、シンク周りに布巾をするする滑らせる。彼は彼女の心中を知ってか知らずか、言葉を続けた。
「川なんぞ自分で渡っちまえば良いだろ。泳げねえなら舟でもなんでも出しゃあいいし」
「触ったら危ない水なのかもよ、ギリシャ神話のレテの川みたいに」
「だったら飛び越える」
惚れてんならそんくらい出来るだろ、少なくともオレはそうするぜ。牽牛は普通の人間だから難しいと思うけどなあ、と思ったことは口に出さず、名前はその言葉に困ったように眉を下げながらも口元を緩ませた。
全て済ませてキッチンから離れ部屋の彼の元に向かい、隣に座る。彼がその手を取ると水仕事で冷え切っているのがわかって、温めるよう包み込んだ。彼女が頬を染めてはにかむ。雨がガラスを叩く。ぱたぱたぱた。軽快な音。
「で、オマエは願い事とやらはしねえのか?」
「ううん、いいよ。まさに今叶ってるから」
「今? ……ああ」
その言に思い当たって、クーは名前を抱き締めた。彼女も彼の首に腕を回して声をあげて笑う。その表情があまりにも嬉しそうで、彼は微笑ましさと同時に呆れを覚えた。
「いぇーい、叶いまくってる叶いまくってる!」
「オマエはもっと欲張っても良いんじゃねえの」
額に口付けると彼女は目を丸くした。幾らかの間視線を彷徨わせてから恐る恐る彼を見上げると、緋色とかち合う。次の瞬間には唇が重なっていた。状況を把握できずに固まる名前を溶かすように、彼の手が頬を滑る。
「…………不意打ちって、ずるい」
やがて解放された彼女は、消え入りそうな声でそう零した。すぐ側に居るクーの耳には容易く届き、あやすように頭を撫でる。体の中に煩く響く心臓の音。どくどくと、速いリズムで叫び続ける。彼女が聞き取れるのは、それとお互いの声だけになっていた。
「オレはな、名前の願いだってんなら何でも叶えてやるさ。川の向こうのオマエが会いたいっつって泣いても絶対に駆けつけてやる」
「え、私織姫とかじゃないですし、それとてもキザですー」
さも当然そうに言う彼に、名前は照れ隠しで茶化す風を装った。頬が赤いので隠すもどうもないのだが。彼が声を上げて笑うと彼女はさらに頬に熱を集めてクーの首元に顔を埋めた。
抱き締める腕に僅かに力が篭る。そっと顔を上げると、ガラスの向こうで未だ雨が降っているのが見えた。雨音は、心音に掻き消されて聞こえないけれど。