094
大般若が、頬に紅葉を作って帰ってきた。
「……大般若。どうしたの、それ」
「ははは」
「ははは、じゃなくて」
笑い声だけで応じられて、私はこれ見よがしに溜め息を吐く。手にしていた箒を持ち替えて、その額に手刀を入れた。これでも審神者だ、箒で叩くようなのは可哀想で気が引ける。箒が。掃除道具として生まれたはずなので。
たとえ、「あいて」と、人間の攻撃なんて痛くも痒くもないはずなのに行う大袈裟なリアクションに、苛立ったとしても、だ。
何があった。話せ、庭先だろうと知ったことか、どうせ本丸のどこに居たって短刀なり脇差なりが耳をそば立てているのだ。話せ。
審神者として、刀剣男士の行動は把握せねばならない。火種を見過ごして厄介ごとになっては、後の祭りだ。
説明を強いると、大般若は微笑みながら、顔に秋を訪れさせることとなった経緯を話した。
その話を簡単にまとめるならば。
行きつけの万屋で働く美しい娘さんを毎度の如く褒めちぎっていたら、向こうはいつの間にか恋人気分になっており、いやそのつもりは無いと言い放った大般若に激怒、平手打ち。
と、いうことだった。
箒を持つ手に力が入りかけ、途中で抑える。
「物ならまだ良いけれど、人間を口説くのはやめなさい」
「別嬪さんだ、口説かないのは失礼だろう」
「それで可哀想なことをしたわけ」
「可哀想? 彼女は喜んでいたよ」
褒めた時には、だろうに。
あくまで過去形で語られるそれに、ああ、こういうところだ、と思う。今頃、その万屋の娘は、よくて大幅の減給、普通にいけばクビになっているはずだ。この程度のことなら政府は介入しないが、もし張り手で済まさなければ、更に厳罰を受けていたはずだと、大般若が気付いていないわけがない。
何と言ってやるのが良いのか迷って、ほんの少し沈黙する。その間に逃げようとしない一点だけは、大般若を褒めても良かった。
母屋の方から、微かな音量で、咆哮と楽しげな声が聞こえてくる。極めた五虎退の引き連れる大きな虎と、刀がどれか、戯れているらしい。虎。虎か。あれは大きくて、刀剣男士の引き連れている霊獣のようなものだけれど。
「猫」
「猫?」
口に出した一つの単語を、大般若はおうむ返しにして首を傾げた。そして、泥棒猫とでも言うのかい、などと減らず口を続ける。何を言っているのか。軽口を叩くなら、然るべき時に、もっと面白いものにしてほしい。
「……動物は、人間を図体の大きいだけの同族だと思っている、って聞いたことない?
おんなじ。見分ける力が備わってないなら、見分けられるわけがない。
万屋の娘さんは、あなたが『刀剣男士』であると分かっていても、それがなんなのか真に理解はできていないわけ」
「へえ」
「……これはね、そんな稚児のような相手を惑わすのは、やめてあげなさい、という意味。いくら、愛玩動物のように可愛らしくとも」
「はいはい」
返ってくるのは、生返事。大切なことなんだから、きちんと聴いておいてほしいのに。また同じようなことが起こったらどうするというのだ、次も今回ほど穏便にいくとは限らない。
なんとしてでも頭に叩き込んでやらねば。
刀剣男士は、一定以上の霊力があれば、ただの人間にも視認できる。審神者はそういった人々よりも更に霊力と、刀剣男士と適合するような霊力系統の適正があるから、審神者になれる。
つまりは、刀剣男士はただ人のかたちをとっているだけの神様と認識できるか否か、それを識別できる霊力であるか、その事実を受け止められる精神をしているか、審神者であるには、そういうことが一番肝要なのだ。
だから、逆に、審神者ではない人間には注意してやらないといけない。
その旨をこんこんと言い聞かせる。大般若は、ちょっと面倒臭そうに視線を空へ避けた。
しかし、ふと。彼は視線をこちらに戻す。
それを認識した次の瞬間には、彼の顔が己の目の前にあった。少しでも身動げば、額でもぶつかりそうな、随分と近いところに。
彼は言った。
「俺は、美しい男じゃあないかい?」
至近距離で見る大般若のかんばせが、目を焼くほどに眩しい。生理現象として、目蓋をゆるく下ろす。唇の動きひとつ、まつげの震えひとつ、その他さまざまの微細な動きと共に、溢れんばかりの霊力と神気が空気を振るわせて、霊力稼働型擬似太陽の光をねじ曲げる。その御業は、人ならざるがゆえのもの。
刀剣男士。
刀の付喪神に実体を取らせ、あたらしい戦争の道具に仕立て上げたもの。
力無き人間にはただの人間に見え、力ある審神者には男神に見えるもの。
男士に──男神に──人のかたちの──。
──力ある?──人のかたちの?
──「動物は、人間を図体の大きいだけの同族だと思っている。」
「なにを、ばかなことを」
惑わされてはいけない。
「自分たちの本分を忘れたの?」
惑ったところで、戦争の役には立たない。
私は審神者だ。彼は刀剣男士だ。
必要なのは、戦争に必要なことだけだ。
「──美しい刀なら、知っているけれどね」
大般若長光は、声を上げて笑った。