067
草薙理解という男は、度々、浮かれ調子で外出する。その日は決まって、米だの野菜だの、食材の入った段ボール箱と共に帰宅した。
あるとき、それを依央利に見られ、
「りりりり理解さん!? まさか奴隷を差し置いて買い出しに行ってしまったんですか!? 契約違反ですよ!!」
「い、いや、違います!! 違いますけどあなたをこき使うのは私は」
「理解さんはやくそれをこちらに渡してください!! 重いでしょう重いですよね!? お米は重いですからね僕もっと買ってきましょうか!!」
「ですから!!」
と、言い争うこととなった。
なんやかんやののち、理解が咳払いをして言うことには。
「以前説明しませんでしたか?
私の学生時代からの旧友が近所に住んでいてですね。彼のもとに、農業をされているご実家から、こういった野菜などなどが送られてきているそうなんです。
しかし、自分一人で消費するには難しいと言うので、お裾分けに預かっている次第なんですよ」
「オメーにダチいる方が衝撃で忘れたんだろ。俺も忘れてたっつの」
「なんだとこの猿ゥ!! 『友人のご厚意で頂きました。感謝して味わうように』と言っただろうが!!」
今度は慧と怒鳴り合うこととなった。
またひとしきりやり合い、肩で息をする理解に、天彦が笑いかける。
「良い友人をお持ちですね」
「! はい! とても!
昔から何やら避けられがちな私ですが、彼は『秩序』の大切さを知っている、得難い友人です!」
答える理解の笑顔は輝かしかった。
──さて、今日も、理解は友人たる名前に会いに来ていた。安アパートの一室ながら、室外から室内まで整理整頓と掃除が行き届いている。ベランダにはプランターで作られた小規模な家庭菜園もあることを、理解は知っていた。
「いらっしゃい、理解」
「ああ、お邪魔します。これは手土産だ」
「ありがとう、嬉しいよ」
理解を迎え入れた名前はにこやかだ。同じように、理解からも笑みが絶えない。小さな靴箱の中にある名前のランニングシューズはぴったり揃えられていて、秩序 is All Greenな気持ちになる。自分も綺麗に靴を整え、部屋に上がった。
「白湯と緑茶とほうじ茶、どれがいい?」
「お言葉に甘えよう。緑茶で頼むよ」
「わかった。ちょっと待っててくれ」
頷いて、名前が湯を沸かす。その姿を見るのが、理解は好きだった。自分をもてなそうとしてくれる友人の心づかいも、ここで依存性たっぷりのジュースだの炭酸飲料だのを選ばない正しきも、「秩序」を知る名前であってくれるがゆえの心地良さだった。
日本茶特有の、ほのかな甘い香りが鼻孔を擽る。名前は茶を淹れるのも上手い、きちんとルールを守っている。湯気の立つ湯飲みがふたつ、理解の前のちゃぶ台に置かれた。
「どうぞ、理解。火傷しないようにな」
「心配ご無用だ。いただきます」
「茶菓子もあるから、遠慮しないでくれ」
言って、名前は煎餅やあられの入った菓子盆を手元に引き寄せる。そこに理解の好きな菓子があるのを見てとって、理解の胸はあたたかくなった。癒される。ちょうど、この茶のように、名前と居るのは落ち着く。
普段シェアハウスで振り回されているからか、無秩序に憤らなくても良い名前との時間は、なによりも尊いように感じられた。
「……君が、近くに住んでいて良かった」
「なんだ理解、藪から棒に」
「突然ではない、いつも思っている。名前のおかげで、俺は安らぐことができている」
熱い茶を一口飲み、理解はほうと息を吐く。名前が嬉しそうに目を細めるので、まるで自分が良いことをした風になっていた。世話になっているのはこちらだというのに。
「俺からも、何か名前に返せるものがあれば良いんだが……」
「返すものなんて、そんな。いいんだよ」
「しかし」
笑う名前に、理解は眉を顰めた。もらってばかりでは不公平というものであり、罪悪感だってある。勿論、謙虚な名前の姿勢も好ましかったが、それが行き過ぎるのは良くない。依央利ほどにはならないとしても。
その胸中を知ってか知らずか、名前は理解を見て、更に笑みを深める。
「私にとっては、理解が居てくれることがお返し、──いや、私から礼を言いたいぐらいなんだ」
その言葉には、感慨深そうな響きがあった。僅かに伏せられた瞳にも、また。
理解は目を瞬かせて、俯き加減の名前に問う。
「どういうことだ?」
「ん、ほら。地元を出て、ここに来たわけだろ?
お前が居てくれて、昔みたいに品行方正に元気にいる様子を見せてくれて。それが、私にとってどれだけ嬉しいことか……」
「……名前……」
しんみりと口にする名前に、理解の胸が震えた。
名前は昔から、弱ったところを理解に見せないような節があった。というより、名前は強い人間で、弱ること自体がそうそう無い、今も昔もそうだ、と表現した方が、理解の考える「名字名前」という男の人物像に近い。
そして、理解が「秩序」を唱える側で、そうだな理解、と笑いかけ、自分も更に襟を正さんと努めてくれた。
その姿に、理解は恩を感じてきたのだ、ずっと。
だから。
──だから。
「秩序」を解する名前が、同じく「秩序」を解する理解が側に居らず、孤独に苛まれていた時期があった、理解がシェアハウスで暮らすようになり、名前がまだこちらに越してこなかった頃、名前は独りでの戦いを強いられていた。
そう考えて、理解は身震いをした。
シェアハウスに居る時の己のようなものだ。それよりも、もっとハードで、孤独かもしれない。
震えながら、腕を伸ばした。
がしり、名前の両肩を掴む。
「これからも、俺で良ければ。
共に、『秩序』を唱えていこう」
「……ありがとう、理解。
理解のそういうところ、……私は好きだ」
「! 俺も! 俺も、名前を唯一無二の……、唯一無二、の……」
親友、と言おうとして、理解は迷った。なぜ迷ったかは、自分でもわからなかった。
──親友だと思っていないわけがないのに。あるいは、俺は、名前のことを……。
──……「同志」とでも、思っているのだろうか。
──確かにそれも正しい気がするが、何か……。
「理解?」
「あ! ああ、いや。……とにかく、俺に出来ることがあれば、いつでも連絡してくれ。
名前のためなら、俺は……。そうだな、俺も、共に戦う」
「あはは。嬉しいことを言ってくれるなあ」
思考の海から理解を引き戻した名前は、朗らかに笑った。
その笑顔が昔と変わらず、曇ることなく。
何より、自分に向けられていることが。
理解は、嬉しかった。
「……見つけ出して良かった」
名前が呟いた声も、耳に入らぬくらいに。