013
「エイコちゃん! 居た! あの、き、聞いてほしいことがあるんだけど!」
「名前?」
廊下を通りがかった彼女に声をかければ、不思議そうに振り返ってくれた。縋るように駆け寄ると、その私の有り様を見て、すぐさま合点のいった顔をしてくれる。さすが同胞、信頼できる。彼女の提案で、少しばかり人の少ない場所へ移動した。
「ダリ先生関係だよね? どうしたの?」
「あのっ、あのねぇ[D:12316][D:12316]……」
やっぱりエイコちゃんは「理解って」いる。対して、私は情けない声を出すばかりで、次をなかなか紡げない。けれど、彼女は、うんうん、と頷きながら言葉を待ってくれる。
「推しのことになると、そうだよね」と言う彼女がイルマ君を推しているのと同様、私は、ダンタリオン・ダリという先生を推していた。いつもニコニコ笑っていて、おちゃらけている風に見えて、教師統括なんて役職についていて、悪魔らしく面白そうなことが大好きで、それから、えーっと、もう、とにかく……。とにかく、素敵で最高で、もはや語り尽くせない悪魔なのだ、ダリ先生は。私にとって。私はまだ入学したばっかりだから、彼を知ってからの期間は短いけれど、もうすっかり夢中になってしまった。
そんなダリ先生について、最近、ある光景を目撃したのだ。
「……ダリ先生、上級生に、『ダーリン』って呼ばれてて……」
「そうなんだ、……ダーリン……、ダ、……ふむ……」
とうとう口に出せた私に、エイコちゃんは何か思案し始める。たぶん、イルマ君関連に当て嵌めてみているのだろう。イルマ君が誰かにダーリンと呼ばれている様子か、あるいはそれに準じる呼び方か、はたまた……というのは、私の窺い知れないたころだけれど。
でも、その行為は、エイコちゃんも、「ダーリン」呼びになんらかの感情を覚えたことと同義だ。同意してくれる人が居ると思うと、安心して頭を抱えられる。
──ダリ先生が、「ダーリン」と呼ばれることがある。
彼のファンにとっては、今更かもしれない情報だ。けれど、(ファン歴イコール愛では無いとは思うものの、)ダリ先生が上級生と仲良くしている様子を見るのを避けていた私──同担拒否とかガチ恋とかは、まだ自分でもわかりかねている──にとっては、突然投下された供給だ。推しが生きていること自体が毎秒供給みたいなものだけど。
「……あのさ、エイコちゃん。
1年生が呼んでも、いけると……思う……?」
「わかんないけど、邪険にはしないんじゃない?」
「かなあ……」
「その前に話しかけられるかどうかよ」
「マジでそれ」
エイコちゃんの言葉に、私は両手で顔を覆った。マジで、それ。私もエイコちゃんも、推しにグイグイ行くタイプじゃないのだ。私は緊張するから、エイコちゃんは見守りたいタイプだから。その結果、ふたりとも「盗撮」という行為に走ってしまったりもしているぐらい。あと、私の場合、ダリ先生が受け持っている魔歴の成績でアピールしようとしてるとか。……挙げ連ねると、すっごく些細な気がしてくる……。胸を張って推し活をしていると言うには、まだ何か足りない気がする……。
顔を覆っていた両手を、取り払った。俯きがちだった顔を上げる。
「…………声、かけてみる」
「! いくの!?」
「うん、……なんていうか、このままじゃ、……いけない気がして……」
「応援してる! ……着いて行こっか?」
少し心配そうな顔で私を見るエイコちゃんに、首を横に振って返した。申し出は非常にありがたいし、本音を言えば、ベクトルは違えど同志たる彼女が側に居てくれたならどんなに心強いかと思うけれども、私一人で成し遂げてみたい。
悪魔としてのプライドか本能か、そういうものかもしれなかった。生徒会長もよく言っているみたいに、どうせやるなら一気にドカンと行こう、という気持ちがあった。まあ、その、心臓に悪すぎないレベルで。一歩ずつ、段階を踏む感じで。
「……エイコちゃん、付き合ってくれてありがとう」
「ううん! いいの! ……これから行くの?」
「うん、今なら大体どこに居るかわかるし。……行ってきます!」
「行ってらっしゃい! ファイト!」
優しい声援を背中に受けながら、廊下を駆け足で進んだ。ダリ先生のスケジュールは、それなりに把握している。仕事があったり、彼自身の気分だったりで、時間帯による居場所が大幅に変わることもあるけれど、そうでないのなら、目星はついている。
入学して、彼を初めて見て、それからずっと、追いかけているのだ。この程度、わかっていない方がおかしい。道理に合わない。手を抜いている。
「……居たっ、……ッ!」
上級生の多い塔の、廊下の遠く。彼ら彼女らに声をかけられつつ歩む、彼の姿があった。
……まだ小さくしか見えないそれを認識した瞬間、私は、曲がり角の陰に隠れてしまった。ここまで来ておいてなんだが、反射的な行動だった。いつも盗撮をしていた分の癖と、緊張とが合わさってしまっている。
大きく息を吸って、ゆっくり吐く。ひとまず冷静にならなければ、話しかけるにも話しかけられない。まず第一歩目の目標として、すれ違い様に挨拶をしたい。「ダーリンだ[D:12316]!」「は[D:12316]い」……今、どこぞの先輩が、やってるみたいに。
ダリ先生の進行方向は、こちら側だ。私が深呼吸する間にも、刻一刻とダリ先生は私の方へ近付いてきている。「やっほーダーリン!」「やっほー、課題やった?」茶化すように声をかける知らない先輩の声と、受け流すように返事をするダリ先生の声も、どんどんと近付いてくる。聞いていると胸の内がモヤッとして、頭がカッと熱くなって、私が落ち着こうとするのを阻んでくる。まだ距離は空いているのに、私の耳は彼の名前と彼の声だけは上手に拾いすぎる。
「……こっち来る直前に出て行って、歩いて行って」
余計な雑念を振り払いたくて、数十秒後の計画を口に出す。自分の声で聴覚の邪魔をする。
幸い、私の居る方の通路は人通りが多すぎて、ぶつぶつ言うこの声も喧騒に飲まれてくれる。挙動不審なのは見られているだろうけれど、他人がそんな様子だったところで、悪魔ならすぐ忘れてしまうものだ。
「すれ違うときに、挨拶する。だ、『ダーリン』って言う、挨拶は、えっと、こんにちはで良いかな、こんにちはダっ、ダー、リン、よし。こんにちは、ダー、リン。これで行く……」
「ばあっ」
「おひゃあ!!??」
すぐ近くで聞こえた大好きな声にとんでもなく情けない悲鳴をあげてしまってそして脚が滑って転びかけて「おっと、危ない危ない」って腕と背中を支えられて転ばなくて「大丈夫?」って聞かれてでも腰が抜けて上手く立てなくて大丈夫じゃなくて本当に大丈夫じゃなくて大丈夫じゃなくしてるのは目の前の彼、目の前、目の前の!!
目の前のダリ先生!!
「こんにちはだーりん」
「おっ、言えたねー。こんにちは。立てないなら座ろっか、名前さん」
「へ! えぁ、ハ、ハイ…………」
名前認知されてたんだけどどうしたらいいですかエイコちゃん。
脳内で訴えかけたイマジナリー同志は、「ヤバいね!!?? ファイト!! 気を強く保って!!」と言ってくれた。ありがとう。背中に添えられた手の存在で、もう本当にどうしたら良いのかわからなくなりそうだけれど、頑張るよ。ていうか座らせてくれるダリ先生、優しすぎないですか? どうですか私の推しは。あっ、ダリ先生が最推しの人からの同意は求めてないです、他の悪魔を最押しにしてる人からの同意は歓迎です……。
ダリ先生が支えてくれたおかげで、ギリギリ崩れ落ちず、ただへたり込むだけで済んだ私と、その真ん前に屈んでくれたダリ先生はファンサがすぎる。アクドルのファンイベントか何か? は? ダリ先生はアクドルじゃなくて教師だし教師なのが最高なんだけど!?
「いやー、そろそろかなって思ってたんだよね」
「っな、なにが、ですか?」
「そりゃあ、名前さんが話しかけに来るの?」
「ふぉえ…………」
推しの声で現実に引き戻されたら、今度は現実がどうかしていた。私の行動を予測されていたってそんなの凄すぎるし頭が良くて格好良いしそういうことをもっと豊富な語彙力で褒め称えたい、かつ、ダリ先生の頭に「私」に割くリソースがあったんですかっていうかいやダリ先生は最高の教師だからどんな生徒のこともしっかり把握してくれているのかもしれないなにそれ最高の教師、ダリ先生は最高、最高なダリ先生の生徒をやれている事実……現実……? 現実……。すごいな……。
「……おーい、大丈夫ー?」
「ホァ! すみません! な、なにか、あの、えっとォ……!」
ダリ先生に声をかけられて、現実の、更なる現実に引き戻される。すなわち、推しが自分の前で、自分に話しかけてくれている、という。本当に現実なのか疑わしいけど、本当に現実らしい現実に。
とはいえ彼に話しかけられたということは、何か用があるに違いない。ダリ先生が! 私に! 用! すごい! 現実味が無さすぎる! はやく何か言ってもらわないと、キャパオーバーな現実をただただ受け止めるだけになって、逆にまた思考がどこかに飛んで行きそう! はやく次の供給の透過で考える隙すら失くしてほしい!
切実な願いと共に、彼の言葉を待つ。
ダリ先生は笑って、──笑って! いつも笑ってるけど!
「ホントに僕のことが好きだね、ダーリンは嬉しいよ」
──その瞬間、私は現実の破壊力に、泣いた。