01

 気付くと、見知らぬ海に立っていた。

「ど、どこだ、ここ……」

 なんか水の色も……変だし……。
 外国の海かな……。外国の海だとしても、じゃあなんでいつの間に外国に居るんだよって話なんだけど。
 いや、なんでここが現実だと確信したうえで考えているんだろう。
 我に返って、それから、なんだ夢か、と安堵する。なんだっけ、明晰夢とかいうやつだ。夢だと自覚している夢、みたいな。
 夢だとわかると、一気に楽しもうという気持ちが湧いてくる。外国の海なんて、そう行けるわけじゃないし。せっかくなら楽しんだ方が勝ちだ。パジャマ代わりのTシャツとスウェットのままで、しかも濡れて重い感触すらするので、それは鬱陶しいけれど。
 膝下にある海面へ向かって手を伸ばす。紫っぽい水に手首を浸らせた。ゆらゆらと波の揺れるのが伝わってくる。うーん、海だ。これで変な物質のせいで水が変な色をしているのだったら最悪だけど、見慣れてきた今、泳ぎたいぐらいには綺麗に見える。
 泳いでみても良いだろうか。夢だし良いか。
 そう思って、膝を曲げたとき。

「あー、君。ちょっと良い?」
「──!?」

 突然声が降ってきて、上空を見上げる。
 そこには、ツノと翼を生やした人が飛んでいて──角!? 翼!? 飛んでる!?

「あ、こっち向いた。完全に意思疎通がとれないわけじゃないんだ。
 というより」

 ばしゃ。私の目の前に着水したその人──角と翼はよくわからないが、ぱっと見はちゃらそうな男に見える──は、私に話しかけてくる。

「早速本題だけど。
 俺にしか見えないらしいね。どうして?」
「は……?」

 何を言われたのかさっぱりで、首を傾げる。思わず出てしまった声は失礼だったかと数拍置いてから思ったけれど、後の祭りだ。せめて、ということで言葉を続ける。

「どういうことですか?」
「それは俺が聞きたいんだよね。……潮の匂いに紛れてるけど、君が美味しそうな香りがすることも」
「は!?」

 今度こそ、失礼だろうが仕方の無い声が出てしまった。いや、だって、美味しそうって、何? 食べ物とか持ってないし、眠る前に焼き肉とかした覚えも無いし!?
 夢の中なのはわかっているけれど、突拍子も無くて、困る。
 ──夢の中。
 なんだか引っかかって、内心で首を傾げる。
 さっき、叫んだとき。自分の叫んだ声は、自分自身の耳に届いた。つまり、本当の本当に叫んだ、眠りながら叫んだ、と思う。そこまで叫んだとなると、はずみで目が覚めてしまってもおかしくない。
 だというのに、一向に目が覚める気配が無い。
 それに。
 夢というのは、記憶の整理だという。自分の記憶の断片から構成されるのが夢なのだ。
 紫っぽい海はまだいい。
 こんな人──しかもびっくりするようなイケメン──、私の記憶に存在するか? テレビで見かけた芸能人ならワンチャンあるけど。
 結論、な~んにもわからない。

「海の流れが一部、まるで誰かが立ってるみたいに潮の流れが変だって、そういうのに敏感な部下から教えてもらったんだ。
 だからその一部を封鎖して、様子を見に来たんだけど……。君、お客さんじゃないよね。
 誰?」
「私はいたって普通の人間なんですけど……」
「にんげん?」

 あ、だから人影が遠いのか。よく見ると、人影も大小、姿かたちがばらばらなんだけど。
 納得しながら言えば、目の前の男は不思議そうに首を傾げ、私の言葉を復唱した。

「君、今、ニンゲンって言った?」
「い、言いましたけど……?」
「ははあ。なるほど。ニンゲン、ね」

 彼は神妙に頷いて、私に近付いてくる。ざば、ざば、という勢いに恐れおののいて私も下がるも、悲しいかな、足のコンパスの差で負けてしまった。
 彼の手が伸びてくる。何をされるのかわからないから、思わず身が強張った。いくら夢だって、怖い思いはしたくない。
 けれどその手は私の顔の横に伸びて、耳にかかっていた髪を優しくのけられる。わっ、と彼がわざとらしく声をあげた。

「ホントだ、耳が丸い。そういう家系なわけじゃないよね?」
「……、は……?」

 拍子抜け。そんなワードが浮かぶぐらい、簡単に手を離されて、問いかけられる。
 そういう家系、とは? 耳が丸いのは一般的な人間の特徴──いや。
 目の前の男の耳を見る。
 先端が、尖っていた。

「え? え? なに? なんで? え?」

 いわゆる漫画のエルフ耳、というには、先端の細い部分が短い。けれど、見たことも無い構造なのは事実で、ツノや翼があったことも含めて、彼を得体のしれない存在へと変える。
 これ、ホラーなタイプの夢だった? 人間っぽいけど人間じゃないものに襲われ──ては、まだいないけれど、そういうタイプの夢だった?
 頭でぐるぐる考えながら、隅っこで、冷静な部分が言う。
 ──夢じゃない。現実だ。
 男は口元に手をやって、考えている様子。次いで、良いことを思いついたかのように頷いた。

「君、このままここに居させておくわけにはいかないかも」
「へ」
「一回、家の方に行こうか」

 良い宿があってね~、俺もそこに無期限で住んでるんだ~。
 言われて、また腕が伸ばされる。
 それは今度は私の腰に回って、抵抗する前に、小脇に担ぎ上げられた。どこにそんな力があるんだ。軽いね、とか言われたけど、落ちないように動かないでね、とも言われたけど、びっくりしてしまってそれどころじゃない。小脇に抱えられた経験なんて、あるわけないじゃん。
 彼が、ばさ、と翼を広げる。翼の骨組みのような部分、それぞれの先端に鋭利なダイヤのような形のついたそれが、一気にはためく。
 急な突風に目を閉じる。
 身体が上昇する感覚。まるで夢みたいな、ふわっとした心地じゃなくて、アトラクションみたいな速さ。その上昇が落ち着いてから、ようやく瞼を持ち上げた。
 眼下には、今まで立っていたのだろう、紫がかった海。
 それは、あまりにも。

「──きれい」

 光に反射する水面を真上から見下ろすなんて。飛行機に乗ったとしても、こんな近くからは見えない。
 波が揺られて、きらきらと輝く。
 あはは、と笑い声が耳を撫でた。
 
「褒めてくれると嬉しいね。この一帯は俺の統治下だから」
「……え、海水浴場の経営者、みたいな……?」
「もっと広いよ。この商業地区全体」
「ええ……、えらいひとだ……」

 思わず呟くと、彼は笑った。「えらいひと?」

「悪魔だよ」

もう逃がさないって微笑んで

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