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少女漫画事件から数日が経った。
「どうしよう、堀川ァ」
「大変ですねえ」
春の陽気の中、畑いじりをしながらの泣き言である。
先程から小豆色の背中に同じ文句を繰り返し投げ掛けるという至極迷惑な真似をしているのだけれど、堀川も堀川で同じ答えを繰り返してくれていた。解決策を貰えずとも、受け止めてくれる相手がいるというのは非常に心が落ち着く。
──事件の内容こそ、皆に話してはいない。話せるものか。
だけれど、私と燭台切の間に何かがあったらしいと、刀剣男士の皆は気付いてしまっていた。私の動揺は隠せるものではなかった、というのが大きな要因である。
短刀は喧嘩をしたのかとオロオロしていたり、察した連中はニヤニヤしていたり、頑張れとエールを送ってきたり、正直恥ずかしい。ただ、堀川のような見守り組の存在は有難くはあった。
儘ならない感情把握へのもどかしさの方は、ずるずると雑草を引き抜くエネルギーに変換する。
いや、あれからとてつもないことになっているのだ、それが。燭台切がとんでもないのだ。
生活パターンが以前と変わらないから彼との接触の機会が非常に多いわけなのだけれど、そのたび心臓に悪くてたまらない。
自衛だって試みた、けれど髪を梳かしに来た彼へ自分でやると伝えたら、どうしてだい、だとかいう、自分がやるのは至極当然と言わんばかりの顔でそんな風に問いかけられたりなんかして。
それが、あまりにも──。
以降、私にはノーと言えなかった。
その後はもう大変だ、燭台切の手が私の髪に触れるだけで、心臓が早鐘を打つ。胸の奥が震えて、呼吸だって殆ど出来なくなった。朝起こして貰った時の目覚めは良くなったけれど、食後、ネクタイを結んでくれと手招きされた時は卒倒するかと思った。
ネクタイを首にかける瞬間の、彼との近さときたら。今まで気になんかしていなかったのに、心臓と呼吸に加えて手まで震えるから、結ぶのに手間取るし。
しかも、しかもだ。結んでいる間、燭台切が、私の腰に、腕を。回しやがりやがったのだ。
びっくりして思わず彼を見て、そうしたらどうだ。あんなとろけそうな瞳を、私は見たことがない。蝋燭の火みたいな、今降り注いでいる陽射しみたいな、あたたかいひかりの色しか。
それが、まるで蜂蜜に砂糖を溶かし込んだようなあまさを携えていて。──ああ、見たこともない瞳はあの日もそうだったか。
あの日も、見たことのない色だった、爛々と輝く獣のような目だった。
思い出すと、もう、私は、私は、
「主さん、そろそろ種を蒔きましょう」
「あ、ああ、うん」
堀川の声で我に返る。
差し出された袋を受け取って、お互い畑の両端に戻った。中身の種はほうれん草のものである。食べたくないけど食べないといけないんだよなあ。そうやって、逃げていたのを突きつけてきたのも燭台切だった。
……また、燭台切、だ。今の私の思考回路にはバグが生じているらしい、彼のことばっかり考えてしまう。
何かもどかしさに似た感情で一杯になって、鬱憤を晴らすように畑の土へ棒を突っ込んだ。とはいえここに種を蒔く以上あまり深くは突き刺せなくて、余計に不完全燃焼になっている気がしないでもない。
ぽたぽたと落ちる汗へ、燭台切に見られたらタオルで拭われるやつだ、と危機を感じる。畑の側のベンチに置いてあるタオルを取って来ようかと思いつつも、とりあえず腕で拭った。腕まくりによって露出しているから、布と肌の吸水性の差をまざまざと見せつけられる。タオルが欲しいな、と思った。
「ねえ、主さん」
「どうしたの、堀川」
2人で両端から全部の畝に種を植えだして、堀川と隣同士になった頃。話しかけてきた堀川に、種を最後の穴へ突っ込みながら答える。
「主さんって、燭台切さんに向けられてる感情は何だと思ってる?」
転びそうになった。
堀川を凝視すれば、彼も真剣味を帯びた天色で私を見ている。
一瞬怯んだ。声色も優しさの中に芯を含んでいて、こちらも緊張感が走る。
それに、これって多分、堀川なりのヒントだ。何度も彼の背にぶつけていた問いのための。
大問のうちの問1だ。最後の難題を解くのに必要な数値を求めるための問題。
堀川の問いかけを頭の中で繰り返す。堀川は言った。
「愛情にも色々あるよ。例えば、僕が兄弟に向けるもの、兼さんに向けるものは違う」
「ああ」
山伏と山姥切国広へのものは兄弟愛、家族愛。和泉守へのものは──さしずめ、親愛とかその類だろうか。その深さはきっと、和泉守と私のどちらかという選択を迫られたら、迷わず前者を選択する程。
ニンゲンのために生み出された刀剣たちの中で、堀川は和泉守のために存在している。モノのために存在するという、モノとしては珍しいであろうかたち。そういうところも堀川の良さである。
「あのさ、堀川」
そんな彼が、たとえ情の程度がもし然程であったとしても、私を気にしてくれているのだ。
有難いことこの上ない。
うん、主さん。
返された相槌に心が穏やかに凪ぐ。これなら、落ち着いて考えられるだろう。
「正直、まだよく分からない。その、好き、とは言われたよ。
私にやることも、一般的に、恋情を抱いた相手にすることだ。燭台切に限って、恋をしてない相手にそんなことをするとは思えない。
でも、まだ信じきれない。
……ううん、頭が追いついてないんだな、私」
そう、困惑ばかりが先行していて、分かってはいても理解出来ていなかったんだ。
私の答えを聞いて、それなら十分です、と堀川は満足そうに笑って頷く。気になることも聞けたし、水やりの準備して来ますね。彼はそう続けて水道の方へと向かった。
お願いする、と見送った私は、けれど。頭を抱えた。
頭の中は大分整理出来たとしても、どうしたって戻って来る場所がある。
「私、どうして好かれてるんだろう」私が好かれるなんて、あるはずないと思っていたのに。そして、そこへ行き着いた途端蘇る言葉は、「君は確かに格好悪い子だけど、それ以上に大事だ」。
かあっと顔が熱くなる。
燭台切が、その美学に反してまで私を想ってくれているだなんて、一体何が起こっているというのか。
ずっと黙っていたという燭台切の口ぶりからして、あれを言った時にはもう既に恋情だった可能性が高い。燭台切と出会ってもうどれだけ経ったかは分からない。時間の流れが特殊なだけではなく、不定期に景観を変更する我が本丸では、日にちの経ち方が掴みにくい。いや、燭台切は分かっていそうだけれど。
ともかく私が把握しているのは、幾年はゆうに過ぎているということだ。いつから好いてくれていたのかは不明でも、燭台切がずっとと言うのだからそれなりの長さなのだろう。
ああ、ちくしょう、参った。
その事実の破壊力の抜群なこと。好かれている理由が分からないのが恐ろしいのだったら、それは、本当に好かれているのか確証が無いからというのが根源だ。
だのに、察しが良くて私の汚点を知っているはずでもある彼が、それでもそんなにも好いてくれているというのだから疑いようもなく安心であると、そう思ってしまう。思考を麻痺させるだなんて、最早麻薬と相違ない。
溜息を吐きつつ、主さーん! の声の主に視線を遣る。大蛇じみた水撒きホースが水をシャワー状に吐き出していて、慌てて畑から退いた。
避難した頃合いに、私が居たところへ雨のごとく水が注がれる。
魔法の畑はそれに反応して、蒔かれた種が芽を出し始めた。