03
触れた床がひんやりとして気持ち良い。欠伸をひとつして、渡り廊下に横たわった。
皆は寝静まっている頃だ、通る人もいないはず。邪魔にはならないだろう。
今日の月は半月で、それを横目に春の夜の冷たさを堪能する。いっそこのままここで眠ってしまうのも悪くないのかも知れないと思う程には心地が良い。朝誰かしらに驚愕されたり叱られたりすることは確実だけれど。
「わっ!!」
「おああ!?」
突然の声。心臓が止まりかけた。顔を上げてみれば、雪のような色が佇んでいる。納得した。腑に落ちまくった。彼なら驚かせてくるのも頷ける。呆れと安堵で嘆息すると、彼はその印象的な金の瞳を歪めて笑った。
「いやー、名前は良い反応してくれるよな」
「心臓に悪いですよ、鶴丸さん」
悪い悪い、と悪びれもない笑顔が返ってきて、また溜息をついた。かなりの年配だというのに悪戯好きな人だ。
こちとらビビりの小娘なのだ、程々にして欲しい。恨みがましい目をして見つめてみても、鶴丸さんはどこ吹く風で廊下に座る。よく見れば、その手には酒があった。
「……月見酒ってやつですか?」
「ああ、その通りだ。満月じゃねえ月もまたオツなもんだぜ」
寝そべったまま問えば肯定される。酌でもした方が良いのかと思ったけれど、驚かされたばかりなのに気を遣うのも癪だ。いや、駄洒落ではなく。
ぼーっとしていると、酒がとぽとぽと注がれる音がした。独特の匂いが空気に混じって、顔をしかめる。鼻の辺りを防御するように腕を乗せると、子供だなあ、と笑われた。かと思えば、
「なあ、名前は此処での生活をどう思う?」
「……どう思う、というと」
声を弾ませながらの問いかけは、けれどどこか密度の高い響きに聞こえた。あからさまに普段子供のようにはしゃいでいるのは其方の方だろうに、彼はたまにその年長者っぷりを発揮する。今日も何か思うところがあってこんなことを聞いている気がした。
「……まあ、良いんじゃないですかね」
「楽しいか?」
「ああ、はい」
私が答えると、そうか、と嬉しそうにする。そして月を見上げて、手にした酒を煽った。随分ぐいっといくものだ。もしかすると、持ってきた一瓶を空けてしまうつもりなのかもしれない。二日酔いはやめてくださいね、と言っても笑いで受け流される。そして彼は口を開いた。
「名前の初めて出会った刀剣が光忠だったな」
「はい」
どうしてその話になったのか見当はつかないけれど、事実であるので肯定する。鶴丸さんは燭台切と伊達の刀繋がりでそこそこ仲が良い。伊達に居た時期は違うらしいが、所謂伊達家あるあるネタで盛り上がっているところを見たことがあった。大倶利伽羅が無視を決め込みつつ、2人のしている話に時折僅かな反応を見せているのが面白くて、よく覚えていただけなのだけれど。
友人だからなのだろうか、燭台切のことを話題に出したのは。不思議になりつつも知らぬままで不都合なことが起こるとも思えず、ただ黙って話の続きを待つ。
「光忠は、頼りになったか」
「そりゃあ勿論。過去形じゃなく現在形でもですし」
こちらも断言させてもらう。鶴丸さんは楽しげに何度も頷いて、仲が良いのは良いことだ、と。何を今更そんなことを言うのか。
燭台切に私をどう思っているのかなど聞いたことはないけれど、少なくとも私は燭台切を気に入っている。見ていれば分かるだろうに。
「じじいはな、若者の行方が気になるものなのさ」
私の考えを見透かしたように鶴丸さんは言った。彼が自分からじじいと名乗るなど珍しいが、やはり今日は年長者として話をしたいのだろう。とはいえその真意が掴めない。恐らく掴ませる気もない、鈍い私にストレートな物言いをしないのだから。そういう風に曖昧なのはムズムズするものの、面倒でもあるので放っておくことにする。
沈黙が訪れた。
「……さて。身体、冷えただろ。このまま名前が其処で眠って皆が驚くのも一興だが、風邪を引いちゃあ不味い。部屋に戻って寝たらどうだ」
「んー、そうします」
酒の匂いが広がる此処はあまり居心地の良いものではなくなった。彼の言葉通り身体も冷えている気がするし、あたたかくして眠った方が良いかもしれない。
起き上がって、乱れた髪を手櫛で梳かす。前はこんなことをしなかったけれど、──脳裏をよぎった恥ずかしい言葉は奥底に秘めて、鶴丸さんに手を振って部屋へと戻った。
途中、予想以上に冷えていた足に、もし彼が居たら暖かくしなきゃ駄目じゃないかと叱られたんだろうなあ、だなんてふと思った。