04
「クー」
「どうした?」
名を呼べば、不思議そうな顔をした彼が顔だけで振り向いた。もふもふの絨毯の上に胡座をかいてえっちなおねえさんばかりの雑誌に視線を注いでいた彼の姿は、ずうっと昔の半神半人の大英雄だっていうのに、とっても現代人らしく見える。彼の隣まで手と膝をついて移動して、胡座をかく脚をぽんぽん叩いた。
「膝枕して」
「へいへい、硬くてもいいならいくらでも」
「わあい!」
彼が崩してくれた足に頭を乗せて寝転ぶ。確かに硬いうえに高いけれど、目を細めた彼が私の顔にかかった髪を除けて頬を二度撫でてくれるのが好きで、私はいつもこれを強請ってしまう。彼は膝枕はするよりされる方が好きなのだと言うけど、断られたことは未だかつて無い。彼は私にひどく甘いのだ。
「脚痺れない?」
「オレを誰だと思ってんだ」
「クー!」
「正解」
彼は緩ませた唇で楽しげな色の言葉を紡ぐ。そんな彼の頬に、今度は私が手を伸ばした。
「ねえ」
「今度はどうした」
「あのね、好き」
「オレも。好きだぜ」
「そっかあ、……へへ」
ほわりと胸の奥が暖かくなる。顔の温度はそれよりもずっと高いところまで上昇した。たった2音なのに凄い力を持つ言葉だ。すとんと心の奥底に収まって、じわじわと侵食していく。こんなに嬉しいのは、やっぱり彼が言ってくれるからだ。おまけに笑顔つきだったのだから、ドキドキしないわけがない。
顔を手で覆うと、その上に優しく触れるものがあった。彼の手だ。上から喉を鳴らした笑い声が降ってくる。
「成長したんじゃねえの、前は好きだっつーと逃げたのによ」
「だって恥ずかしいよ。今だって結構我慢してる」
「そうかい、ほんと初心だな」
「……嬉しいけどやっぱり心臓煩くなっちゃうよ、だってほら、好きな人だから」
心臓、破裂しそう。
そう呟いたのは彼にしっかり届いていたらしく、そんなんで死なれちゃ困るぜと茶化された。重ねられていた彼の手がゆっくり私の手を包み込む。顔から手を除けようとしているらしい。彼の力に敵うはずもないから抵抗に意味は無い。為されるがままにしていると、開いた視界ににやにやした彼の姿が映る。
ああ、もう。楽しそうだなあ。
「そんなにオレのことが好きか」
「そりゃあもう!」
半ばヤケになって答える。そうかいそうかい、だなんて頭をぽんぽんと撫でられた。彼はどうしてこうも余裕なんだろう。
「勝てないなあ」
「なんだ、オレに勝つ気かよ」
「勝つ気です」
きっ! と真上の彼を睨みつけてみる。続いてわざとらしく頬を膨らませてみると、頬に指をぷすりと刺された。空気が抜けて行く。ぷしゅー。変な音が面白かったのか、クーが笑みを深める。
「案外、オマエの知らないところで勝ってたりするかも知れんぞ」
「知らないところじゃ意味ないのー! クーをぎゃふんと言わせるのー!」
ぎゃあぎゃあ言う。彼はにやにや笑うだけで、ちっとも平静を乱してなんかくれない。うーん、悔しい。どうやったら彼に勝てるというのだ、なんて思ったりもするけれど、諦める気もさらさらない。
1回ぐらい勝ちたい。欲を言えばもっと。どうしたらいいのだ。彼をときめかせるような言葉──は無理だな。経験値も語彙力も足りない。彼をときめかせるような……、何があるだろう。うんうん考え込んでいると、
「結局はアレだろ? オマエはオレに勝ちたい」
「そうそう」
「で、オレに思いっきり仕返しを食らいたい」
「そう、……ぬあっ!?」
何それ!! 頭がクーの膝から転げ落ちた。ついでにそのまま転がってクーから距離を取る。壁に張り付いて彼を見れば、唇を歪め肩を震わせていた。そこ! 隠し切れてないぞ!
「肯定したな? 今度は前と違って、ちゃんと引っかかってくれたか」
「今のはずるい! 絶対ずるい!」
「ずるかねえだろ」
言葉に笑い声を滲ませながらクーは言う。猫が威嚇するのを真似て睨みつけると、可愛い可愛い、と笑われた。解せない。ふしゃー、と声を出してみるも、やっぱり可愛いと流される。悔しくて恥ずかしい。どうしたって勝てない。
「ほれ、にゃんころ。こっち来い」
クーは手を二、三度叩く。そしてこちらに腕を伸ばした。──私、可愛いのは絶対にクーの方だと思う。ついついつられて彼の方へ寄ると、また膝枕に誘導された。ごろりと寝転がる。喉の辺りを指先で擽られた。クーに触ってもらうのは何でも好きだけど、これも意外と気持ち良い。
「毛並みの長い猫みてえだな」
「……このまま撫で続けて貰えるなら猫になっても良い気がする」
「おいおい、そりゃあ困るぜ。オマエは人間のままで居てもらわなきゃな。いちゃつけねえだろうが」
「確かにそれは困る」
撫でられるのも好きだけど、キスも好きだし、その、ええと、あれ、も好きだ。クーからの愛情表現ならなんでも好き。
猫だと人間間のそれじゃなくなるっていうのは確かに問題がある。そんなの耐えられっこない。クーの頬に手を伸ばすと、触れる前にぎゅっと握られた。どうしたんだろうと思っていると、クーは小さめに口を開けて、──私の手首に柔く歯を立てた。
「な、なんだなんだ!? なんだ! どうした!」
たったそれだけの動作なのに、何故かとびっきりえっちに見えて、思わず身を起こす。けれど掴まれた手を引かれて、彼の胸に飛び込んだ。一体何が起こっているんだ……!
「猫を前にするとちょっかい出したくてたまらなくなる、待ての出来ん犬が此処に居るのもお忘れなく、ってな」
「な、なんだと!」
そんな言葉に動揺しながらも、ちゃっかり彼の首に腕を回している自分が居ることは無視。クーってばなんでそんなえっちなんだ。このままではいけない。
猫を撤回すべく低く唸るも、はいはい、と完全に流されてしまった。さらには首にキスまでされて、唸る声がひっくり返る。
「も、もう。クー、真昼間から」
「時間なんざ関係ねえだろ、誰も見てやしねえ」
「ぐぎぎ」
そう言われるとそうだ、どうしろって言うんだ。クーは首筋をがぶがぶ甘噛みしだしているし、勘弁してほしい。服の裾のあたりをクーの手が探る。このままするつもりらしかった。クーがいちゃつくのから行為に持ち込もうとするきっかけがいつも分からない。じゃれあうだけだったはずが、いつの間にかそういう風になっていることがよくある。今日もそうだ。
ああ、……もう。
「……いいよ、クー。何しても。大好きだから」
「────、」
腹を括ることにした。ぎゅっと抱き付いて伝える。途端、クーの手が止まった。どうしたんだろう、振り向こうとすると、がっちりと頭を抑えられる。何か見たらまずいものでもあるのだろうか。とりあえず待っていると、はああ、と大きな溜息が聞こえた。
「だから、それなんだよなあ」
「何が?」
「気付いてねえなら気づかんままの方がいい」
「……変なの」
教えてくれないなら仕方ない。早々に諦めて、彼に体を預けた。動きを再開した掌が、私の背を撫でる。まだいやらしさは伴っていなくて、くすぐったいぐらいだ。
ふふ、ちょっとだけ笑い声が漏れる。また大きな溜息が聞こえた。
「ったく、オレはいつからこんなに底抜けになっちまったんだ。割と聞き慣れた言葉だろうに。その辺の浮名を流さん男じゃあるまいし」
「クー?」
呆れ返ったような、笑っているような、不思議な声で彼が言う。言っている意味がやっぱり分からなくて、つい名前を呼んだ。すると、いーや、名前はとんでもねえ女だなと思っただけだ。という答えが返ってきて。私何かしたかな、と思うと、それを見越したのか、
「悪いコトじゃねえよ、寧ろ良いコトだわな」
「良いコト?」
「おう。こういう感覚は初めてなんでな。これはこれで面白い」
やっぱりさっぱりわからないけれど、クーが面白いならそれでいいや、と結論づけた。ぱちん、と音がして、胸のあたりの窮屈さが無くなる。ああ、とうとうか。なんて思いながら、彼の首筋に顔を埋めた。