分かたれたうちうみへ
「絵に描きたいぐらい、美しかったでしょう」
「欲しい」ものって、そういうものよ。
親は、歌うように言う。表情無く色鉛筆を動かす名前に、微笑みながら。
能力で記録したものを頭の中に浮かび上がらせる行為にもまた、魔力を消費する。それゆえのしかめっ面だと、勘違いしながら。
名前の絵は、完璧だった。家族の生み出すそれらと遜色の無い、精密さと緻密さを誇っていた。子供の手で描けるものではなかった。まず身体能力として、力の使い方や身体の動かし方が、洗練されていないのだ。
それでも、名前は時間をかけにかけて、ガラス細工を描き出した。
──「違う」と思いながら、「違わない」と思いたかった。
家族の言う通り、紙に描き出せば、「欲しい」ものを手に入れることになるのだと、描きあげれば実感できるのだと、そう願った。
──「欲しい」ものは、あれだけ美しかったのに、それを美しくなく描くことは、侮辱だと思えた。
「絵に描きたいぐらい美しかった」なんて、どう考えれば、そう感じられるのか、わからなかった。「絵に描けないぐらい美しい」のが、あのガラス細工だった。
「描き上がった」名前の絵を、家族が絶賛する。
「うわ、すご……」
「めちゃくちゃ才能あるじゃん! 天才画家だ!」
「負けてられないなあ……。
──え? まだ完成じゃないの?」
素っ頓狂な声に、名前は拳を握り締めた。
完成なわけがない。
一生、完成するわけがない。
──だって、これは「絵」であって、「本物」じゃない。
泣き出す名前に、家族は笑い声をあげた。
「泣くほど悔しいぐらいに満足できないなんて、やっぱり将来有望だなあ!」
──違う。
違う。
私の「欲しい」は、違うのに。
けれど、月日は無情に過ぎていく。
名前は、あの高価なガラス細工を手に入れることはできなかった。幸いなのは、素晴らしい出来だから、工房の看板作品にしようと決まって、誰に買い取られる心配もなくなったことだ。
年齢を重ねてお小遣いがもらえるようになると、名前は貯金を始めた。
自分の欲しいものでないならば、苦しまず描きあげられるから、親に絵を売ってもらい、更に貯蓄を増やした。
今度こそ、心から「欲しい」ものができたとき、「自分が」、「自分の力で」手に入れられるように。
いつか、非売品となってしまったあのガラス細工を、言い値で買いあげられるように。
──その頃には、名前の「欲」が、自分たちとは違っているのだと、家族も勘付き始めていた。
親は焦燥した目で名前を見ていたし、きょうだいも強張りを隠せていなかった。
毎晩、親の部屋には明かりがついていた。
ある夜、名前がふと目を覚ましたときも、そうだった。きょうだいの部屋は違う階にあったけれど、名前の部屋は、親の部屋と同じ階にあった。閉じ方の中途半端だった子供部屋の扉の、その向こう。廊下を隔て、十数歩先の扉から。
喚き、叫ぶような声が、微かに漏れていた。
名前はベッドから降り、抜き足差し足で、子供部屋のドアまで近づく。開いた隙間に近付けば近付くほど、声は大きくなった。
聴覚を強化する口頭魔術──「風景が『欲しい』ものになったときは、音もちゃんと聴いておくのよ。音を記録することはできないから、魔術を使えるようになりましょうね」──を呟く。
悲鳴が耳に突き刺さった。
「こら、そんなに叫ぶな! 起きてしまうかもしれないだろう!」
「でも、だって!! あなたがあんなこと言うから!!
『元祖返り』みたいだなんて!!」
「あくまでたとえだろう!」
「言っていいことと悪いことの区別もつかないの!!??
うちの家から犯罪者が出るなんて、考えたくもない!!」
「犯罪者と決めつけるな、まだそんなことはしていない!」
「……ええ、そうね!! そうよね!! 今からちゃんと教え直せばいいものね!!
あなたの『欲しい』は間違ってるって教えなくちゃ、そんなのおかしいって、ああ、どうやったらわかってくれるかしら?
ねえ、そうでしょう? あなたもそう思うでしょう!? あなたは子育てにほとんど参加してくれなかったけれどね!!」
「忙しいんだ! 八つ当たりは──」
魔術を切る。
名前はまた足音を殺して、ドアの前から去った。
ベッドサイドに置いた貯金箱へ、手を伸ばす。
持ち主しか開けられないようになっているそれに入っている金額は、──子供ひとりが家を出て生活しながら、「欲しい」を手に入れていくには、到底、足りなかった。