カーテンコールを迎え撃つ

 悪食の指輪について、一通りの情報交換をしたあと。疲れ果てたというていでアリさんが引っ込んだ管理室には、大人しくなった名前と、元より騒がしいたちでもない入間とで、静かな時間が流れていた。
 魔茶に口をつけた名前は、入間の顔をじいっと見つめる。

「……どうしたんですか?」

 その視線に、入間も首を傾げる。他者に見つめられる経験は、魔界で突然増えたけれども、あって当然だと思っているわけでもない。
 名前は少しだけ考える素振りを見せてから、魔茶を置いた。

「イルマ君。師団発表のとき、アミィ・キリヲの名前を挙げたらしいね」

 それは、入間にとって、思いも寄らぬ問いかけだった。
 驚きながらも、真っ直ぐに名前を見つめ返す。
 
「……はい」
「そして、彼の企みを知り、阻止したのは君だとも聞いている」
「はい」

 入間は、やはり、目を逸らさなかった。たとえ、名前がキリヲを嫌っていて、だから入間の行いを咎めたがっているのだとしても、あれを誤りだと思う気は無かった。
 「元祖返り」ゆえに、他者の絶望の表情に興奮を示し、バビルスを破壊しようとした悪魔、アミィ・キリヲ。
 その悪魔の恐ろしさを知ってなお、入間は魔具研究師団に「キリヲ先輩」が戻ってくることを、望んでいた。
 ──それは、咎められることなのかもしれない。
 入間とて、感情とは別のところで理解していた。アミィ・キリヲは犯罪者で、未遂に収まったとはいえ、学校や生徒に危害を加えようとした。言い逃れも何も無い、事実だ。
 だから、身構えた。名前は、キリヲも含めて魔具研だという自分の主張を、快く思っていないのかもしれない、と。
 もし咎められたとしても、入間は譲れない。反論はするつもりだ。けれど、咎められることそれ自体は、覚悟しておかねばならない。
 喉が、ごくりと鳴った。
 名前は、口を開く。

「──私は、教師ではなくて、博物塔管理者だ」
「……? はい、知ってます」
「……アミィ・キリヲは、博物塔に、よく来てくれたんだ」
「!」

 そこで、入間は気付いた。名前の表情と声色に、自分へ向けられる負の感情は無いことに。
 
「位階や学年の関係から、見せられない展示もあった。けれど、彼は博識だったし、……博物塔にある宝を、宝として興味を持ってくれた。私とも、古い物品について、意見交換なんかもしてくれた。
 アミィ、どっから手に入れたのかわからない知識や分野にも造詣が深くてね」
「……名字さん……」

 思わず、入間の口から名前が溢れた。気遣わしげな色に染まったそれを、呼ばれた側の名前は気に留めない。ただ、項垂れるようにしながら、前髪をくしゃりと握った。

「アミィが博物塔に近付いたのは、展示物や、その情報を奪うためだったらしい」
「──!」

 今度は、言葉も出なかった。
 名前にとって、それは「裏切り」なのではないだろうか。同志のように、あるいはもしかしたら歳の離れた友人のようなものだったアミィ・キリヲが、実は大事なものを脅かす存在だった。そう感じてもおかしくない。
 名前が、ちらりと入間を見る。
 そして、大きく息を吐いて、再度、吸った。

「それ自体は別に構わない」
「えっ?」
「素晴らしいもの、価値あるものを見て、『欲しい』と思うことは自然だ。そういう欲があったからこそ、私だってこの職についた。
 邪な理由だとしても、まあ、手を出さないうちは見逃す。欲しいものは欲しい、それで良い。
 ──私が敵だと見なすのは、本当に手に入れようと手を延ばしてきた輩だ」
「……う……」

 最後、射抜くような視線を投げかけられて、入間は肩を震わせた。「王の教室」のことだと、明言されずともわかった。
 大事に扱おう、と心に決める。
 入間を脅してのち、名前は額から手を外した。曲がっていた背を正し、入間に向き直る。

「だから、私は、アミィ・キリヲを嫌ってはいない。……また、博物塔に来てほしいとすら思っている」

 その言葉は、混じり気のない、好意だった。
 入間の予想していたような咎めも、憎しみも無く、ただ、ここに居ない他者を想う心があった。
 入間が頷く。
 
「──僕も、です」

 嬉しかった。
 キリヲのしたことは、法的にも、学校的にも、許されてはいけないのだろう。けれど、入間は「アミィ・キリヲ」という大事な「先輩」を、諦めたくなかった。
 その「欲」を肯定してくれるかのような、自分の他に、彼が起こそうとした事象を知ってなお「アミィ・キリヲ」の存在を求めてくれる誰かがいるというのが、心強かった。
 そして、──恐らく、名前にとっても、そうだったのだ。

「あれだけアミィと接しておきながら、がっつり『元祖返り』だったことに気付けなかった負い目も、まあ、あるといえばあるんだ」
「……それは……」
「私が気にすることじゃない、ってのはオ、……他の先生方にも言われてるんだけどね。
 それに、はっきり言ってあれは生来の気質だ。矯正するとか我慢させるとかの話じゃない。そんなのはアミィ・キリヲに対する侮辱だ。かといって、『元祖返り』に、今の魔界で暮らせっていうのも、生きづらいばっかの暴力だ。で、勿論、アミィのためだけに社会や世界を変えるのも天秤が釣り合わない。
 ……そういうの、わかってはいるんだけど。
 彼と話すのは楽しかったな、って、思い出しちゃうわけ」
「……はい。キリヲ先輩は、……恐ろしい悪魔なんだなって思いもしましたけど、でも。
 僕、やっぱり、キリヲ先輩には……。魔具研に、戻って来てほしいです」

 入間が、膝の上で両手を握り締める。脳裏には、認識阻害グラスをかけてのほほんと笑うアミィ・キリヲと、欲を剥き出しにして昂るアミィ・キリヲの、両方の姿がよぎっていた。
 ──その、どちらも。アミィ・キリヲという、入間にとっての、大切な「先輩」だ。
 名前は、口元を緩ませた。
 それは、入間が初めて見る、名前の穏やかな笑みだった。

「……ありがとう、イルマ君」

 入間が「こちらこそ」と返せば、名前はいっそう微笑んだ。